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  • 投稿日時:2024/11/30
    女川原発が、あの東日本大震災後、ついに再稼働されました。女川町の隣である石巻市に自分のクリニックを置く医師として、私は断固女川原発再稼働に反対し、原発の廃炉を要求します。


    女川原発はあの東日本大震災の時、内部電源を全て喪失し、かつ複数あった外部電源も、たった一つを除いて喪失しました。


    原発で「電源が断たれる」ということは、つまり「原子炉を冷やすことが出来ない」ということです。


    原発では、原子炉内でウランが燃やされ、その時発生するエネルギーを電気に変換します。しかし、ウランが燃やされてエネルギーを発すると、原子炉自体が高熱に晒されます。それを放置すれば原子炉がその熱で壊れてしまうので、原子炉を冷却しなければなりません。その冷却に、なんらかの電源が必要になります。温めるのにも冷やすのにも電源が必要だというのは、皆さんのお宅にあるエアコンと原理は同じです。夏は冷房、つまり室温を冷やし、冬は煖房、つまり温めます。そのどちらにも電力が必要だというのは、原子炉も同じなのです。原子炉は電力を使って常に冷やしておかなければなりません。


    その冷やすための電源が、内部・外部全て壊れて喪失した結果起きたのがフクイチの原発事故です。冷やすことが不可能になったので、原子炉は制御不能に陥ったウランの発熱によりメルトダウンしました。しかしあの時、女川原発も、内部電源は全て失われ、複数確保されていた外部電源、つまり原子炉の外から電力を送るルートもそのうちたった一つが残ったために、辛うじてメルトダウンしなくて済んだのです。


    極めて際どい事態だったのです。


    だから私は、女川原発再稼働には断固反対し、廃炉を要求します。あの大震災の時女川原発の外部電源が一つだけ繋がっていたのは、まさに幸運の為せる技、「たまたま」に過ぎません。我々は既に、あのような事態が起きることを身をもって体験しました。次ぎにあのような、あるいはあれを超える事態が起きたとき、女川原発はそれに耐えうるか。


    保証はありません。


    この世には、ある程度のリスクがあっても必要というものはあります。例えば自動車がある限り交通事故はなくならないし、飛行機が墜落事故を起こす可能性はあります。しかし自動車や飛行機が存在しない世界は既に我々にとって耐えがたいから、そのリスクは容認するわけです。しかし原発はどうでしょうか。


    東日本大震災以降少なくとも10年以上、日本は原発無しに社会を維持してきました。電力需要が危うい夏はありましたが、しかしともかく、原発がなくても我々は10以上を乗り切りました。今では、太陽光発電、風力発電など、代替エネルギーが相当伸びています。それなら、なにも無理に原発を再稼働する必要はありません。



    原発というものは、一度ああ言う甚大な事故が起きたとき取り返しが付かないものだと言うことを我々は実際体験しました。仮に風力発電や太陽光発電で甚大事故が起きても、それは少なくとも一つの原発で甚大な事故が起きたときのような事態には到りません。従って、今我々日本人は、原発は放棄すべきです。


    10年以上、我々は原発無しに日本社会を維持出来たのだし、10年前と比べたら遙かに大きな電力を他の手段で得ることが出来るようになったのだから、今原発を再稼働させるべき理由はありません。もしあるとすれば、それは単に金儲け、つまり一部関係者の利害だけです。従って、そのような理由で原発を再稼働させることは、断じて正当化されない。だから私は女川原発の廃炉を要求します。

