石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
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投稿日時:2025/01/26
インフルエンザで4日休んだ後の金曜日、46人も来院してくださいました。みな見舞いの言葉を掛けてくれました。何回か来院し、入り口に貼った張り紙を覧て「まだ回復していないんだ」と思ってくれた人もいた(いやその、HPには出してたんですが)。
石巻人は典型的な湊町気質でがらっぱちです。だから時として心ない暴言を投げつけられることもありますが、本音は暖かいのです。農村地帯のように「情には厚いが閉鎖的」ではないし、都会ほどあっさり殺伐ともしていない。まあその・・・お世辞にも上品ではないのですが・・・4日医者が病気で休診しても患者が離れるという事はないんだなあということです。仙台なら、医者が病気で4日も休診してしまえば、みんな他所に流れてしまいます。
なんかちょっと、石巻に一歩近づけた気がしました。 -
投稿日時:2025/01/19君不見黄河之水天上來
奔流到海不復回
君不見高堂明鏡悲白髮
朝如青絲暮成雪
人生得意須盡歡
莫使金尊空對月
天生我材必有用
千金散盡還復來
烹羊宰牛且爲樂
會須一飮三百杯
岑夫子丹丘生
將進酒杯莫停
與君歌一曲
請君爲我傾耳聽
鐘鼓饌玉不足貴
但願長醉不用醒
古來聖賢皆寂寞
惟有飮者留其名
陳王昔時宴平樂
斗酒十千恣歡謔
主人何爲言少錢
徑須沽取對君酌
五花馬千金裘
呼兒將出換美酒
與爾同銷萬古愁
この李白の詩を理解するためには、様々な知識が必要です。そうでないと、これは単に飲んべえの詩人が友人に飲め、飲めと酒を強いているだけ、になってしまいます。
まず李白は、何所の誰か分からない人です。李というのは李白が生きていた唐王朝の姓です。彼は唐の玄宗にき気に入られたから李姓を貰ったのだろ宇土思います。まあ、石巻市民のおよそ1/4が阿部さんだというのと同じです。しかし白というのは、当時しばしばシルクロードの交易の民が名乗った名前です。つまり彼は、西域出身の人であった可能性が高いのです。
唐もその前の隋も、独狐氏という西北遊牧民族の血を強く引く王朝でしたから、この時代「民族差別」はありませんでした。何しろ皇帝、帝室が被差別民族の出身だったからです。
従って李白が何所の出身だろうが朝廷で差別されることはなかったのですが、しかし李白は完全に芸術家であって政治家・官僚ではありませんでした。彼はアル中だったから、毎日酔っ払っていました。しかし玄宗は玄宗で、ふと思い立ったときにいつでも李白を宮廷に呼んだのです。皇帝の命ですから参内はするものの、彼は毎日酔っ払っていますから、宮廷の礼儀なんか無視します。ついには玄宗お気に入りの大臣に足を突き出し「このブーツを脱がせろ」とやったものですからその大臣が激怒して、李白はお払い箱になりました。そのお払い箱になったとき彼が詠んだのがこの詩です。
李白はその時、一面ではせいせいしたでしょう。皇帝お気に入り大臣の機嫌を損ねて単にお払い箱で済んだのは、玄宗本人が李白を気に入っていたからです。そうでなければ殺されたはずです。
しかしやはり、彼は面白くなかったのです。俺のような天才があんな下らぬ権力に媚びを売るだけしか能が無い奴の横やりで放逐されるとは!
