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  • 投稿日時:2024/10/30

    当院でもHPVワクチン、別名子宮頸がんワクチンを積極的に接種しています。

    HPVワクチン(子宮頚癌ワクチン)というのは、HPV、ヒトパピローマウィルスの感染を予防します。人間の癌のなかでも子宮頚癌はこのヒトパピローマウィルスに感染しない限り、絶対に発がんしません。ウィルスと癌とには時々そうした強い関連性があります。当院で実施しているシルガードはHPV感染を80%から90%予防するから、子宮頚癌そのものを80%から90%予防することが出来ます。

    子宮頚癌は、女性1万人当たり毎年132人が発症し、34人が亡くなります。その人達は、HPV感染を防げば0に出来るのです。該当する年代の女性には自治体からお知らせが届いて、毎年決まった時期に摂取すると全額補助が受けられ、無料になります。あれは、絶対に受けた方が良いワクチンです。無論ワクチンですから色々な副反応はあるのですが、死に繋がる子宮頚癌を予防するためには絶大な効果があります。何しろ、HPVと言うウィルスに感染しなければ、子宮頚癌というものには絶対にならない」からです。


    医療機関も民間であれば、日々の売り上げで必死になります。当院もそうです。しかし医療機関である以上、売り上げよりはるかに重要なことがあります。


    人の命を守り助ける・・・このことです。


    子宮頚癌ワクチンって、一人あたり粗利は7千円です。インフルエンザと違い受ける人はそんなに多くはないので、クリニック経営にはたいして関わりません。しかし、このワクチンは「女性を子宮頚癌に掛からせない」という、金には換えられない価値があるのです。だからこそ、毎年助成期間の連絡が届いたら、該当する方はぜひ受けてください。子宮頸がんワクチンをめぐっては、ワクチン反対派が有る事無い事を騒ぎ立てるのですが、「毎年130人以上の女性に発症し、30人以上が亡くなっているがんを80%から90%予防できるワクチン」なのだと言うことをきちんと知っていただきたいのです。
     

  • 投稿日時:2024/10/23
    裏千家だかなんだかの家元が、大学で講義をしているそうだ。ところが彼が講堂に入っていっても、学生は知らん顔。私語はするわ、スマホをいじくるわ。それで家元はカチンときて、


    「君たちは学問をする志があるのか!」と怒り、それ以来講堂に入ると自分で「起立!礼!」と言うことに決めた。


    というインタビュー記事を読んで私が感じたのは、それはその大学のレベルが低く、かつあなたの講義もつまらないからじゃないの?と言うことだった。


    文科省が「医学部で漢方を教えろ」と言い出したとき、あちこちの大学が困った。何しろ何所の大学の医学部にも、漢方を教えられる教員がいない。それで東北大漢方内科准教授だった私は、全国から引っ張りだこになった。今覚えているだけでも岩手医大、福島県立医大、山形大、そして東大から漢方の講義を頼まれた。無論東北大でも漢方を教えた。


    岩手医大、福島県立医大、山形大のような大学は「駅弁大学」と言われる。各県に最低一つは医学部を置きますという国の方針の下作られたからだ。各県に一つだから、駅弁というわけだ。


    駅弁大学の医学部生は、その土地のガリ勉だ。地方で一生懸命勉強したけれども東大、東北大は無理という連中が入ってくる。彼らはともかく勉強熱心である。講義をすると、ひたすらノートを取る。最初から最後までノートを取り、一言も書き漏らすまいとするのだが「質問は?」と聞いても誰も手を挙げない。ともかく授業は丸覚えすればよいと思い込んでいる連中だ。


    ところが東大で講義したときは仰天した。東大の老年内科が漢方の講義の主幹になったから、私は「高齢者医療と漢方」という題で自分の八味地黄丸とか抑肝散、半夏厚朴湯などのRCTデータを次々出した。最初は講義だったのが、途中から次々と質問の挙手が上がり、それに答えている内にいつしか講義はディスカッション、セミナーになった。東大の学生はたいしたものだと思った。


