高齢者とそのご家族に大切な話

2023/09/29

ご高齢のご家族がおられる方に大切なお話です。

80,90を過ぎて多少物忘れがあってもおうちでそれなりに元気に暮らしているお年寄りっています。でもご高齢になれば急に体調を崩す場合は良くあります。そういうとき、家族はもちろん慌ててしまいます。しかしその時、この話を思い出してください。

80も半ばを過ぎた人が急に具合が悪くなる。家族は救急車を呼びます。しかし「救急車を呼ぶ」ということの意味をご存じの方は、実はそう多くないです。

救急車を呼ぶというのは、救急病院に運んで救命しろという意味なのです。それがどうしたって?

救命しろという事は、救急外来に搬送されて呼吸が怪しければその場で気管挿管(気管支に管を突っ込む)をされ、人工呼吸器に繋がれます。心臓の拍動が微弱なら心臓マッサージを受けます。肋骨が何本か折れますが、それぐらい強くやらないと心臓マッサージは意味をなしませんので、やります。

運良くそれで命が長らえても、こういう非常にご高齢の方の場合、大抵それで寝たきり、植物状態になります。そういう人を救急病院は何時までも入院させておけないので2週間ぐらいで老人病院に移します。その時は自分で口からものを食べられる状態でないことがほとんどですから、鼻から栄養の管を入れられます。あるいは高濃度の点滴が出来るよう首に太い点滴が刺さった状態で老人病院に送られます。

そういう鼻から管を入れられた状態、首に太い点滴が刺さっている状態は、意識がほとんど無い高齢者にとっても不快です。不快だから抜こうとします。抜かれると困るので両手を抑制されます。ソフトなやり方は自分では外せない手袋(ミトン)を付けさせられることですが、寝たきりのご老人でもミトンを上手に外してしまう方がいて、その場合は両手をベッド柵に布で縛り付けます。

その時になって「それは止めてくれ」と言っても遅いのです。そういう状態になったらその人は口からものを食べることは出来ないと看做されますので、そういう人の栄養チューブを抜いたり太い点滴を外すと、医者は殺人罪に問われる可能性があるため、出来ません。何年もその状態で過ごし、何回も肺炎をくり返したあげく、家族が「もうこれ以上は良いです」と言うまでその状態で治療(拷問といった方が良いでしょうが)は続きます。

認知症で始末に負えない高齢者を施設に預けることは良くあります。家ではとてもみられないお年寄りを施設に入れると「やれやれ」とほっとしますが、ほとんどのご家族は施設に入れる時確認するべき事があるのを知りません。

「その施設は看取りをやってくれるのか」

と言うことです。福祉施設と言っても色々ですが、看取りまでやってくれるところとやらないところがあります。ウチでは看取りはしません、と言うところは、そろそろかな、と思ったらその人を病院に送ります。死ぬのは病院で診てくれ、と言うわけです。しかし「もうそろそろ」と施設の職員が気がつかないままその人が息絶えてしまうことがあります。看護師が巡回したら呼吸が止まっていた、と言うようなケースです。看取りはしないという施設では、そういう時は救急車を呼びます。そうすると話は振り出しに戻るわけで、齢90にもなる高齢者が自然に息を引き取ったのに、気管挿管して心臓マッサージをして肋骨をポキポキ折ることになるわけです。

80を超えた高齢者がいるお宅では、その人が万が一の時どうするか、よく考えて置いた方が良いです。特にその人に判断能力があれば、御本人の意見をしっかり聞いておきましょう。そしてかかりつけがあれば、かかりつけの先生に「いざというときの対応」を相談しておくと良いです。

当院でも何人かそういう高齢者を診ていますが、そのご家族にはきちんとこういうお話をして、急変した時どうするか、あらかじめ相談します。高齢者は大抵夜中に急変するのですが、私は毎晩晩酌をしていますから、夜中車で駆けつけるという事は出来ません。その代わり、夜中息が止まったら翌日お看取りにいきます、日中なら日曜祝日でもいきますが、夜には行かれませんよとお話ししてあります。高齢患者の急変にどう対応するかは医者によって違うでしょうから、かかりつけの先生とよく相談しておく方が良いです。

ウチのばあちゃんはかかりつけが大病院だからいざというときは大丈夫というのは間違いです。かかりつけが大病院だから急変したら救急車でそこに運ぶという事になれば、冒頭に説明したようなことになるからです。急変したから救急車呼んだけど救命はしないでくれというのは通らないのです。救急車で救急病院に運ぶというのは救命しろって事なんですから。
こう言うことは、日頃からじっくりと考えておきましょう。

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