憤懣やるかたなかったはずです。何しろその大臣の名は、「李白を陥れた」という事だけで現代まで伝わっているのですから。
その李白の本音は
陳王昔時宴平樂
斗酒十千恣歡謔
と言う二行にだけ表されています。この陳王というのは、魏の曹操の息子だったが弟であった曹植です。曹植のもっとも有名な詩は「七歩詩」です。曹植は、兄で魏の武帝になった曹丕に徹底的に警戒され、あるとき曹丕から「七歩歩む内に詩を作れ。出来なければ殺す」と言われました。その時曹植がたちどころに読んだ詩がこれです。
煮豆持作羹
漉鼓以為汁
萁在釜下燃
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急
豆を煮て濃いスープを作る
豆で作った調味料を濾して味を調える
豆がらは釜の下で燃え
豆は釜の中で泣く
豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに
豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか
兄さん、私とあなたは血を分けた兄弟なのに、何故あなたは私をそんなに激しく憎むのですか?
この詩を聞いたとき、さすがの曹丕も思わず帝座を駆け下り、弟を抱いて泣いたそうです。
こういうこと一つ一つが詩に込められています。ただ一行があるだけで、李白の詩の真意は変わるのです。これが、中国詩の深みです。
ではどうぞ李白の将進酒を現代中国語でお聴き下さい。
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投稿日時:2025/01/18Y様
あなたからFBFの依頼を受けましたが、少なくとも現時点ではそれはお受け出来ません。その理由を以下に記します。
私はあなたを全く存じ上げませんので、あなたがどういう方なのか知るために、FBのあなたのページを拝見しました。そうしたらあなたの発言として、「立憲民主党はLGBTの権利や夫婦別姓を主張している」とあり、文脈を読むにあなたはそういうことに反対しておられるようだと私は判断しました。
私はゲイです。そして、私には1998年12月30日の夜に出会って以来のゲイの伴侶がおります。私と彼は、その日以来今日(2025年1月18日)に到るまで、人生のあらゆる苦難を共にしてきました。そのいちいちを全てご説明はしませんが、無論第一にあげるべきはあの東日本大震災です。私たちは仙台に住んでいますから、あの震災を共々経験しました。しかしあの震災は丁度昼過ぎに起きましたので、私たちはそれぞれ別の所にいました。
何度か連絡を試みた末、たった一回、私たちはお互いが無事であるという情報を直接得ることが出来ましたが、その後連絡は不可能になり、実際我々が避難所で再開出来たのは震災から4日経ったときでした。その4日間、私も彼も生き残るのに必死でしたが、しかし一時(ひととき)も相手を忘れたことはありません。4日目に避難所で再開出来たとき、私たちはお互いに人目をはばかり、密かに涙しました。私たちには、あの震災を経て、互いに音信不通になり、4日目にやっと再開出来たとき、人目を憚らず泣く権利・自由すらなかったのです。
今私は60歳、相方は56歳です。その間、人生の危難は数えきれません。それを全て私と相方は手を組んで乗り越えてきました。乗り越えられなかったときは、二人で耐えました。
そう言う私たちがどうして婚約に等しい関係を認めてもらえないのか、私はそういう見解には全く同意しかねます。
私は医師・医学研究者として、とりわけ漢方の現代医学の視点からの効果の検証やその薬理機序の解明について、少なくとも一定の貢献をした人間だと自称する資格はあります。今日本中で認知症高齢者が精神不穏になったとき第1選択薬として抑肝散(よくかんさん)という漢方薬が使われますが、その効果を世界で初めて発見、報告したのは私です。その他にも私は合計49本の英論文になった研究によって漢方・中医学が現代医学の手法によっても有効性が証明されることを世界に発表しました。しかしながら、そうした私の人生は全て、相方が後ろで支えてくれたからこそなり立ったものです。さらに、今私はそうした研究者人生は引退して自分のクリニックを構え、石巻という一地方都市で地域医療に力を注いでいますが、相方はそのクリニックの事務長として多大な貢献をしてくれています。
