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映画「フロントライン」を観て。ダイヤモンドプリンセス事件の顛末。

2025/06/28

話題の映画「フロントライン」を見た。コロナ禍の中で起きた巨大国際客船ダイヤモンドプリンセスの中でコロナの集団感染が起きた事件を映画化している。高山義浩医師と岩田健太郎教授についてはあまりにも生々しく、そのままの言動が映画に上っているのだから、もはや彼らの名前を廃薬の名前で呼ぶ意味すら無いだろう。


なにしろ、横浜港に入港した巨大客船ダイヤモンドプリンセス船内でコロナの集団感染が起きたという事態に、横浜市と感染症学会関東支部が協力を拒否したという事実がここでは明示されている。こう言うことは、映画であっても嘘を書けばかならず当事者からの抗議を受けるのだから、横浜市が対策本部を設けず、感染症学会の関東支部が協力を拒否したのは事実に違いない。


さてこの映画の中で実際には高山義弘先生である役名立松信貴と岩田健太郎教授であることは現実として否定が難しい岩田健太郎教授のやりとりが紹介される。映画では圧倒的に岩田先生、役名では古賀教授が無茶苦茶を言って自体をかき回したように描かれているが、現実にその時日本国内で自分自身新型コロナに対峙していた臨床医である私から覧れば、当時の岩田教授の指摘は正当だったし、かつそれに一問一答形式で反論した高山医師の対応も正しかった。
そもそも頭から日本国の対応が不適切だった。つまり、パンデミックに対して何らそれを任務として要求されておらず、従って感染防御の基本的訓練も受けていないDMATを対応にあたらせた。それ自体がそもそも「間違い」なのだが、ではあの時日本にパンデミックに対応できる組織があったかというと、無かった。日本版CDCが設立されたのは、なんと今年の4月、つまりたった2ヶ月前だ。しかも楚の組織は従来あった二つの国立の組織を統合したものであって、設立総会で理事長が「二つの組織の隙間を埋めて」と挨拶している。つまり、現時点で隙間が存在するのだ。


ダイヤモンドプリンセスの事件が起こったのが2020年なのに、日本版CDCが形ばかり作られたのが楚の五年後でアル今年の4月というのだ。


頭から対応は間違っていたわけだ。


しかもこの映画は当時の状況を忠実に再現していると思われるが、船内に入って対応に中った医療班が付けているのは普通のマスクと、今では新型頃には何の効果も無いと判断されているアクリルマスクだ。
あの当時は新型コロナの感染経路自体が不明だった。少なくとも飛沫感染は起きていると考えられたからマスクとアクリルフェイスマスクだったのだが、今では新型コロナはエアロゾル感染という、感染対策上は限りなく空気感染に等しい感染をすることが分かっている。


しかしあの時は岩田教授もその知識は無かった。なぜなら世界中誰も新型コロナの正確な感染方式は分からなかったから。


そう言う中で感染症学会は真っ先に逃げ出した。高山医師は臨床感染症学の専門家だが、さすがに一人では心細かったのだろう、岩田教授がDMATの一員として乗船することを彼の専決で許可した。こう言うところが高山医師の凄いところなのだ。高山義浩医師は少なくともあの時、厚労省の医務官という立場だった。かれは沖縄県立中部病院と厚労省を何故か行き来しているのだが、その背景には色々な政治的な理由があるのだろうと私は考えている。しかしそれはともあれ、あの時高山医師は神奈川県が設置した対策本部に厚労省担当者として乗り込んだ。そして、「DMATの一員として現場を見たい」という岩田教授の申し出を、おそらく事実上彼が自分の一存で許可した。しかしその条件は「岩田教授は臨床感染症学の専門家として現場を見るが、それについては自ら支持指図するのではなく、厚労省から対策本部に派遣された医務官であってかつ岩田教授とも議論が出来る高山医師に現場を見た見解を伝える」という事だった。ところが現場に入った岩田教授はあまりにも感染防御の基本が無視されている現状に言葉を失い、その場で支持指図し始めてしまった。それで現場が困り果て、事実上「追い出された」。岩田教授を現場に入れたのは高山医師だったから、それで高山医師も現場の突き上げを喰らったはずだ。だから高山医師は岩田教授の指摘にSNSで一問一答形式で回答し、反論した。その結果、岩田教授は自らのYouTube画像を削除した。


この経過は、今から見れば実に残念だった。岩田教授が臨床感染症学の専門家として指摘した現場のミスは、全て彼の指摘通りミスであった。だからその限りでは岩田教授は正しかった。しかしそこで岩田教授があまりの事態に仰天し、自ら減で支持指図を始めてしまったのはやはりマズかった。要するに彼は高山医師の計らいで半ば内密にDMATの一員として現場に入ったのだから、自分の見聞はいきなりネットではなく、また現場で指示指図するのでもなく、岩田教授の指摘を理解する能力があった感染症の専門家である高山医師に直接伝えるべきであった。つまりせっかく自分以外の臨床感染症学の専門家でアル岩田教授に現場を見てもらいアドバイスが欲しいと思った高山医師の思いとは反する行動を岩田教授は「思わず」取ってしまった。それは、たしかに現場があまりにも岩田教授が理解している感染病魚策とはかけ離れすぎていたからだろうが、それでも岩田教授は自分が現場に入った経緯を思えば、そこでぐっと堪えて自分の意見を高山医師にまずは伝えるべきだった。


岩田教授はアフリカのエボラ出血熱など、感染=死亡という危険な感染症の現場に乗り込んで仕事をしてきた人だ。だからそう言う国際感覚をちょっと「持ちすぎていた」。エボラ出血熱の現場ならいかなる政府の政策の法律も無視して良かっただろうが、日本という完全な規制社会でベストを尽くせたのは彼ではなく、高山医師であったという事だ。しかしそもそも岩田教授をDMATの一員ということにして船内に高山医師が入れたのは、もともと関係者の中で臨床感染症学が分かっているのが自分一人という状況に耐えがたかったからだと思う。だからこそ高山医師は岩田教授の「自分が船内に入り、臨床感染症学の専門家として自体を判断したい」という申し出を受け入れたのだろう。


事態はあまりにも混乱しすぎていて、高山医師と岩田教授の間で事前に綿密に意思統一を図るのは困難だったのだろう。だから岩田教授は彼流に行動してしまい、彼の指摘はほぼ全て正しかったにもかかわらず自体の混乱を招いた。


誰が一番悪くて責任が会ったかと言えば、それは間違いなく日本政府だ。そもそもあの時感染症パンデミックに対応する組織を作っていなかった日本国というもの自体が悪い。しかもあの事件を契機としてつくられた「日本版CDCもどき」が発足したのがやっと今年の4月というこの遅さ。


これは間違いなく「悪い」と言える。他の人々は、あの混乱の中、それぞれベストを尽くしたがやはり混乱や情報の意思疎通は上手くは行かなかったと言うだけだ。


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