     
  • 投稿日時:2024/11/25
    膵癌は極めて早期発見が難しく「見つかったときは手遅れ」な癌です。しかし、糖尿病患者さんでは、40人に1人、膵癌が発生します。ですから糖尿病の方はできるだけ早く膵癌を見つけなければならないのですが、それは今の保険診療で認められた方法では不可能です。しかしある検査(採血するだけです)を使えば、膵癌を早期発見することが出来ます。保険は使えませんから検査料金は2万円ほどと非常に高くなりますが、糖尿病の方は是非この検査を受けて下さい。糖尿病でない方の検査もお受けしますが、糖尿病以外の方の膵癌発症率は低いから、検査費用を考えれば、まずは糖尿病の方々にこの検査をお勧めします。因みに検査を請け負うのはSRLという日本で最大手の検査会社であり、充分に信頼出来ます。
  • 投稿日時:2024/11/24
    漢方薬で使われる生薬の量は、当然古典では昔の度量衡で記載されています。例えば葛根湯は傷寒論(しょうかんろん)という本が原典ですが、


    葛根(四兩)麻黃(三兩,去節)芍藥(二兩)生薑(三兩,切)甘草(二兩,炙)桂枝(三兩,去皮)大棗(十二枚,擘)からなり、これを一斗の水で煮て、二升まで煮詰めろとあります。


    傷寒論という本は何度か書き直されていますが、一応後漢末期に最初に書かれたという事になっています。今では中国の色々な時代の度量衡はおおよそ推測されており、漢代の度量衡も判明しています。漢は前漢、後漢合わせて400年も続きましたので度量衡もその間に変わったかも知れませんが、とりあえず今分かっている限りでは、漢代の一両は15g、一斗は2L、一升は200mlだそうです。すると、上の傷寒論の文章を書き直せば、葛根湯という処方はこうなります。


    葛根60g、麻黄45g、芍薬30g、生姜45g、甘草30g、桂枝45g、大棗12個を2Lの水で煮て400mlになるまで煮詰めろ。


    現代の我々からすると、これは相当に凄まじい量です。特に45gの麻黄は確実に血圧上昇、幻覚や頻脈をおこす可能性が高い。エフェドリンやシュードエフェドリンといった、今ではICU(集中治療室)で患者の血圧が急激に低下した「ショック」という病態に使うときのノルアドレナリンという注射薬とほとんど同じ作用をおこすのがエフェドリンとかシュードエフェドリンです。日本薬局方で医療用医薬品として認められるためには、麻黄のなかにエフェドリン、シュードエフェドリン(この2つは体内ではほぼ同じ薬理作用をおこします)が0.7%以上含まれることとなっていますから、45gの麻黄にはこれらが31.5mg以上含まれます。これは血圧上昇どころか幻覚、致死的な不整脈をおこすのに十分な量です。


    今我々が使う葛根湯、例えばツムラの葛根湯には麻黄は1日量として4gしか含まれていませんから、エフェドリン・シュードエフェドリンに換算すると2.8mgです。これでも高齢者が肩こりとかで葛根湯を長期処方されると高血圧を起こします。それを考えれば原典の量が如何に膨大か分かるでしょう。


    何故原典ではこんなにも大量の生薬が使われたのでしょうか。ここから先は推測ですが、葛根湯、麻黄湯、桂枝湯、小柴胡湯等々といった我々がおなじみの漢方薬の多くが「傷寒論(しょうかんろん)」を原典としています。傷寒論というのは、そもそも傷寒という非常に恐ろしい、致死的な感染症の治療法でした。傷寒論を書いたとされる張仲景(ちょうちゅうけい)はその序文に、「私の親族は元々200人を超えた。ところがある年(建安紀年)以降10年の内にその2/3が死に、その死因の7割は傷寒だった」と書いているのです。建安紀年はたしかに実在した後漢末期の年号です。つまり、この序文は相当なリアリティがあります。200人の2/3が10年で死に、その死因の7割は傷寒だったというのです。傷寒というのは何かの感染症ですが、ともかく凄まじく恐ろしい、致死的な感染症であったのです。