しかしながら現在の日本の法制度では、相方は単に私が住んでいるマンションの「同居人・居候」でしかありません。私は、順当に行けば彼より先に呆けて死ぬでしょう。私はアル中だから、通常の平均寿命よりはかなり早く認知症を発症し、死ぬはずです。しかしその時、相方が「単なる同居人・居候」であれば、彼には何の生活保障もありません。
すなわち、同性婚という問題は私と相方にとって,ニュースで聞く社会問題ではなく、「我々自身の問題」です。従って、我々、つまり私と相方は、同性婚、あるいは少なくとも社会的な権利義務関係において婚姻と同等の効力を持つ同性間の制度を切に希望し、またその実現のためにささやかながら努力しています。
そういうことですから、LGBT問題に批判的な見解をFBで公にされているあなたからのFBF依頼はお受け出来ません。ご理解戴ければ幸いです。
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投稿日時:2025/01/16
とあるクリニック。
「これは○○という病気だから、私が漢方薬を出そう。あゆみ野さんの漢方薬は止めなさい」
「これは顎関節症であって細菌感染症ではない(因みにそこは歯科ではない)。抗生物質を出すから飲みなさい」。
その患者が本当に顎関節症かどうかは疑わしいが、私の顎が外れそうになったのは事実だ。
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投稿日時:2025/01/13
石巻はまだ田舎だから、ご自分のお寺、所謂菩提寺を持っておられる方が多いでしょう。私なんか墓も寺もありません。
仏教にも色々な宗派がありますが、曹洞宗、ないし禅宗というのは大乗仏教の中では比較的原始仏教に発想が近いのです。道元が言った「仏教を習うというのは己を習うことだ」というのは、法句経(ダンマ・パダ)の有名な語句
己を州とし、他を州とするなかれ
理法を州とし、他を州とするなかれ
を想起させます。
ブッダは自分の教えを文字におこすことも、己の像を造ることも禁じました。なので、世界中の仏典も仏像も、実はみんなブッダの教えを破ってるんですが(^0^)
まあ文字にするのは、そうは言ってもブッダの死後500年も経つと話がわやくちゃになってしまったので、これはどうしても文字にしないとどうにもならんね、と言うことで仏教僧が皆認めて仏典というものに纏めたのです。そういうごく初期(と言ってもブッダの死後500年ぐらいは経っているのですが)の仏典群を「原始仏教」と呼びます。上の言葉はその原始仏教経典の中では割合纏まった内容を持つダンマパダの一節です。
「州(す)」というのは、ブッダが生きていた頃(紀元前500年頃)、北インドでは毎年雨期になると突然大洪水が起こっていたという時代背景から生まれた言葉です。つまり洪水の時必死に逃げる「州」という事です。寄る辺、と解しても良いし、後の人々は灯明と表現しました。
己と理法(この世の成り立ちや仕組みについての理解)が並べられています。無知な己は頼りには出来ません。この世、この社会はどの様に成り立っていて、どう言う仕組みがあって、そしてその中で己はどういう立場に置かれているのか、客観的に観ることが出来てこそ「己」が拠り所になるのです。無知な己を拠り所にしたら人生破滅です。
同源の有名な言葉に『山川大地日月星辰これ心なり』と言うのもあります。しかしこれは仏教概念と言うより中国の伝統的な概念です。つまり人間も含め世界の全ては気の循環だという考えです。中国伝統医学の基本概念でもあります。道元は中国の禅宗から学びましたので、彼の考えには中国哲学も混じっているのだろうと思います。
因みに道元の正法眼蔵は現代語訳されていますが、結構長たらしいものです。私はむしろ、薄い岩波文庫一冊に納まっている「臨済禅」が好きです。道元の言葉も直接ダンマパダから来ていると言うよりは臨済の言葉から学んだものでしょう。
