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  • 投稿日時:2025/02/15

    私が漢方医だと分かると、安心して「実は私はこう言うサプリを飲んでいます」という患者がいる。彼らはそういうことは、掛かりつけ医には言わない。なぜなら言下に否定されるのが分かっているからだ。


    しかし私はたしかに漢方医だが、西洋医学も現在の最新の医学情報も学んで知っている。


    よいかね。ビタミンB群というものは、スーパーやコンビニで惣菜を買う人間は絶対に不足しない。なぜなら厚労省がそういう惣菜には必ずビタミンB群を添加しろと義務づけているからだ。


    また今の日本でビタミンCが不足するのも、極めて難しい。なぜならビタミンCは酸化防止剤だから、殆どのスーパーやコンビニの食品には、酸化防止剤として添加されている。


    一方、亜鉛は高齢者を採血するとほぼ全員が「不足」になる。それは、亜鉛が含まれる食材が主に肉の赤身だからだ。牡蠣にも亜鉛は豊富に含まれているが、毎日牡蠣を食ったら飽きるに決まっている。だからあまり肉を食わない高齢者を採血すると、殆ど亜鉛は不足している。


    肉は認知症に悪いという論文が欧米の最新研究で出たそうだが、そもそも欧米人が肉を喰らう量というものは日本人には想像も付かないのだ。50歳を明らかに超えたご婦人が、300g、いや500gはあろうかというステーキをいとも簡単に召し上がる。そういう社会でデータを取ると「肉食は認知症を早める」「と言うデータが出るが、それを日本人、とりわけ石巻の高齢者に当てはめてはいけない。300gのステーキを平気で喰う石巻市民はいない、まして高齢者は。


    つまり食の研究は、そもそもその地域の食習慣はどうなのかを考えないと、超一流医学ジャーナルに載っても、それをそのまま現地に当てはめることは出来ない。超一流医学ジャーナルは大抵欧米人のデータを載せるが、それを日本人、特に石巻のようなど田舎の高齢者に当てはめてはいけない。石巻で物忘れが目立ち外来に連れてこられる高齢者を採血して毎回判明するのは亜鉛欠乏だ。なぜなら亜鉛は主に肉に含まれるからだ。石巻の高齢者は大抵肉は好まない。そして外食もしない。そうなると、亜鉛は欠乏し、意識がぼんやりして認知症と間違えられるのだ。


    食の研究の受け止め方は、非常に難しいものだ。その研究が行われたのがどこか、そしてその地域と自分の診療地域とではどの様に食文化が違うのか理解しないと、間違える。

  • 投稿日時:2025/02/15

    歳を取ると老人は次第に心身が弱るという現象を、欧米人はFrailty(ふれいりてぃ)と呼ぶ。日本人はこれを日本語に翻訳しようとしたが、老衰とかいうとなんだか語弊が悪いという話になり、結局翻訳出来ずに「フレイル」になった。

    しかし中国人はそうした言葉遊び・言葉弄りはしないから、frailityは単純に「衰弱」と翻訳した。ちなみにdementiaは今日本では「認知症」と言うが、その結果「あの人認知だから」「あのお婆さん認知入ってるから」と、完全に意味不明な表現が広まっている。しかし中国では元々痴も呆も2千年以上昔から使われてきた文字であり、その二つの文字を組み合わせて「痴呆」という病態概念を初めて提出したのが16世紀半ばの大著「景岳全書」を表した張景岳だ。ここで張景岳が記述しているのは、概ねストレスなど後天的な理由による精神錯乱だが、ともかく「痴呆」という用語は張景岳に始まる。


    このように、漢字の母国中国では、一つ一つの言葉の「重み」が日本とは全く違う。日本語にとって漢字は要するに「借り物」に過ぎないが、中国人にとっては「我らが文字」であり、一つ一つの言葉に長い歴史や先人の営みがある。従って彼らは痴呆を認知症と言い換えるなどという愚かなことはやらないのだ。

  • 投稿日時:2025/02/13

    コロナ後遺症で半年も空咳が止まらないという患者を私がたった一回、1ヶ月で治した、その処方。


    黄芩9g、黄連6g、栝楼根30g、甘草6g、柴胡15g、生姜9g、大棗4g、人参6g、麦門冬50g、半夏12g、百合12g。


    無論見る人が見ればこれが柴陥湯の加減法だという事は分かるだろうが、無論ツムラの柴陥湯でコロナ後遺症の咳が治るわけではない。とくに麦門冬湯50gは重要。私がここに平然とこの処方を公開するのは、ここで公開してもこういう処方が現実に出来る医者はほとんどいないからだ。