    張仲景の素晴らしいところは、この傷寒という感染症の自然経過を詳細に観察し、どうもその経過は6つのステージを経ると気がついたことです。だから傷寒論は「六経弁証(りっけいべんしょう)」という理論を打ち立て、6段階のステージ毎に治療法を提案しています。我々が日頃一番よく使う葛根湯、麻黄湯、桂枝湯、小青竜湯などは全て第一ステージである「太陽病期(たいようびょうき)」の薬です。傷寒論も、殆ど半分くらいを太陽病期の治療に費やしています。つまり、第一ステージで治してしまわないと、そこから先に進行すれば非常に治療に難渋して患者を救うことが難しくなるからです。


    例えば五番目のステージである「少陰病期(しょういんびょうき)」の記載は、今で言えばショック、つまり循環動態が維持出来ず血圧が急激に下がり意識低下が起きるという、今だってICUが総力を挙げても治せない場合が多いという危険な状態の表現になっています。そして最後の第六ステージである「厥陰(けっちん)」の描写は、多臓器不全です。つまり内臓が全部やられてしまいましたという事で、傷寒論でも厥陰病期については死ぬ、死ぬ、死ぬと、要するになにをやってもほぼ助けられないと書いてあります。多臓器不全は今でもほぼ助けられません。多臓器不全に陥った患者は、現代でも殆どが死にます。


    傷寒がどんな病原体による感染症であったかは分かりませんが、極めて感染性も高く、かつ致命的な恐ろしい感染症だったことはたしかです。そのような疾患に対して漢方薬だけで治療を挑んだのですから、まさにのるかそるか、一か八かの治療になったのであって、副作用で死ぬことも多かったけれども助かることもあったからこうやった、と言うことだったのでしょう。


    「漢方薬は自然の生薬を使うから身体に優しいが、長く飲まなければ効かない」なんて言う人がいますが、本来の姿は全然そんなものではなかったのです。
     
  • 投稿日時:2024/11/24
    最初にコロナワクチンが開発され、その効果についての臨床治験結果が論文として発表されたときは、世界中の医者が腰を抜かすほど驚きました。なぜなら「感染予防効果95%以上」という数字を叩きだしたからです。


    感染予防効果が95%以上もあるワクチンなどと言うものは、未だかつて存在しませんでした。例えば、インフルエンザワクチンのインフルエンザ感染予防効果は年によって違いが出るのですが、ざっと10年ぐらいを平均すると40%程度です。しかしそれでも「インフルエンザ感染を40%も低減出来る他の方法」はないから、あのワクチンは充分推奨に値します。これまでの常識では、ワクチンの効果というのはその程度でした。それが95%以上の感染予防効果!!全く新しいmRNAワクチンというものの効果に世界中の医者が仰天し、その原理を発明した人は去年ノーベル医学賞を受賞しました。


    しかし、コロナウィルスが次々に変異をくり返し、オミクロン株になった途端、コロナワクチンの感染予防効果は激減しました。今流行しているコロナもオミクロン株の亜種です。オミクロン株に対するmRNAワクチンの感染予防効果は、2回接種後2−4週後までは65%~70%あるものの、25週後には約15%にまで低下し、ファイザーワクチンでは20週を過ぎると感染予防効果はほぼなくなるという事が2022年、英国健康安全保険庁から発表されています。一ヶ月をざっと4週と考えれば概ね接種後5ヶ月であのワクチンの感染予防効果はなくなると言うことです。


    一方、重症化予防効果をデータを取りやすい「入院予防効果」としてみると、オミクロン株に対し、追加接種後105日、つまりざっと3ヶ月後の時点において、18歳から64歳までの集団では急性呼吸器疾患による入院を67.4%予防し、また酸素投与や気管挿管、ICU(集中治療室)入院については75.9%予防した。いっぽう、65歳以上では急性呼吸器疾患による入院を85.3%、酸素投与や気管挿管、ICU(集中治療室)入院は86.8%予防しました。しかし、このデータの解釈に関しては、そもそも64歳以下ではこのような入院を要するような重症化はオミクロン株では起こりにくいという事を考慮しなければいけません。つまり、オミクロン株は少なくとも64歳以下では重症化しにくいから、重症化しにくいものの重症化を予防したというデータは臨床的にはあまり意味がない。しかし65歳以上では依然としてコロナは危険な感染症であって重症化リスクが高い。だから65歳以上の人にはコロナワクチンは重症化リスクを大きく低減させるという意味があるから推奨されます。しかしそれは、ワクチン接種から3ヶ月後までの話であり、それ以降どうかというのは分かりません。