    東北大はと言うと、准教授の私が講堂に入っていっても学生は見向きもしない。平気でケータイ(まだスマホはなかった)をいじくり、ちょっと真面目な学生は他の講義の予習をしている。それは何故かというと、私は東北大学で初めて漢方医学の講義をしたのだ。だから学生達は「どうせこれは試みの講義であって、試験問題なんか出ないだろう」とたかをくくっていた。試験問題に出ないものは聞く必要は無い、というドライな判断の下、彼らは私の講義を聴かなかったのだ。


    ところがこの学年は数年後、ぎょっとする羽目になった。何故なら、私が講義をしたこの学年が卒業するその年から、東北大学医学部は卒業試験に漢方の問題を出題することになったからだ。


    医学部の卒業試験に受からなければ、当然医師国家試験も受験出来ない。医師国家試験は医学部を卒業したものだけが受けられるからだ。その卒業試験に漢方の問題が出ているのを目にした彼らは、心底ぎょっとしたことだろう。


    実は卒業試験に漢方の問題を出すかどうか、医学部内で相当揉めたのだ。反対する教授も多かった。しかし最終的に色々と根回しをした結果、一題出すと言うことになった。私はその問題は、誰でも解ける問題にした。たしか甘草の偽アルドステロン症を答えさせる問題にしたはずだ。そうしたら、その問題の正答率が非常に高かった。すると、医学部の教育委員長(私の同級生だった)が私を呼び出し、「先生の問題はよくない」という。同級生だから私も遠慮会釈なく「いったい何が悪いんだ!?」と訊いたら「殆ど全員が正解した」という。彼曰く、優れた試験問題というのは、ちゃんと勉強した学生の正答率が高く、不真面目な学生は間違えるように作るべきだというのだ。


    まあそれはそれで一理あるのだろうが、私は東北大の歴史始まって以来初めて医学部の卒業試験に漢方の問題を出したのだから、なるべく全員が最低限知っているべき事を問題として出し、殆ど全員が正解するようにと思って出題した。だから私は彼の指摘を一蹴し、「これは東北大学建学以来初めての卒業試験の漢方問題なんだから、ほぼ全員が正解出来るように作ったんだ、それでいいんだ」と突っぱねた。


    いずれにせよ、その年を皮切りに東北大では学年毎の試験にも卒業試験にも、だんだん漢方の出題が増えていった。医師国家試験ではまだ漢方を正面から問う問題は出されていないが、先ほども書いた通り、医学部の卒業試験に合格して医学部を卒業出来なければそもそも医師国家試験は受けられないのだから、今東北大学医学部の学生は必死で漢方を勉強している。


    半年ほど前、私の後任である東北大漢方内科の高山真特命教授から電話で直接言われたのが「私はあなたのせいで正教授になれないのだ。あなたが杉田水脈と揉め事を起こしたからだ」というものだ。その電話を限りに私は高山先生とは縁を切り、電話もメールもブロックした。私が東北大学の臨床教授だったのはもう随分昔だ。大学を去って三年ぐらい、要するに高山君が独り立ちするまで臨床教授として裏で面倒を見たが、彼がそこそこ自分でやるようになって「もうよかろう」と私はその職を辞した。以来私は東北大とは一切関係ない。だから彼が正教授になれない原因を私に持ち込まれたって困るのだ。教授になるなれないはひとえに本人の問題だ。彼がまだ大学院生だった頃、私は上に書いたように東北大に必死に漢方の種を蒔き、それが今は東北大学附属病院漢方内科という常設の診療科となったのだから、彼が私を恨む理由など何一つない。


    ま、色々還暦を過ぎると昔話ばかりになって、自分でも嫌なことだ。


    https://www.ayumino-clinic.com/
  • 投稿日時:2024/10/22
    政府が能登で意図的にサボタージュを行っているのはもはや誰の目にも明らかだ。発災から11か月、現実には手をこまねいて「何もしない」姿勢を貫いている。補正予算も組まないし、復興の見通しも示さない。


    要するに政府は「このまま何もしなければ住民はやむなく他に移住するだろう。それでいい」と考えている。


    実は能登の復興は不可能だという点では、私も政府と一致する。それどころか、それなりの立場の人々数人とそう言う話題で話し合ったが、能登で東日本大震災の時のような大規模な復興事業を行うべきだと考える人は、誰一人いなかった。多少ともものが見える人間は、元々衰退が止まらなかった半島があれだけ深刻な自然災害を、しかも立て続けに2度も受けてしまっては、もはや撤退止む無しだと考えている。