     

    因みに薬局に払う料金は、3割保険で約1万5,6千円になる。当院の診察料は、まあ、お話にならないぐらい安いんだけど。

  • 投稿日時:2025/02/11
    当院は、職員の給与はできる限り高く設定している。例えば、充分に経験があって仕事をしっかりこなしてくれる医療事務のパートの時給は1300円だ。無論これは、その人の能力や経験で変わるが、おそらくこの医療事務のパートの時給1300円というのは、石巻の他の医療機関と比べたら最も高いだろう。当然東京や仙台と比べられたらお恥ずかしい限りだが。

    また、先月私がインフルエンザにかかり、クリニックを休診せざるを得なかった。その数日間、当然職員も休んだのだが、その分は形式上欠勤控除したが、同額をある種の臨時手当にして、結果的に欠勤しなかったのと同じにした。それは、当院の都合で休んで貰ったのだから当然なのだ。また職員によってはそれぞれがインフルエンザやコロナで休んだ人もいたが、そういうケースも全て給与は引いていない。

    こういうのは「思いやり」などではない。経営者、しかもクリニックという医療機関としては当然のことだ。

    とは言え、この話には裏もある。それは、当院がまだ協会けんぽ、厚生年金には加入出来ていないという事だ。あれは、従業員と経営者がそれぞれ半分ずつ負担するので、当院のような非常に小さい事業所は、到底負担出来ない。だから当院は、医療保険は医師国保か一般国保、年金はただの国民年金で、その点従業員にはご迷惑を掛けている。つまり、医療保険に関しては医師国保なら協会けんぽとそれほど負担額は変わらないが、厚生年金に入れないという事は将来の年金受取額には響く。

    しかしそこは「出来ないものは出来ない」のだ。当院のように、月の売り上げがせいぜい500から600で、出ていく金も多いという零細企業では、到底厚生年金・協会けんぽの負担は出来ない。

    協会けんぽに加盟していないと傷病手当は申請出来ない。従って、当院はそうした感染症による休業は全額を補填する。それは、御本人のためはもちろん、院内感染予防のために休んで貰うのだから当然だ。

    どうして私がこのような方針を採っているかというと、それはフォードと同じ理由だ。つまり、石巻のような地方都市では、労働者=消費者なのだ。地元に住んでどこかに勤めている人が、石巻でものやサービスを買う。だから、他の経営者のように、「従業員の給料は安ければ安いほどよい」と考えていたら、石巻経済は廻らないのだ。何故なら、目の前の従業員こそが「お客様」なのだから。つまり、従業員の給料を下げるという事は、要するに客の財布を寂しくすると言うことだ。それをやっていたら全てが悪循環になって、石巻経済は駄目になる。

    ところが、「あゆみ野クリニックの給料は他よりずっと高い」という事が噂になって広まれば、他の医療機関も職員確保のために給与を上げざるを得なくなるだろう。それが私の狙いである。そのようにしてだんだんと石巻の平均給与が上がっていけば、つまり石巻の消費者の財布が膨らむ。そうなれば当然、石巻経済は活性化するし、クリニックにとっても必要な検査をしようとしても「それはいくら掛かるんですか」と患者に質問されなくて済むだろう。患者、すなわち消費者が必要な検査にお金を出せるようになれば、クリニックもちゃんとした診療をして、ちゃんとした利益を出せるのだ。

    だからこそ、私は石巻の医療機関では一番高い給与を出しているのである。要するにそれは、他の医療機関にプレッシャーを掛けるためにそうしているわけだ。
  • 投稿日時:2025/02/11
    先ほど「感染源不明の細菌感染症患者」の話を書いたが、実は「感染症専門医」は「本物の漢方医」以上に希少な存在だ。

    学会が発行する専門医というレベルなら、どちらも掃いて捨てるほどいる。感染症学会が認定する感染症専門医とか、日本東洋医学会認定漢方専門医というのは「そんなの要らん」と言いたくなるほどいる。しかし「本物の感染症医」というのは「本物の漢方医」と同じぐらい少ない。

    宮城県では、唯一仙台医療センターだけが「本物の感染症内科」だ。残念ながら、東北大学附属病院すら「本物の感染症の専門家」はいない。東北大学病院にいないんだから、宮城県の他の病院は「推して知るべし」だ。