臨済の有名な言葉に
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、始めて解脱を得ん
と言うのがあります。えらく過激ですが、要するに一切の権威にすがるなと言うのです。一切の権威を捨てて残るのは己だけです。だからこれは要するに法句経に残された
己を州(す)とし、他を州とするなかれ
理法を州とし、他を州とするなかれ
と言うことなのです。
こういう仏教の考え方は、私の臨床、特に心療内科では非常に役に立ちます。経典の文句そのものを言うことは稀ですが、患者一人一人が背負う人生の苦悩に合わせて仏典の言葉を活かせば、患者をハッと気づかせることが出来るのです。 -
投稿日時:2025/01/13まだ東北大の学生だった頃、私が憧れていた2歳上のゲイの親友(彼は私を親友として扱ってくれたが決して私の恋心は受け入れてくれなかった)とある安酒場で飲んでいたとき、
「俺は患者なんか興味ないんだ。人間が生きようが死のうが俺はどうだって良い。俺は脳の基礎研究がしたいんだ」。
と言った一言は、60になった今でも覚えている。記憶にあるのはその自分の言葉と、相手がK君だったということだけだが。K君はその時、黙って私の言葉を聞いていたが、今彼が何所でどうしているのか、私は全く知らない。
さて、結局私は人生において脳の研究に関わることにはなった。なぜなら認知症のBPSDに抑肝散や加味帰脾湯といった漢方薬が有効であることや、脳の嚥下反射、咳反射中枢が傷害されて生じる誤嚥性肺炎を半夏厚朴湯が減らすことなどを証明したからだ。
だから私はたしかに脳の研究をしたのだが、しかしそれら全ての研究は臨床研究が中心だった。臨床研究で効果が確認された漢方薬について「なにがどの様に作用しているのか」という研究は薬理学者にお願いしてやって貰ったが、自分が中心になってやった研究は全て臨床研究だった。
学生の頃、一切臨床に興味が無かった私が生涯臨床と臨床研究に打ち込むようになったきっかけが3つある。
一つは、坂総合病院で初期研修をしたとき、東北大の第二内科(今の腎・高血圧内科)が「どうしても血圧をコントロール出来ない」と言って紹介してきた患者の血圧を、坂病院の漢方医神久和先生が大柴胡湯一つでものの見事に下げたのを目の当たりにしたこと。
二つ目は、同じ坂病院の初期研修中訪問診療をしていて、「寝たきりの老人」として扱われていた人を、今長町病院の院長をなさっている水尻強志先生がリハビリテーション医学を学ぶために内地留学から帰ってきて診察し、ごく単純な装具を着けた途端、寝たきりだったはずの人がその装具を着けて隣家の友人に会いに行ったのをこの眼で見たこと。第三は、東北大学大学院に進み佐々木英忠教授(現・名誉教授)の薫陶を受けるようになってから、佐々木先生の「患者に教われ」という口癖を自然と身につけてからだ。
そんないくつかのきっかけがあって、元々脳の基礎研究にしか興味が無かった私が臨床家になり、臨床研究者になった。
まあその、学生時代までの若者の興味や理想は、全てなんでも「君、それは素晴らしいことだ!是非頑張り給え」と言えば良いのだ。その人はそのままその道を究めるかもしれないし、人生で何かを経験して全く別な道に行くかもしれない。
それは、どちらでもいいのだ。
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投稿日時:2025/01/10日本東洋医学会という学会があります。日本を代表する伝統医学の学会であると自認しています・・・周りからどう見られているかは別として。
では「東洋医学」とはなんでしょうか?
アジア大陸を西から観ていくと、まずアラブ社会にユナーニ医学があり、次いで北にモンゴル医学、南にインド亜大陸のアーユルヴェーダ医学、チベット医学、中国伝統医学(現在は中医学)、タイ伝統医学、ヴェトナム伝統医学、元は朝鮮医学だった高麗医学と韓医学、「医学」と呼べるほどの医学体系は無いものの日本には漢方医療、インドネシアなど南洋の島々にはジャムウという医療があります。私が知らないだけで、他にもあるかも知れません。
ではなにが「東洋医学」なのでしょうか?