    そういうことを考慮し、現在日本の厚労省は3回目接種を2回接種後5ヶ月から認めていますが、リンクの通りイギリス、フランスでは3ヶ月後の追加接種を認めています。しかし、3ヶ月毎にワクチンを打ち続けるというのは現実としてあまりに煩わしい。いったいいつまで3ヶ月毎にワクチンを打つんですか、と言うことになります。


    ですので、現時点においては、64歳以下の人はコロナワクチンを接種する意味は殆どない。65歳以上の人にとっては重症化予防効果は期待出来るが、しかし3ヶ月毎にワクチン接種するというのをいつまでやるのか、という話になるので、現実には一定のリスクを受容しつつ「65歳以上の人は年に一回、ないし半年に一回ぐらいのペースでワクチンを打てば、重症化リスク予防効果が期待できるであろう」という事になります。
     
  • 投稿日時:2024/11/23

    ある人が、深刻な歯の感染症にかかったが、歯科医は放置した。しかしそれでも私は治ったと書きました。


    しかし、私はおそらくその歯科医は深刻な歯の感染症だと診断したのですから、適切な治療を行った後、慎重に経過を診たのだろうと考えました。しばしば患者は「薬が出ない、注射をされない、採血などの検査をされない」と「自分は放置された」と思い込みます。しかし・・・特に感染症においてそういうことが起きるし、慢性疾患である高コレステロール血症などでもそうなのですが・・・医者はその患者に検査とか、初期治療を行った後「慎重に経過を診て」、その後は特に投薬、注射、検査はしないが経過を見守る、と言うことをおこないます。それは放置ではありません。医者は慎重にその人の経過を診ているのです。何かあればすぐ介入出来るように「身構えて」いますが、そうやって経過を慎重に診たあげく、「うん、ここまで来ればこの人荷にはなにもしなくてよい」と判断すればその人には「もう治りましたから治療終了です」と告げます。ところが一部の患者さんは、これを「自分は放置された」と受け取ってしまうようです。無論、もっと懇切丁寧に時間を掛けて説明すればよいのかも知れませんが、石巻のように圧倒的な医療過疎の地域で診療している医者は、どうしても「必要な処置と判断」を優先せざるを得ません。石巻ははっきり言って都会ではありません。そういう、毎回毎回懇切丁寧な説明をする時間は無く、最低限の治療と適切な医療判断が精一杯というクリニックが・・・当院も含め・・・殆どなのです。

    座り心地のよいソファーに座って懇切丁寧な医者の説明を受けたければ、それは仙台か、むしろ東京に行って下さい。石巻の開業医は常時戦時医療のような診療を強いられているのです。最低限致命的なミスをしない。もうこれだけなのです。そこはどうか、ご理解ください。

  • 投稿日時:2024/11/23

    ある種の仏教の瞑想法では「今自分が行っている動作に心を集中させなさい」ということをやります。例えば「今自分は右手を挙げた、次に左手を挙げた」というように一つ一つ自分の動作だけに意識を集中させる。そうしている間に自然と雑念が消えるというのです。