    感染症というのは、医学医療始まって以来、ずっと一番重要な部門であり続けている。癌とか糖尿病より、実は感染症こそ医学の最大の課題だった。漢方とかその源流の中国医学も、元々感染症の診療が一番重要だったし、今でもそうだ。しかし、なぜか日本には「感染症のマジな専門家」は少ない。それは、「本物の漢方医」とほとんど同じぐらいしかいない。

    なんなんだこれは。
  • 投稿日時:2025/02/11
    一週間前から38℃以上の高熱が起き、上下はするが改善しないという30代女性患者。コロナ、インフルエンザは他院、当院と2回やって陰性。胸部レントゲンと採血、採尿を行ったところ、レントゲン異常なし、尿検査異常無し。腹痛など腹腔内感染症を思わせる症状もない。しかし採血では、WBC(白血球)総数は8800と基準値内だが好中球の割合が80%を超え、所謂左方移動を認める。CRPも3以上だ。

    上記の結果はなんらかの細菌感染を強く示唆するが、胸部レントゲン(2方向)異常なし、尿所見異常なしで、発熱の他は何の症状もないので、infection focus、つまり何所に感染が起きているのかが分からない。しかしよく訊くと、元々慢性鼻炎だ、鼻閉がある。そしてこの発熱には眼深部痛が先行していたことが分かった。

    ここで私は思案してしまった。元々慢性鼻炎で鼻閉で、高熱に先立って眼深部痛が起きたのなら、副鼻腔炎の増悪が考えられる。副鼻腔炎を診断するにはCTを撮るのが一番はっきりする。しかし石巻の耳鼻科でCTが撮れるところと言うと、あの悪名高い市立病院しかない。あそこの耳鼻科は以前メイアクトを処方した奴だ。

    うーん。

    私はしばらく考えた末、副鼻腔炎疑いとしてその患者をその悪名高い市立病院に送ったが、患者に「出された薬は絶対に飲まないで私に処方箋を見せるように」と言った。

    患者はそこに受診したその足で私のクリニックに来て、処方箋と医者の言葉を伝えた。その悪名高い市立病院の耳鼻科医はCTを撮って「副鼻腔炎ではない」と言い、クラリスを出していた。

    そうですか、この薬は飲まなくて良いです、私が抗生物質を出しますからそれを飲んでくださいと私は患者に告げ、オーグメンチン・サワシリンといういつものペニシリンのセットを出した。その悪名高い市立病院耳鼻科医師からは翌日に返事が届いた。それに曰わく。

    副鼻腔炎は認めません。伝染性単核球症など、ウィルス感染症を疑います。

    さて、あなたに話がある。

    伝染性単核球症はEBV(エプスタイン・バールウィルス)感染症だ。しかしこの疾患ではリンパ球の低下や単核球の上昇が起こることはあるが(全例ではない)、好中球の増加、つまり左方移動は起きない。しかも、あなたは「ウィルス性疾患を疑う」と言いながらクラリスという抗生物質を処方した。

    「ウィルス性感染症に抗生物質は無意味だ」という事すら、あなたは知らないのか。

    私は患者に、「この市立病院耳鼻科には、要するに副鼻腔炎があるかどうか診断させたかっただけです。副鼻腔炎ではないことがCTによって明らかになったので、もうここの耳鼻科に用はありません。あなたにはちゃんと効く抗生物質を出します」と言ってオーグメンチン・サワシリンを出した。

    すると、処方3日で高熱は下がった。36度台になった。そこでもう一度採血したら、WBC(白血球)は3000未満だった。好中球の割合は正常になっていた。

    つまり、初診時の白血球8800は、検査の基準値内ではあったが、この患者にとっては相当に増加していたのだ。すなわち、初診時の採血結果は「白血球総数の増加に好中球割合の増加を伴う」と読み直すべきだという事だった。それならこれは、明らかな細菌感染を示唆するデータであって、その悪名高い市立病院耳鼻科医師がいう「ウィルス感染症」でも「伝染性単核球症」でもない。なんらかの細菌感染が起き、そこに私がペニシリンを投与したので感染源は不明であったがその細菌感染は治癒した。そういうことだ。

    全く以てあの市立病院の耳鼻科は・・・。こんなことなら始めからCTだけ依頼すればよかった。あそこは、医者の目を通せば通すほど、話がおかしくなる。CTの装置は優秀なんだから、医者を取り替えろ。


     
  • 投稿日時:2025/02/05
    今日来た心療内科新患は、呆れ果てた患者でした。一応診察料は払っていったので患者と呼びますが。


    何しろ、予診票に「仕事・不満」としか書いていない。詳しいことは一応「患者」なので伏せますが、私はその患者の話を聞き、適切なアドバイスをしたのですが、患者は途中で「話にならん」と言って去って行きました。