要するに、「東洋医学」という医学はありません。アジア大陸には上記のような様々な伝統医学・医療がありますが「東洋医学」を名乗る医学は無いのです。もっとも中国語で「東洋」というとそれは海の東の向こう、つまり日本を指しますから、中国語でなら日本の漢方のことを「東洋医学」と呼んでもよいかも知れません。しかし一般に中国では日本の伝統医学は汉方と呼ばれており、東洋医学とは呼びません。
東洋医学は存在しません。
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投稿日時:2025/01/09ちょっとインパクト強すぎるタイトルにしました。
以前から風土病に分類される貧血というものはあります。例えば鉤虫による鉄欠乏性貧血とかマラリアで見られる溶血性貧血です。しかし私がここで論じたいのは、日本でごく普通に見られる鉄欠乏性貧血のことです。もう一つ、ビタミンB欠乏の貧血も取り上げます。
鉄分が多い食品というと、たいていの人がレバーやほうれん草を思いつくのではないでしょうか。しかしレバーを日常的に食べる日本人はまずいないでしょう。ほうれん草は日常的な食品ですが、残念ながらほうれん草は非常に腸管での吸収効率が悪く、要するに殆ど消化吸収されないので、どんな栄養素があろうがほぼ無駄です。単に食物線維だから便秘に良いだけです。
鉄の中でも人間の腸で吸収されやすい「ヘム鉄」を多く含む食品は動物のレバーに続いて動物の肉です。魚介類でも牡蠣には比較的多く鉄分が含まれますが、あれも毎日食べるというわけには・・・。
だからこそ日本人、特に日本人女性には鉄欠乏性貧血が多いのです。画像は私がタイのチェンマイで食べたタイの麺類「カノームチン」ですが、この画像にある黒い塊のようなものは豚の血を寒天状に固めたものです。これは、中国南部、台湾から東南アジアまで広く日常的な食品となっています。何しろ、血を固めて食べるのですから、こういう地域に「鉄欠乏性貧血」という疾患は存在しません。
ヨーロッパでも血はソーセージに入れるなどして食べられます。要するに、肉食をする人々はわざわざ動物を殺すのに肉だけ食う、なんてことはしないのです。肉も内臓も血も軟骨も、全て食います。私たち日本人が魚を丸ごと食うのと同じです。だから肉食が昔から根付いている地域では「鉄欠乏性貧血」という疾患はないか、ヴィーガン(完全に植物しか食べない人)など特殊な食習慣を持つ人でなければ起こりません。
同様に、ビタミンBが欠乏して起きる貧血も、こうした肉食文化の土地では起きません。なぜならビタミンB群は肉に含まれるからです。因みに亜鉛欠乏も肉食文化では稀ですが、日本では非常に多く観られます。亜鉛欠乏は味覚、嗅覚異常、乾燥症など様々な問題を起こしますが、当院がやっている「もの忘れ外来」では必ず初診時に亜鉛、甲状腺ホルモン、ビタミンB群、葉酸などを採血で計ります。ある患者さんは物忘れが酷いと言って家族が連れてきましたが、採血の結果かなり酷い亜鉛欠乏であることが分かり、亜鉛を薬で補充したら物忘れはよくなってしまいました。
要するにこういう疾患は全部「動物を食わない民族・地域」で起きるのです。だからこれは一種の風土病です。日本では女性が鉄欠乏性貧血になるのは当たり前のように思われていますが、実はその背景には動物食が根付いていないという食習慣があるのです。
肉食えってわけです。
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投稿日時:2025/01/0712月29日、当院は休日当番で120人が押しかけましたが、その大半が発熱で、戸外の診療(ドライブスルー)になったので、マイナ保険証ではなく従来の保険証を持ってきてくれ、と言わなければならなくなりました。なぜなら当院に鎮座ましましているマイナ保険証読み取り機は戸外に持ち出せないからです。持ち出し可能な子機はあるそうですが、一切経費の補助はないから、当院として導入するのは不可能です。
全然駄目です、マイナ保険証。
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投稿日時:2025/01/07
この暮れと正月、29日の休日当番の翌日から一週間、思い切って休診にしました。どうしてもチェンマイに帰りたかったのです。
帰りたかったって・・・?
