ChatGPTでずっこけた話

2025/05/04

最近私も診療にAIを活用していますが、AIは何所で拾ってきたのか、時にとんでもない答えを返してきます。今朝私はChatGPTに「傷寒論(しょうかんろん)の太陽(たいよう)、陽明(ようめい)、少陽(しょうよう)という順番を太陽、少陽、陽明に書き換えた最初の人物は誰か?」と質問したら、なんと「王叔和(おうしゅくか)だ」と返ってきたのです。なにを言っとるのかね君は?レベルの回答でした。
 
 
私が漢方・中医学を勉強しているのはご存じと思います。漢方や中医学の代表的な古典の一つ「傷寒論(しょうかんろん)」は「傷寒」という、当時猛威を振るった感染性疫病の治療法をメインに論じています。傷寒という疾患は千何百年も前に中国で猛威を振るった疫病ですから「今のどの疾患のことだ」と詮索するのは無意味です。おそらく当時中国で猛威を振るった傷寒は、今では既に姿を消しているのでしょう。しかしその感染力、致死率とも凄まじいものだったことは他ならぬ傷寒論の序文に生々しく記されています。
 
 
傷寒論の素晴らしいところは、この傷寒という疾患の自然経過を詳細に観察して、この疾患はステージングできる、と気がついたことです。基本パターンとしては6つのステージ、つまり太陽(たいよう)、陽明(ようめい)、少陽(しょうよう)、太陰(たいいん)、少陰(しょういん)、厥陰(けっちん)という順番で病態が重態になっていくというのです。だからそのステージ毎に(実際にはこの大まかな6つのステージの中でもさらに色々病態が分けられていて、その病態ごとに)、治療法を提示していきます。明らかに斬新なアイデアで、それまでの中国伝統医学には無かった考えです。著者は張仲景(ちょうちゅうけい)という人物で、後漢の末、長沙にいた人物という事になっていますが、これを真に受ける研究者は現在ほとんどいません。しかし後漢末というのはあの三国志の時代が始まるときで、その三国志時代の後ほんの短い間中国を統一した晋(しん)という国で王叔和(おうしゅくか)という人物が戦乱でバラバラになった傷寒論を再統一したという記録は残っています。と言うことは、傷寒論「初版」は本当に後漢の末頃書かれていてもおかしくはありません。だって晋代に散らばってしまったものを纏め直したという記録は残っているのですから。
 
 
その後も中国は何度も戦乱の世が続き、せっかく王叔和が纏め直した版もまた行方不明になりました。それをもう一度復刻したのは宋朝です。それで、今傷寒論と言えば宋板傷寒論のこととなっています。
 
 
しかし宋朝は北の遊牧民族にどんどん圧迫され、結局モンゴルによって滅ぼされました。モンゴル王朝である元は中国文化などあまり興味を示しませんでしたから、その宋板傷寒論もまた散逸して原本は残っていません。宋と同時代に北方の金という国にいた成無己(せいむき、11-12世紀)や元の後の明代に生きた趙開美(ちょうかいび)という人がもう一回纏め直し、あれこれ注釈を入れたものが今に伝わる最古の傷寒論です。
 
 
それで、傷寒論では6つのステージは「太陽・陽明・少陽・太陰・少陰・厥陰」だったのに、いつの間にか「太陽・少陽・陽明・・・」と陽明と少陽の順番が置き換わった本が世に流布しています。この順番を最初に置き換えたのは誰かというのが私の質問でしたが、それが晋代の王叔和の筈はありません。なぜなら彼よりずっと後の「宋板傷寒論」でもステージの順番は間違いなく「太陽・陽明・少陽・・・」ですから。
 
 
実は、「太陽・少陽・陽明・・・」と並べるのは日本の本だけなのです。中国や韓国の資料は全て元通り「太陽・陽明・少陽・・・」となっています。ですから順番を入れ替えたのは王叔和ではなく、どこかの時代の日本人です。いったいChatGPT、どこからこんな妙な情報を喰ってきたのだか。
 
 
仕方が無いのでググってみました。そうしたらグーグルにJ stageに掲載されている一本の論文が出てきました。田原英一氏らの「日本で傷寒論の順が太陽・少陽・陽明となった理由の一考察」というものです。これを読んで、なるほど江戸時代中期頃から色々な人が議論して、太陽の次を陽明より少陽にした方が臨床に良くあっていると考える人々が増え、それが現代の日本に引き継がれているという事が分かりました。
 
 
謎は解けたのですが、田原氏らのこの論文に対し、「そんなことを議論する意味あるの?」的なコメントを付けた人がいました。それに答えて田原氏は


自分は元々太陽、少陽、陽明と習った。しかし学び舎から外に出たら、様々な場面で「もともとの順番は間違いなく太陽・陽明・少陽なのに、日本の考え方はおかしい、間違っている」とまでは言わないまでも(と言うのは田原氏のエクスキューズでしょう)それに近い風当たりを感じていました、と言うのです。
 
 
実は日本で最初に堂々と「傷寒論のステージ分類はそもそも太陽・陽明・少陽であって、それを何故勝手に太陽・少陽・陽明と日本漢方は書き換えたのか」、という問題提起をしたのは他ならぬ私の「高齢者のための漢方診療」初版でした。この本が(おそらく岩田健太郎先生が共著者に入ってくれたおかげでしょうが)思いのほか売れて、「なんだか日本漢方はおかしいことを言っているらしい」ということがあからさまに言われるようになったのです。それまで日本で漢方を勉強していた人たちは、皆日本の本だけで勉強していたので「もともとは太陽・陽明・少陽・・・だった」という事すら知らなかったのです。だから田原氏の言われる「風当たり」は私の本がきっかけの筈です。ちなみにこの本は、今は新版が出ています。
 
 
しかし最近漢方界では、私はヴォルデモート宜しく「名前を言ってはいけないあの人、A man who you know」になったらしく、誰も私の名前は挙げないのです。しかし名前は挙げられないけれども私の仕事はこうやってまたしても日本漢方の「事実」を一つ明らかにすることに繋がりました。日本漢方に「風を当てた」のは、悪くなかったようです。


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