    この「今やっていることだけに集中しろ」という方法を、私はもう少し広げて患者に試みることがあります。多くの患者さんは毎日仕事をしていて、そして仕事のことであれこれ悩んでいます。しかし仕事の悩みと言ってもそこには周囲との軋轢やら将来の心配やら家庭の問題やらが絡んでいます。家庭と仕事の両方に問題を抱えている人を休業させてしまうと、返って家庭の問題で頭がいっぱいになってしまい、逆に病状が悪化してしまうことがあります。


    そういう時私は時々「ではあなたは今あなたがやっている色々な仕事のうち、もっとも大事な課題だけに集中してご覧なさい」と言います。たいていの人は同時に色々なタスクをこなしているか、押し付けられています。しかし心療内科に訪れてきた段階で既にその人はそんなに多くの課題に同時に取り込むなんて言うことは出来ないのです。ですから患者さんがどうしても休業に同意しない、あるいは休業させると反ってよくないだろうと判断したときは、「一つのことだけに集中しなさい。そして周囲の人間とか上司とかという事はとりあえず忘れなさい」というのです。そういう患者さんは「今は休業しろ」と言ってもそれは受け入れないのですが、「一つのことだけに集中しなさい」というのは割合納得してくれるし、そうやっている内に自分を取り戻すという事はしばしばあります。

  • 投稿日時:2024/11/23

    身体の動きには、能動的なものと反射的なものがあります。また反射的だが意識すれば能動的に動かせるものもあります。さらに、能動的な動きも実は細かな調整は意識ではやっていません。

    能動的な運動、例えば歩いたり、こうしてキーボードで文字を打ったりすること。こういう動きをするとき、意識は「冷蔵庫に飲み物を取りに行こう」とか「これこれという文章を書こう」という事を考えます。ですが、実は「冷蔵庫の場所まで歩く」というのは殆ど小脳や大脳黒質による「錐体外路系」というシステムで自動調節されています。これが上手く行かなくなるのがパーキンソン病です。パーキンソン患者は末期になるまで認知機能は正常です(末期には認知症を伴い、要するにレビー小体病になります。レビー小体型認知症とパーキンソン病に伴う認知症は、最終的には同じものになります)。従って「これこれをしよう」という事は考えるのですが、実際にそれをしようとしても、手は震えるし足はふらつき、さっぱり自分の手も足も思うようには動かせません。つまり、能動的な運動と言ってもそれをスムーズに行うのは無意識の領域である「錐体外路」なのです。

    自分の身体の動きでありながら全く自分の意識ではコントロール出来ないのは内臓の動きです。心臓には心臓そのものに拍動を調節するシステムがあり、これは自分の意識とは通常無関係に作動します。だから我々は「さあ、心臓の拍動を早めましょう、遅くしましょう」ということは出来ません。消化管の蠕動運動もそうです。しかし、そうでありながら、心(こころ)が緊張すると頻脈になるし、緊張すると下痢する人はたくさんいます(私もその一人)。つまりこうした無意識の運動も、自分の思い通りにはならないけれども心の影響を受けます。

    一方、通常無意識な反射運動でありながら、意識でコントロールしようと思えば出来る、という運動もあります。例えば咀嚼、嚥下などです。通常我々は「さあこのブリの照り焼きを食べよう」とは思いますが、ブリの照り焼きを口に入れると、「さあこの切り身を噛みましょう」とは思いません。また「さあ、充分に咀嚼したから飲み込みましょう」とも思いません。口は勝手に噛み、適当なところまで噛んですりつぶすと舌や咽頭が勝手に嚥下反射をおこして嚥下します。適切に噛み、すりつぶすと舌や喉頭、咽頭が非常に巧緻な連係プレーで食べ物を嚥下し食道に送り、食道にものが入ると食道も自動的に蠕動運動をしながらそれを胃に送ります。これら全ては極めて巧緻な連係プレーですが、我々をそれを一切意識しないで行っています。