ええ、帰りたかったのです。私は日本人で、実家は千葉県船橋市にありましたが,その実家は両親ともに亡くなった今、もうありません。売ってしまいました。
タイ・・・あるいはラーンナータイと言った方が正確ですが、その古都チェンマイは、今はタイ北部の中心都市です。今のタイ北部に、19世紀までラーンナータイ王国という国がありました。チェンマイはその都でした。従って、バンコク(タイ語ではクルンテープ)を中心としたタイ王国とは違う文化が残っています。
それで、チェンマイは観光都市として大人気なのです。今のタイ王国、つまりチャクリー王朝の視点から見れば、古都はスコータイ、アユッタヤーとなりますが、スコータイもアユッタヤーも徹底的にビルマとの戦争で破壊され、正直何も残っていません。
それに対し、ラーンナータイ王国も数百年ビルマの王朝支配下に置かれたのですが、今のチャクリー王朝のタイ王国と手を結んで独立を果たしたので、チェンマイにはラーンナータイ王国が色濃く残っています。だから外国人観光客には、アユッタヤーやスコータイより人気があります。町そのものが歴史遺産とっていいんですから。
そのチェンマイに私が通うようになってもう30年。これまで何十回チェンマイを訪れたかもう覚えていません(過去のパスポートを数えれば分かるでしょうが)。しかし今回はちょっと事情が違いました。「翻訳アプリ」が使えるようになったのです。チェンマイの旧市街にあるとある通り沿いにひっそりと建つこのクリニック。一見石巻の町のクリニックそっくりですが、如何にも素っ気ない。Community Clinicと英語で表記されています。
これは難題?と私はタイ人の旧友チェンに訊きました。そうしたらコミュニティークリニックだと。この周辺の人は、公的保険でいる陽を受けたければまずここに来なければならない。ここに医者が必要だと判断した患者だけが大病院に送られるのだと。
ほお、と思いましたが、それにしては何かが妙です。何しろ年明け最初の診療日だというのに、患者がほとんどいません。そういうクリニックであれば、年明け最初の診療日は、待合室は患者でいっぱいの筈です。特に高齢者がたくさんいるはずです。でもこのクリニックは閑散としています。
私はチェンを問い詰め、また担当者として出てきた看護リーダーも翻訳アプリを使い問い詰めました。その結果、彼らは想像を絶することを白状したのです。
ここはタイがやっている「家族計画」のためのクリニックだ。つまり「望まれぬ妊娠」を堕胎させるためのクリニックだというのです。
それで、年明け診療開始日だというのに待合室が閑散としている理由は分かりました。そう言われてみてみれば、若い女性が数人、付き添いと思われる人と一緒に来ています。患者は他にいません。
全てを知った私にチェンが説明しました。
こういうクリニックは、外国人観光客がたくさん来るバンコク、チェンマイ、プーケットなどには必ずある。そういう客が来ない町にはないよ。
このクリニックは、まさに微笑みの国の裏の顔だったのです。外国から押し寄せる観光客の中でも、「鬼の居ぬ間に」派手を伸ばした男性が夜遊びをする。その結果対の女性が「望まぬ妊娠」をしたとき堕胎に訪れるのがこのクリニックなのです。当然そういうクリニックであれば、それに付随する性病(性行為感染症)も扱うのでしょう。このクリニックはシークレットだから、医者はあなたには会えない、と看護リーダーは言いました。シークレットだからこそここは表向き民間のクリニックの呈ですが、事実上タイ政府の金で運営されているのだと思います。「微笑みの国」はたくさんの裏の顔を持っていますが、ここはその中でももっとも深刻な一つです。