石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
E=mc²あるいは色即是空
2025/05/01
E=mc²と言うのはアインシュタインが提出した有名な公式で、「物質とエネルギーは同じものだ」という意味です。
われわれは物質と言えばそこにあるもの、つまりパソコンとか犬とか石とか自分など、「目に見える物体」を想起します。一方エネルギーというのは、何か働きはあるが目には見えないものだと直感的にそう思い込みます。しかしアインシュタインのこの公式が意味することは、物質とエネルギーは等価だ、同じものだというのです。
中医学では「気」と言います。気の定義は「働きはあるが形は見えないもの」、英語で言うとSomething having function but no formです。しかしそう言うものと物質というのは突き詰めれば同じなのだというのがアインシュタインの公式です。人間の目に見えようが見えなかろうが、そんなことは問題ではない。何か働きがあるものはすなわち存在するのだ、と言うことです。
人間の目に見えるかどうかなんて、極めて時代的制約を受けることです。インフルエンザという疾患の名前は、そもそもは「星の巡りの影響を受けて発症する」と考えられたから付けられた病名です。最近SNSで有名な人を「インフルエンサー」と言いますね。つまりインフルエンスという単語は「影響を与える」という意味です。当初はそれが星の巡りの影響(influenzas)を受けて発症すると考えられたから「インフルエンザ」なんです。
ところが、顕微鏡というものが発見されると、インフルエンザで肺炎になった人の肺から、たいていある細菌が見つかるようになりました。だから世の医学者は、「この細菌こそインフルエンザの病原体だ」と考え、その細菌にHaemophiles influenzae(ヘモフィルス・インフルエンゼ)という名を与えました。お前がインフルエンザを起こしているんだ、と言うわけです。
ところがところがです。電子顕微鏡というものが発明され、細菌より遙かに小さいウィルスというものが目に見えるようになると、実はインフルエンザの病原体はインフルエンザ菌(ヘモフィルス・インフルエンゼ)ではなく、インフルエンザウィルスだったという事が明らかになりました。
ヘモフィルス・インフルエンゼという細菌の大きさはインフルエンザウィルスのざっと5倍から25倍です。「はるかに大きい」のです。だからヘモフィルス・インフルエンゼという細菌は光学顕微鏡で見えますがインフルエンザウィルスは電子顕微鏡を使わないと見えません。まさに「目に見えるかどうかが存在するかどうかではない」と言うことの例証です。
つまり、今我々の目には見えないけれども実在するものは、たしかにあります。そしてそれを最終的に結論づけたのがアインシュタインの公式「E=mc²」だったのです。
ここでいきなり我が家の家庭問題に移ります。今日晩飯時に、私と相方は大げんかしました。それは、過去に起こった事件について誰がなにを言ったという事を相方が蒸し返したからです。あの時俺がなにを思い、どう行動したか、こんなに真剣に話しているのに、お前は誰かさんがこう言ったと言って私に皮肉の顔を浮かべるのか、と私は怒ったのです。
そうなんです。心というのも一種のエネルギーです。物質が変化するように、心というエネルギーも変化します。だってエネルギーと物質は等価ですから。しかし、消えてなくなることはないんです。
目の前のペンがいきなり消えてなくならないように、感情もなくなりません。ペンは物質で感情はエネルギーですが、エネルギーと物質が等価、つまり本質的には同じである以上、物質が消えてなくならないように感情というエネルギーも消えてなくなることはないのです。喜びも悲しみも、怒りも憎しみも、そして怨念もです。善い感情も悪い感情も、結局それは心というエネルギーであり、エネルギーが物質と等価である以上、消えてなくなるという事はありません。
無くならないのです。あなたの抱えている悲しみも苦しみも怒りも憎しみも、無くなりません。なぜならそれは心であり、心はエネルギーであり、エネルギーは物質と等価だからです。あなたの目の前の雑誌とかペンが無くならないように、あなたの感情も無くなりません。
しかし、目の前のペンとか雑誌は、いつの間にかどこかに行ってしまいます。人並み外れて几帳面な人は別ですが、たいていの人は、たった今目の前に存在する何か雑多なものが、放り投げているうちにいつかどこかになくなると言うことをなんども経験しているはずです。
無論、魔法の世界ではないので、と言うよりハリー・ポッターによると魔法でもものを本当に消滅させる魔法はないというのですから、今あなたの目の前にある雑多なものがいつかどこかに消えて「あれ、あの本何所にいったんだろう」と思っても探し出せないのは、その本が物質として消滅したわけではありません。それはどこか分からないところに投げ捨てられたか捨てられたかしたはずです。
実は、物質に於いてそういうことが生じるように、感情に於いてもそういうことは生じます。「いっそ殺してやりたい」と思うほど憎らしい相手も、職場が変わり、その人物と何年も顔を合わさなくなってみれば記憶からも消え、たまに記憶に上っても「なんだあの馬鹿」で済んでしまうのです。逆にその時盛んにお熱をあげた人も、時間が経って忘れてしまうと、たまに思い出してメールしても「このメールは現在使われておりません」となります。つまり人間の感情も記憶も物質なので、変化するのです。まさに「色即是空・空即是色」です。
話は長くなりました。この辺でお終いにしましょう。要するに、憎しみとか愛情という感情はアインシュタインの公式が正しい以上物質として変化するのです。永遠の物質がないように、永遠の感情もないのです。あなたの今の憎しみも、いつかはどこかに行ってしまいます。消えはしませんが、どこかに行ってしまうのです。同時に、今あなたが誰かを心から愛していて、この人無しでは自分は生きていられないと思っていても、そういう感情もいつかはどこかに行ってしまうのです。それは過酷か慰めか。それはどちらとも言えるでしょうが、今日私が言いたかったことはそういうことです。