    しかし通常無意識な反射で行われるこうした運動も、意識で制御しようとすれば出来ます。「さあ、これからこの切り身を噛みましょう、まず噛んだから次は奥歯ですりつぶしましょう、充分すりつぶしたから飲み込みましょう」というように、意識的にこれらを行うことは可能です。しかしながら、こうした動きも脳の一定の部位(大脳基底核など)に脳梗塞などの障害が生じると、噛もうと思っても噛めない、飲み込もうとしても上手く飲み込めない、と言うことになってしまいます。そういう時無理に飲み込んでも誤嚥して誤嚥性肺臓炎を起こします。

    錐体外路系の中枢は大脳黒質という、ほんの小さな部位です。しかしここにドーパミンという、錐体外路系で作用する神経伝達物質を出す機能があるのです。それが出なくなる、あるいは不足するのがパーキンソン病ですが、どうして大脳黒質で分泌されるドーパミンが不足したり出なくなったりするのか、と言うところまでは未だによく分かっていません。ただドーパミンが不足するからこういう現象が起きるのだ、と言うところまでは分かっていますから、パーキンソン病の治療には外からドーパミンを薬物として入れる、あるいはドーパミンの働きを助ける物質を薬剤として入れるということをやります。

    一方、統合失調症やアルツハイマー病・レビー小体病が進行した症例では、このドーパミンが過剰に分泌されるか(統合失調症)、セロトニンなど他の神経伝達物質とのバランスが崩れて(アルツハイマー病など)興奮、幻覚、妄想などを起こします。そこで、メジャートランキライザーと呼ばれる一群の薬剤でドーパミン系を遮断します。そうするとその様な症状は治まるのですが、当然副作用として薬剤性パーキンソン症状が起きてしまいます。その結果、特に高齢患者では誤嚥性肺炎や転倒・骨折が起きてしまいます。

    ところが、ドーパミン系を抑制しないで認知症患者の興奮、幻覚、妄想を低減する方法があるのです。それは、グルタミン酸経路を抑制するという方法です。グルタミン酸も他の神経伝達物質とのバランスが崩れるとこうした興奮、幻覚、妄想などを引き起こします。だからドーパミン系を抑制する代わりにグルタミン酸系を抑制してこのような効果を引き出そうとしたのが抑肝散です・・・と言うのは嘘で、実は最初に抑肝散にこのような効果があるという事を私が臨床研究で証明し、それはいったいどのような薬理機序なのだろうかと基礎研究者が色々と研究した結果、抑肝散はドーパミン系を抑制せずグルタミン酸系を抑制することで、薬剤性パーキンソン症候群をおこさずに認知症患者の興奮、易怒、妄想、幻覚などを軽減出来るのだ、と分かったのです。

    漢方というのは理屈じゃない、学問じゃない、技だという連中がいますが、実は全然そうじゃないんです。漢方医学は学問です。化学的にその薬理機序を研究し、明らかにすることが出来るのです。

  • 投稿日時:2024/11/20
    「金の神様」。論評抜き。
  • 投稿日時:2024/11/20
    今日ある患者さんと「金の神様」の話になった。無論詳細は伏せるが、私はその患者さんに「佐藤さん(仮名)、エホバがいるかアッラーがいるかは分からないけど、金の神様だけは本当にいますよ。でも神様なんだから、当然毎日あがめ奉って上げ膳据え膳しないと、神様はいなくなってしまうんだ」と言った。


    患者さんはしばらくあっけにとられていたが、やがて私の言葉の意味が分かったらしく、最初はクスクス苦笑いを始め、やがて破顔一笑して診療が終わった。


    その人に何故金の神様の話をしたのかは当然書かないが、何故私が「金の神様だけは実在する」と確信したのかという理由は、別に書いて問題はない。それは無論、このあゆみ野クリニック開業の顛末だった。


    そもそも私は一昨年の7月、このクリニックの雇われ院長として呼ばれた。額面だが年収1800万。無論悪くない話で、仲介してくれたのも信用出来る(筈の)人だったので、私はその条件でこのクリニックに赴任した。