    いや、話にならないのはあんただから。あんたみたいな人間は、誰も助けないから。


    勝手に堕ちろ。
    今日来た心療内科新患は、呆れ果てた患者でした。一応診察料は払っていったので患者と呼びますが。


    何しろ、予診票に「仕事・不満」としか書いていない。詳しいことは一応「患者」なので伏せますが、私はその患者の話を聞き、適切なアドバイスをしたのですが、患者は途中で「話にならん」と言って去って行きました。


    いや、話にならないのはあんただから。あんたみたいな人間は、誰も助けないから。生まれながらにゆがんだ人格というものは、治せません。


    勝手に堕ちろ。
     
  • 投稿日時:2025/02/02

    N先生。先生ぐらいの年代の人々が、いわゆるZ世代というのか、氷河期世代を超えてもう一度前に踏み出そうとするのを覧ると少し気持ちが明るくなる。

    氷河期世代の人たちは本当に気の毒で、あそこまで過酷な時代状況では、彼らは生き延びるだけで必死だったのだから、それ以上あーだこーだ言えない。 日本人の未来はあなた方にある。

    ただZ世代で活躍している人を見て感じるのが、「背骨がない」という事なんだ。無脊椎動物だから、くねくねと如何様(いかよう)にでも自分を変形させて状況に対応出来るという見方も出来るが、しかしZ世代で活躍している人々の、あるいはどうにか這い上がろうとしている人々の発言を覧ていると、背骨がない。


    例えば先生にこないだ司馬遷の史記の一部を紹介したが、おそらく先生は史記もへーロドトースのイストリエも読んではいないだろう。古代仏教経典も読んでないだろう。トルストイなど所謂「古典」と言われる作家の長編も読んでいないと思う。孫子も老子も孔子も読んでないだろう。マルクスの資本論も読んだことはないだろう。 そんなものは今更なにも関係ないとあなた方は感じるのだろうが、私の診療を覧て先生はちょっと驚いたようだった。その驚きの一部は、実は私は若い頃からそうした知識・知恵に触れてきたと言うことに由来する部分はある。つまり、目の前のことにすぐ役立つことではなく、「人類の叡知」の一部は吸収してきたし、それをその後自分なりに自分の人生や臨床で咀嚼しながら噛みしめている、と言うことだ。 そういう本は、私は小学生や中学生時代によく読んだ。高校時代は古代仏教に入れ込んだ・・・部活のオーケストラにも入れ込んだけど。

    史記を書いた司馬遷、イストリエを書いたへーロドトース、古代仏教を開いたブッダ。みんな紀元前の人だ。紀元前の昔の人だからえらいのではなく、その時代その人が言ったことが後世にまできちんと残っているから凄いんだ。二千年以上の時の裁きに耐えて残っている、ということだ。


    例えば、江戸時代の漢方医に吉益東洞(よしますとうどう)という人がいる。彼は「腹診は扁鵲(へんじゃく)に始まる」と言った。でも扁鵲列伝は史記にちゃんと残されていて、扁鵲は脈診に優れていたとあり、腹診のことなんか史記の列伝にはなにも書かれていない。と言うことを知っていれば、吉益さん、あんた嘘ついたでしょ、と分かってしまうわけだ。吉益東洞は日本の漢方医の中ではまるで神聖視されているが、少なくとも「腹診は扁鵲に始まる」と彼が嘘をついたことは史記を読んでいればすぐに分かることで、一事が万事と考えて吉益東洞の言行を検証し始めると「こいつあれもこれも嘘言ってる」と分かってくる。

    と言うように、本物の古典というのはその後の時代や現代の「創られた権威」を見抜くのに役立つ。これが私の言う「背骨」なんだ。こう言うのって、先生の年よりさらに若い内に身につけるべきなんだが、しかし「思い立ったら吉日」だから、いつだって、例えば私にこんなふうに言われたという事がきっかけでも良いから、ちょっと触れてみると良いかもしれないよ。

  • 投稿日時:2025/01/26

    インフルエンザで4日休んだ後の金曜日、46人も来院してくださいました。みな見舞いの言葉を掛けてくれました。何回か来院し、入り口に貼った張り紙を覧て「まだ回復していないんだ」と思ってくれた人もいた(いやその、HPには出してたんですが)。

     