われわれは物質と言えばそこにあるもの、つまりパソコンとか犬とか石とか自分など、「目に見える物体」を想起します。一方エネルギーというのは、何か働きはあるが目には見えないものだと直感的にそう思い込みます。しかしアインシュタインのこの公式が意味することは、物質とエネルギーは等価だ、同じものだというのです。
中医学では「気」と言います。気の定義は「働きはあるが形は見えないもの」、英語で言うとSomething having function but no formです。しかしそう言うものと物質というのは突き詰めれば同じなのだというのがアインシュタインの公式です。人間の目に見えようが見えなかろうが、そんなことは問題ではない。何か働きがあるものはすなわち存在するのだ、と言うことです。
人間の目に見えるかどうかなんて、極めて時代的制約を受けることです。インフルエンザという疾患の名前は、そもそもは「星の巡りの影響を受けて発症する」と考えられたから付けられた病名です。最近SNSで有名な人を「インフルエンサー」と言いますね。つまりインフルエンスという単語は「影響を与える」という意味です。当初はそれが星の巡りの影響(influenzas)を受けて発症すると考えられたから「インフルエンザ」なんです。
ところが、顕微鏡というものが発見されると、インフルエンザで肺炎になった人の肺から、たいていある細菌が見つかるようになりました。だから世の医学者は、「この細菌こそインフルエンザの病原体だ」と考え、その細菌にHaemophiles influenzae(ヘモフィルス・インフルエンゼ)という名を与えました。お前がインフルエンザを起こしているんだ、と言うわけです。
ところがところがです。電子顕微鏡というものが発明され、細菌より遙かに小さいウィルスというものが目に見えるようになると、実はインフルエンザの病原体はインフルエンザ菌(ヘモフィルス・インフルエンゼ)ではなく、インフルエンザウィルスだったという事が明らかになりました。
ヘモフィルス・インフルエンゼという細菌の大きさはインフルエンザウィルスのざっと5倍から25倍です。「はるかに大きい」のです。だからヘモフィルス・インフルエンゼという細菌は光学顕微鏡で見えますがインフルエンザウィルスは電子顕微鏡を使わないと見えません。まさに「目に見えるかどうかが存在するかどうかではない」と言うことの例証です。
つまり、今我々の目には見えないけれども実在するものは、たしかにあります。そしてそれを最終的に結論づけたのがアインシュタインの公式「E=mc²」だったのです。
ここでいきなり我が家の家庭問題に移ります。今日晩飯時に、私と相方は大げんかしました。それは、過去に起こった事件について誰がなにを言ったという事を相方が蒸し返したからです。あの時俺がなにを思い、どう行動したか、こんなに真剣に話しているのに、お前は誰かさんがこう言ったと言って私に皮肉の顔を浮かべるのか、と私は怒ったのです。
そうなんです。心というのも一種のエネルギーです。物質が変化するように、心というエネルギーも変化します。だってエネルギーと物質は等価ですから。しかし、消えてなくなることはないんです。
目の前のペンがいきなり消えてなくならないように、感情もなくなりません。ペンは物質で感情はエネルギーですが、エネルギーと物質が等価、つまり本質的には同じである以上、物質が消えてなくならないように感情というエネルギーも消えてなくなることはないのです。喜びも悲しみも、怒りも憎しみも、そして怨念もです。善い感情も悪い感情も、結局それは心というエネルギーであり、エネルギーが物質と等価である以上、消えてなくなるという事はありません。
無くならないのです。あなたの抱えている悲しみも苦しみも怒りも憎しみも、無くなりません。なぜならそれは心であり、心はエネルギーであり、エネルギーは物質と等価だからです。あなたの目の前の雑誌とかペンが無くならないように、あなたの感情も無くなりません。
しかし、目の前のペンとか雑誌は、いつの間にかどこかに行ってしまいます。人並み外れて几帳面な人は別ですが、たいていの人は、たった今目の前に存在する何か雑多なものが、放り投げているうちにいつかどこかになくなると言うことをなんども経験しているはずです。
無論、魔法の世界ではないので、と言うよりハリー・ポッターによると魔法でもものを本当に消滅させる魔法はないというのですから、今あなたの目の前にある雑多なものがいつかどこかに消えて「あれ、あの本何所にいったんだろう」と思っても探し出せないのは、その本が物質として消滅したわけではありません。それはどこか分からないところに投げ捨てられたか捨てられたかしたはずです。
実は、物質に於いてそういうことが生じるように、感情に於いてもそういうことは生じます。「いっそ殺してやりたい」と思うほど憎らしい相手も、職場が変わり、その人物と何年も顔を合わさなくなってみれば記憶からも消え、たまに記憶に上っても「なんだあの馬鹿」で済んでしまうのです。逆にその時盛んにお熱をあげた人も、時間が経って忘れてしまうと、たまに思い出してメールしても「このメールは現在使われておりません」となります。つまり人間の感情も記憶も物質なので、変化するのです。まさに「色即是空・空即是色」です。
話は長くなりました。この辺でお終いにしましょう。要するに、憎しみとか愛情という感情はアインシュタインの公式が正しい以上物質として変化するのです。永遠の物質がないように、永遠の感情もないのです。あなたの今の憎しみも、いつかはどこかに行ってしまいます。消えはしませんが、どこかに行ってしまうのです。同時に、今あなたが誰かを心から愛していて、この人無しでは自分は生きていられないと思っていても、そういう感情もいつかはどこかに行ってしまうのです。それは過酷か慰めか。それはどちらとも言えるでしょうが、今日私が言いたかったことはそういうことです。