    ところが、去年の2月、当時ここを経営していた法人の会長が突然クリニックに来て、


    「先生、悪いんだけど、来月から先生達の給料払う金が無いんだ。先生経営してくれない?」・・・。


    信じられないかもしれないが、人生にはこう言うことが起きるのだ。まあ、私の人生の中では東日本大震災、直腸破裂による急性腹膜炎でICU2週間入院に次ぐ、成人してからは自分の人生で3回目の青天の霹靂だった。子ども時代にはさらに何回か青天の霹靂を経験しているのだが。


    銀行に駆け込んで副支店長に訳を話したら、副支店長が目を丸くして・・・そりゃ当たり前だが・・・え、来月ですか!?という。ええ、来月からだそうです。いや来月と言われましても、融資って来月には無理だし、みたいなごくごく常識的な会話の後、どういうわけか私は本当に来月、つまり去年の3月からここの経営者になった。


    実は去年の1月頃まで、このクリニックはその法人経営の元で大儲けをしていた。しかしその原因はコロナコロナコロナだった。つまり当時はたっぷり点数の上乗せが付いた発熱外来とコロナワクチン打ちまくりであぶく銭を稼いでいただけだった。ところがそのコロナが「もう2類でもあるまい」となった途端、ここはその本当の姿をさらけ出した。つまり、発熱外来が儲からなくなりワクチンがなくなったら、掛かりつけの患者はほとんどいなかったのだ。連日発熱患者とワクチンで立て込んでいた外来から、患者の姿が消えた。それで法人会長は、「もう儲からないからやーめた」と言い出したわけだ。


    それで、去年の2月に駆け込んだ銀行から融資が実行されたのが5月末だった。その間およそ3ヶ月で1500万あった私の貯金は0になった。クリニックの口座であれ私の個人口座であれ、ともかく金というものは一切なくなった。


    本当に文字通り一切金という金が銀行口座から消えたのが5月の第2週だった。その時は、銀行と金融公庫から融資の決定は知らされていた。つまり決定は下りていたが、実行は5月末だった。つまり、概ね2週間、クリニックにも私の個人口座からも完全に金というものが消滅した。


    思いあぐねた末、私は遂に禁断の金に手を付けた。第一生命に30年積んでいた「年金型生命保険からの貸し付け」だ。30代の頃契約したこの生命保険は、生命保険としては旧式で、入院しても4日目からしか金が下りず、あまり役には立たなかった。最近4日以上の入院というのは中年までは殆どないから。しかしこの保険の旨味は「年金型」という所だった。つまり、60歳の誕生月の前の月まで保険金を払えば、60歳になった途端、終身毎年120万の年金が下りる。そして、年金が開始される前までなら、そうやって貯めた金を必要なときに貸し付けとして借り出すことが可能だった。


    しかしこの「貸し付け」の利用は極めて危険な行為であった。なぜなら60歳になる前月までに借りた金を全額返済していないと、年金そのものが無しになる。その時は、年金分として計算された金額から借りていた金を引いた額が戻ってくるが、それだけだ。


    しかし、全ての金という金が尽きた去年5月の第2週、遂に私はその「貸し付け」に手を付けた。それも300万。


    貸し付けはそんじょそこらのATMで出来るのだが、その金を引き出したとき、私の手は振るえ、心臓は早鐘のように胸を打ち、意識を保つのすらやっとだった。だって、その時私は58歳。8月には59歳になるという状況の5月。もしこの300万を自分が60歳になる来年(つまり今年)の7月までに全額返済出来なければ、営々と30年積み立ててきた年金が消滅するのだ。しかし、融資は既に決定されていたし、融資の実行もその月の月末と分かっていた。