    石巻人は典型的な湊町気質でがらっぱちです。だから時として心ない暴言を投げつけられることもありますが、本音は暖かいのです。農村地帯のように「情には厚いが閉鎖的」ではないし、都会ほどあっさり殺伐ともしていない。まあその・・・お世辞にも上品ではないのですが・・・4日医者が病気で休診しても患者が離れるという事はないんだなあということです。仙台なら、医者が病気で4日も休診してしまえば、みんな他所に流れてしまいます。


    なんかちょっと、石巻に一歩近づけた気がしました。

  • 投稿日時:2025/01/19
    君不見黄河之水天上來
    奔流到海不復回
    君不見高堂明鏡悲白髮
    朝如青絲暮成雪
    人生得意須盡歡
    莫使金尊空對月
    天生我材必有用
    千金散盡還復來
    烹羊宰牛且爲樂
    會須一飮三百杯

    岑夫子丹丘生
    將進酒杯莫停
    與君歌一曲
    請君爲我傾耳聽
    鐘鼓饌玉不足貴
    但願長醉不用醒
    古來聖賢皆寂寞
    惟有飮者留其名


    陳王昔時宴平樂
    斗酒十千恣歡謔
    主人何爲言少錢
    徑須沽取對君酌
    五花馬千金裘
    呼兒將出換美酒
    與爾同銷萬古愁


    この李白の詩を理解するためには、様々な知識が必要です。そうでないと、これは単に飲んべえの詩人が友人に飲め、飲めと酒を強いているだけ、になってしまいます。



    まず李白は、何所の誰か分からない人です。李というのは李白が生きていた唐王朝の姓です。彼は唐の玄宗にき気に入られたから李姓を貰ったのだろ宇土思います。まあ、石巻市民のおよそ1/4が阿部さんだというのと同じです。しかし白というのは、当時しばしばシルクロードの交易の民が名乗った名前です。つまり彼は、西域出身の人であった可能性が高いのです。


    唐もその前の隋も、独狐氏という西北遊牧民族の血を強く引く王朝でしたから、この時代「民族差別」はありませんでした。何しろ皇帝、帝室が被差別民族の出身だったからです。


    従って李白が何所の出身だろうが朝廷で差別されることはなかったのですが、しかし李白は完全に芸術家であって政治家・官僚ではありませんでした。彼はアル中だったから、毎日酔っ払っていました。しかし玄宗は玄宗で、ふと思い立ったときにいつでも李白を宮廷に呼んだのです。皇帝の命ですから参内はするものの、彼は毎日酔っ払っていますから、宮廷の礼儀なんか無視します。ついには玄宗お気に入りの大臣に足を突き出し「このブーツを脱がせろ」とやったものですからその大臣が激怒して、李白はお払い箱になりました。そのお払い箱になったとき彼が詠んだのがこの詩です。


    李白はその時、一面ではせいせいしたでしょう。皇帝お気に入り大臣の機嫌を損ねて単にお払い箱で済んだのは、玄宗本人が李白を気に入っていたからです。そうでなければ殺されたはずです。


    しかしやはり、彼は面白くなかったのです。俺のような天才があんな下らぬ権力に媚びを売るだけしか能が無い奴の横やりで放逐されるとは!


    憤懣やるかたなかったはずです。何しろその大臣の名は、「李白を陥れた」という事だけで現代まで伝わっているのですから。


    その李白の本音は


    陳王昔時宴平樂

    斗酒十千恣歡謔


    と言う二行にだけ表されています。この陳王というのは、魏の曹操の息子だったが弟であった曹植です。曹植のもっとも有名な詩は「七歩詩」です。曹植は、兄で魏の武帝になった曹丕に徹底的に警戒され、あるとき曹丕から「七歩歩む内に詩を作れ。出来なければ殺す」と言われました。その時曹植がたちどころに読んだ詩がこれです。


    煮豆持作羹

    漉鼓以為汁
    萁在釜下燃
    豆在釜中泣
    本是同根生
    相煎何太急


    豆を煮て濃いスープを作る

    豆で作った調味料を
    ()して味を調える
    豆がらは釜の下で燃え
    豆は釜の中で泣く
    豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに
    豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか


    兄さん、私とあなたは血を分けた兄弟なのに、何故あなたは私をそんなに激しく憎むのですか?


    この詩を聞いたとき、さすがの曹丕も思わず帝座を駆け下り、弟を抱いて泣いたそうです。


    こういうこと一つ一つが詩に込められています。ただ一行があるだけで、李白の詩の真意は変わるのです。これが、中国詩の深みです。

    ではどうぞ李白の将進酒を現代中国語でお聴き下さい。



     

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