    しかしそれなら、政府はその方針を、どんなに地元住民が腹を立ててもはっきりさせ、住民をこんこんと説得し、きちんと移住先を提案し、もはや故郷に戻れない人々が新たな暮らしを始められるように全面的に支援するべきだった。ただ手をこまねいていれば住民が勝手に逃げ出すだろうというのは、あまりにも無責任だ。


    やはり今の政府は、完全に政権担当能力を失っている。被災者の説得なんか出来ないしやる気もなく、単に素知らぬ顔をしていれば自然に誰もいなくなるからそれでよいなどと言うのは、もはや政治じゃない。そんな政府に税金なんか払わなくてよい。


    倒してしまえ!
     
  • 投稿日時:2024/10/14
    昨日の講演会はとあるサプリメーカーが主催する、薬剤師が中心の講演会だった。講演の後の「交歓会」はお義理でほんの10分ほど出ただけだったが,ある薬剤師が「これまで医者からこんな話を聞いたことがありません。こんなこと言って良いのかという内容ばかりで非常に面白かった。だけどこういう生き方をしてくると、先生大変だったんじゃないですか?」と聞いてきた。


    それで私はこう答えた。


    「ええそうですよ。私は普通皆が「これは言わない方が良い」という事しか言いません。そして大勢が「言わない方が良い」と考えることと言うのは、大抵真実なんです。もちろん、私はそのために色々と面倒を被りました。日本東洋医学会からは追い出されたし、私は東北大漢方内科の実質的設立者ですが、今東北大漢方内科に私の名前は残っていません。消されています。でもね、他人が私をどうこう言うことは、要するにあちらの問題なんです。私の問題じゃないんです。だからそれは私にとってはどうでもいいんです」。


    声を掛けてきた人はあっけにとられたような顔をして黙ってしまった。その頃合いを見て私は交歓会から姿を消した。
     
  • 投稿日時:2024/10/12
    ある20を過ぎたばかりの女性はパート先で絶えずセクハラ、パワハラを受けていました。彼女はそれに耐えられなくなり、私のクリニックの心療内科に受診したのです。


    彼女が受けたセクハラは、語るもおぞましいものでした。私は彼女の心が負った傷の深さをまざまざと目の当たりにし、一度は彼女を黙って退職させて転職させようと思いました。しかし、しばらく彼女の話を聞いたあげく、私は彼女にこう話したのです。


    あなたの上司の行為は明らかにセクハラ、パワハラであり、もっとも卑しい行為です。あなたの心がそれに深く傷ついていることは分かります。だから普通であれば、あなたを黙ってその職場から退職させ、傷病手当を申請して休業期間をおいた後に転職させるのが常道です。


    しかし今あなたのお話を伺うと、あなたは奴らのあまりにも忌まわしい言動で、深く深く心が傷ついています。そこから逃げるというのは最も簡単ですが、その場合、あなたは一生「自分はあのような卑劣な連中から逃げた」という心の傷を負うことを私は心配します。あんな理不尽な、不当な暴力を受けたのに、私は戦わずに逃げたという記憶は、あなたの心のもっとも深いところに傷を残すと思います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまう可能性があります。私は今からあなたが受けたパワハラ、セクハラを全て詳細に診断書にします。それを持ってすぐこの足で労働基準監督署に行きなさい」。


    彼女はしばらく黙って逡巡していましたが、やがて深く頚を縦に振りました。そこで私は女性看護師を同席させ、彼女が受けたセクハラ・パワハラを具体的に供述させ、それを全て「石巻労働基準監督署ご担当者宛」という診断書にまとめました。末尾には「これは明らかなパワハラ・セクハラであり、労災に該当すると考えるのでよろしくご対応ください」と書きました。


    その若い女性は、その診断書を持って、本当にすぐに石巻労基署に行きました。労基署は対応が遅いので有名ですが、その診断書を読んだ担当官はその場で「ではこちらが会社に事情を聞きます」といい、会社に直接説明を求めたのです。


    会社にとっては万事休すでした。まさか20そこそこの女性パートの話が労基署を動かすとは夢にも思わなかったのでしょうが、そこから話は急展開し、パワハラ・セクハラをやっていた上司二人は罪を認め、本社総務部長が患者の家に謝罪に訪れました。当然、労災として認められたのです。