    しかしだからと言って、その融資の金が実際にその時点で私の銀行口座に存在したわけでは無かったのだ。あくまで実行は2週間後だった。


    1600万という金が本当にクリニックの口座に振り込まれるまでの2週間あまり、私はどうしていたか殆ど記憶がない。ともかく少なくとも私の頭の中では、私はクリニックでは医者として振る舞っていたことになっている。しかし無論家では毎晩気が狂ったように・・・いや実際狂気に囚われ、大量の酒で睡眠薬と安定剤を流し込んで布団に入ってもまんじりともせず、夜中にしばしばガバッと起き上がると心臓はドクドク、冷や汗が流れ、無論相方には毎晩のように当たり散らした。


    予定された日の朝、出勤前にコンビニのATMに立ち寄って実際に融資の金が振り込まれているのを目前にしたとき、私はまさに全身の力が抜けた。すぐさまそこから300万を下ろし、第一生命に戻した。今年の8月にその最初の年金1年分120万が私の個人口座に振り込まれたとき、私がどんな感情に包まれたかは、ちょっと私の筆に余る。


    その時、私はまさに「この世にエホバがいるか、アッラーがいるか、阿弥陀如来がいるかは知らないが、間違いなく「金の神様」はいる」と確信したのだ。


    皆さん、この世で唯一確実に存在するのは、金の神様です。金の神様だけなんです、実在するのは。


     
  • 投稿日時:2024/11/16

    一枚の、まあA4ぐらいの大きさの紙を用意します。そしてその紙を、縦線と横線で4区画に分けます。


    縦線には上向きの矢印、横線には右向きの矢印を付けましょう。縦線は「仕事の重要度」を表し、横線は「緊急性」を表します。つまり、上の右のますは「重要で緊急」、上の左のますは重要だが急ぎではない、むしろ時間を掛けてゆっくり取り組んだ方が良いことです。下の右のますは急ぎだが重要では無い事、例えばクライアントがわーわー言ってきているが内容的には重要ではない、と言うようなことです。そして下の左のますは、需要でも緊急でも無いこと、つまり下らないことです。


    今あなたが抱えているタスクを10個以内思いついて、それぞれを4つのマスに割り振ってください。もしあなたが自分の関わっているタスクを11個以上思いついてしまうなら、それはその時点であなたはタスクを抱え込みすぎだ、という判断になるので、11個目以上は問答無用に切り捨てです。要するに自分が手に負えない量のタスクを抱え込んでいるという事が既に明らかなわけです。


    それではあなたは自分の関わっているタスクを上の四つのマスに割り振ります。もしあなたがタスクの殆どを「重要かつ緊急」に割り振ってしまったら、それはその時点で実はあなたはご自分のタスクについて冷静に判断が出来ていない、と言うことを表します。だからその時は一回深呼吸して「いや、これは自分の判断が間違っている証拠だ」と考え、改めて割り振り直してください。


    さて、4つのマスにあなたのタスクを割り振ったら、まずあなたは「重要で緊急」に割り振ったことを最優先すべきです。そして「重要ではあるが緊急ではない」というタスクは後回しにしても良いが忘れないようにして、じっくり取り組みましょう。「緊急、あるいは急ぐけれども内容は重要ではない」事は誰かに振って(あからさまに言えば押し付けて)仕舞いましょう。急ぐんだから誰かがやることは必要ですが、重要じゃないんだからあなたがやらなくてよいのです。


    最後に、「重要でもないし緊急でも無い」と判断した事案は、「棚上げ」にすればよいのです。本当ならこれらは止めてしまうのがよいのですが、日本の社会や集団では「何かを自分の判断で止める」というのが極めて面倒です。だから棚上げにするのです。「棚晒し」と言った方が良いでしょう。そうしておくとこういう案件は、そのうちなんとなくうやむやになってしまうものです。ある時ふと「あー、そう言えばああ言う話があったなあ」と誰かが思いついても既にその案件は死んでいますので、それで消えていって貰えばよいわけです。


    これが私の「仕事の整理法」です。

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