    苦しみから逃げるだけではいけないのです。戦わなければならないときと言うのはあります。もしその時自分を襲った理不尽な暴力暴行から逃げたら一生「自分は逃げた」という心の傷を負うというとき、人間は戦わなければなりません。立ち上がり、敵と戦うのです。もしそれで負けても「私は力の限り戦った」という記憶が残りますから、それはPTSDにはなりません。しかし「自分は逃げた」という記憶は一生その人の心を引き裂くのです。だから、どんなに辛く、どんな深い傷を負っていても、戦わなければならないときは、戦うのです。


    彼女には、勇気がありました。若き英雄に乾杯!
     
  • 投稿日時:2024/10/12
    あゆみ野クリニック院長として、私は次の通り声明します。


    線維筋痛症は存在しません。それは架空の概念です。架空の概念の治療はありませんから、当院は線維筋痛症の治療などと言う、「存在しないものの治療」はお断りします。
  • 投稿日時:2024/10/12

    要点
    1. 医療過疎の本質は患者過疎である
    2. 地方では高齢化を通り越し、高齢者人口自体が急速に減少し、医療も介護も産業として成り立たなくなっている。


    またぞろ国が医療過疎対策として妙なことを言い始めたようだ。経験を積んだ40代、50代の医者を医療過疎地域に派遣するという。


    40代、50代と言えば、生活費、子供の養育費が一番掛かる年代だ。医者自身の人生の岐路でもある。人生の勝負時だ。過疎手当をいくら積んだからと言って、そんな年代の医者、いや平たく言えば人間がおいそれと過疎地にいけるわけがない。要するに、こんな話に乗る医者はいない。


    石巻市でも医療不足は深刻だ。とりわけ、救急、産科、小児科の不足が著しい。救急を担うのは市内では日赤一箇所しかなく、ご立派に復興再建された石巻市立は殿様商売で赤字を垂れ流している。


    産科は日赤と民間が一箇所。小児科のクリニックは複数あるが、特に東部に少ない。石巻市が「市の東部に産婦人科か小児科が進出するなら初期投資の半分、五千万まで補助する」と言ったが、一軒も手を挙げたところは無かった。しかも石巻市は「在宅診療所なら市内何所でも同条件で補助する」と言ったが、これも応じたところはなかった。


    何故これほど破格な条件を出しても医療機関は応じないのか?答えは簡単、採算が見込めない。初期費用を補助して貰っても、診療の採算が取れないことが明白な以上、何所もそんな話には乗れない。


    では何故採算が取れないのか?これも答えは簡単で、石巻東部地域では若い妊産婦も子供も激減しており、今後さらに激減することが予想されているからだ。対象患者層の人口が今でも少なく、今後さらに急激に減少することが分かっているのでは、採算が取れるはずがない。


    もうこれは鶏と卵なのだが、そもそもそういう地域では医療だけが不足している、なんてことはない。生活に必要な殆どのものが不足している。さらに言えば、人間の数そのものの減少が著しいのだ。従ってそういう所にはスーパーもコンビニも出店しない。出店しないから住民はどんどん不便になり、ますます人口は減少する。要するに、過疎地域で医療だけ提供したって無駄なのだ。消滅まっしぐらなのだから。


    では何故訪問在宅診療所も手を挙げなかったのだろうか。


    理由は2つある。1つは今年の国の診療報酬大改訂で在宅関連は大幅に点数が下がったこと。すなわち国は、これまでの在宅に軸を置いた高齢者医療介護政策の方向転換を計っていることが明確になった。これは当然だ。何故なら訪問診療では一人の医者は半日でどんなに頑張っても患者を10人しか診られない。そして半日で10件回る訪問診療というのは3分診療と同じで、粗雑そのものだ。一方外来診療なら、半日で50人診療する医者はざらだ。すなわち訪問診療、在宅医療は極めて効率が悪い。丁度今から団塊の世代が後期高齢者になり、やがて数年後には介護が必要な状態になる。その時、こんな不効率なやり方では到底対応出来ないことを、国もやっと認めたのだ。今後高齢者介護、医療は施設中心にならざるを得ない。そんな田舎町でえっちらおっちら医者を軽自動車で廻らせるより、地域の患者を纏めてマイクロバスで医療機関に運んできた方がずっと合理的だ。デイサービスだってマイクロバスで利用者送迎しているのだから、医療機関も同じことをすればよいのだ。


    もう一つの、もっと根源的な理由は、今地方では高齢者人口そのものが急激に減少しているという事だ。地方の高齢化という言葉は使い古されているが、今実際に地方で起きているのは、高齢者人口の減少。すなわち、在宅医療も在宅介護も、そして介護施設も、対象になる高齢者そのものが減ってしまい、採算が成り立たない。だから閉鎖撤退するところが急激に増えている。つまり現実は医療過疎ではなく、患者過疎なのだ。


    こう言うところは要するに地域としてもはや成り立たないのだ。成り立たないところに医者だけ持ってきても、介護施設だけ持ってきても、なり立たないものはなり立たない。居住権云々とは言っても、要するにそういう所にもう人間は住めないという事だ。人々が自然に消え去り「やがて誰もいなくなる」のを待つしか無いのだろう。

  • 投稿日時:2024/10/11
    今日、石巻では一番有名な精神病院から「御本人の希望により、今後この方の診療は貴院にお願いします」という患者が来ました。私は本人には、「私はあなたを治療出来ませんから治療しません。それは、私は内科医だから胃がんを切って治せいないと同様、あなたは治せないという事です」と告げました。


    しかし紹介元の精神病院には「この者は詐病であるから治療はお断りします」と返信しました。


    その人は、ありとあらゆる、どの領域の専門家が調べても全く原因が分からない、説明が付かない症状を呈していました。あらゆる専門家が「原因不明」と言い、しかし本人は障害者手帳を持っていました。


    無論医学は万能では無いので、いくら検査や診察をしてもその患者の病悩の原因が分からないという事はあります。しかし、その反対もあるのです。


    人生経験を充分に積んだ医者は、別に検査しなくても「これは詐病だ」と見抜きます。詐病を証明する検査というものはありません。採血して何かの数値が上がり下がりしているからあなたは詐病だ、なんていう検査はないのです。その「自称患者」が詐病かどうかは、まさに医者の人生経験、医者としての人生経験で判断するしかない。検査ではないのです。


    私は本人には
    「私はあなたを治療出来ません。それは、私が内科医だから胃がんを切って治せないと同様、私はあなたを治せないのです。だからあなたの治療は出来ません」。


    と言いました。その患者は困った表情で「では私はどうしたらよいのでしょうか」と言いましたが、私は冷徹に


    「私には分かりません。ともかく、私はあなたを治療出来ません」と言い放ちました。


    ここから先は想像ですが、その人は最初は何か具合が悪かったのでしょう。しかし「具合が悪い」という事で、その人はなんらかの「疾病利得(しっぺいりとく)」を得たのだと思います。病人だと認定されることで社会から配慮してもらえた。それがその人に、まるで抗精神病薬のように、あるいは覚醒剤のように、麻薬のような効果をもたらしてしまった。「この人は病人なのだ」と社会が受け取ったが故に、その人はそれまでどうにもならなかった生き辛さの一部を解消出来た。


    ところが、その経験がその人にとっては負の学習効果になり、その人はその後ずっと「病人」の仮面を被るようになったのです。その仮面はどんどんエスカレートし、精神症状だけでなく身体症状をもおこすようになった。様々な不可解な身体症状が起きたから、その人はありとあらゆる専門病院に受診したが,どの医者も「原因不明」で終わった。


    おそらく、その人に関わった医者の多くが「こいつは詐病だ」と気がついてはいたでしょうが、しかし「お前は詐病だ」という診断は、限りなく困難です。本人が嘘をついているという事を証明することは難しい。


    そうして20年の時が流れるうち、その人が被っていたはずの仮面は次第に本人の皮膚や肉に食いつき、離れがたくなってしまった。もはや仮面を脱ごうとしても、脱げないのです。仮面は癌になりました。


    自分が作って被った仮面が精神の癌になり、自分のこころと切り離すことが出来なくなった。つまり癌で言えば「根治手術は不可能」となったわけです。


    しかし、癌と違い、これは要するに、自業自得です。自分が被って疾病利得を受けていた仮面がいつしか自分で剥がせなくなり、血肉とくっつき、自らの精神、人格に浸潤し始めた。


    癌で言えば第四期、治癒不能です。


    病気の仮面を被ると、いつしか治癒不能になるということは、よく覚えておきなさい。
     
  • 投稿日時:2024/10/09
    70代が深夜の交通整理の仕事しか見つからないから食事は1日一食なので「夕食後の糖尿病の薬」は飲めない。二人の子供を抱えたシングルマザーは子供が入院して休んだら就業日数が足らなくなってクビ。深い事情は聞かなかったが金のために昼と夜の仕事を掛け持ちしている女性は爪は派手に塗り立てているが顔色があまりにわるいので貧血を疑って採血、息子が自殺した母親は毎晩眠れないが夜になるとパニックを起こす娘が心配で睡眠薬は飲めない・・・。石巻の場末の診療所から見える風景だ。


    誰か国を治す医者はいないのか!
     
  • 投稿日時:2024/10/08
    視床痛というものすごく難治性の疾患を長年患っている方を東京の中医学鍼灸をしている有名な鍼灸院にご紹介したら、患者さんから「一回受けただけで十何年も続いてきた痛みがほんの少しだが軽くなり、治療を受けた部位がぽうっと暖かくなった」と言われました。無論その人には私も煎じ薬治療をしています。煎じ薬治療である程度の反応はあったのですが、あるところで改善が止まったことと、お話をよく伺うとどうもこれは経絡阻滞が強く関係していると考えたので鍼灸院に併診をお願いしたのです。


    煎じ薬治療もこのような非常に難治な症例に対する鍼治療も、完全な「個の医療」です。その人個人をよくよく診察して、まさに「その人にとってベスト」な煎じ薬や配穴を行います。


    しかし、そのように非常に難しい患者さんに対し煎じ薬や中医鍼灸を行って効果を出すためにこそ、弁証論治が精確で、配穴や生薬の取捨選択が適切で無ければなりません。こう言う治療は、どこそこの痛みにはこのツボとか、女性の冷えにはとりあえず当帰芍薬散とか言うレベルの医者や鍼灸師には完全に不可能です。中医学弁証を総動員し、鍼灸であればさらに配穴理論を熟知している、煎じ薬治療では本草学をきちんと学んでいて生薬一つ一つの効能効果やその組み合わせ方の法則を理解していなければ、こう言う治療は出来ないのです。


    ところが、もしそう言うときに拠り所とする中医学理論や配穴の理論、本草学が間違っていたら?間違った知識を基にした治療で患者を治せるはずがありません。


    ですから、個の医療で本当に素晴らしい、西洋医学の医者が仰天するような効果を上げるためにこそ、中医弁証理論がしっかり確立していて、配穴や生薬学の知識が正確でなければならないわけです。中医学は個の医学だから弁証理論より経験だ、などとうそぶく人間には、こんな難治患者は全く歯が立ちません。


    つまり、個の医療をきちんとやることと弁証や配穴、本草学と言った「医学体系」がきちんとしていることは、矛盾しないどころか完全に表裏一体なのです。


    俺は中医弁証なんか知らんけど、師匠から教わった通りに鍼を打てばだいたいの患者はよくなる、なんて言うのは、せいぜいありふれた肩こり腰痛を相手にしているだけだってことです。


    中医弁証なんか関係ない、口訣(くけつ)で漢方薬出せば治るんだ、と言うのも同じです。口訣というのは英語で言えばclinical pearlです。たしかにあるときひょいとその口訣を思いついてそれを参考にすると臨床の役に立つことはありますが、そんなもので「10数年来の視床痛」とか「食べても食べても体重が一年で10kg以上減少して、何所で精査されても原因が分からない」なんて言う患者は治せません。


    個の医療と、弁証論治を精確に、かつきちんと体系化し検証する作業は、全く矛盾しません。弁証や本草学、配穴理論などの医学理論が正しいのかどうか、いや現時点では内部矛盾があるがそれはどう解決していくのかと言った作業は、まさに個の医学を高度なレベルで行うためにこそ、絶対に必要なのです。


    これが全く分かっていないのが、「中医学は一例報告を積み上げるべきだ」とか、何も深く考えずただ安易に「中医学はpersonal medicineだ」などと主張する連中なのです。彼らは、きちんと深くものを考えていないのです。
     

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