知っておこう、身近な漢方薬「六君子湯」

2023/10/02

元気がない、怠い、感染症を起こしやすいなどという症状は、第一には気虚を考えます。勿論良く診察しないと、本当は気虚だけじゃないんですが。


気虚ってのはですね。元々中医学では身体の中に気、血(けつ)、津液(しんえき)という三つのものが循環していると言うんです。この辺は患者さんにもいつも説明しているレベルです。血というのは、面倒くさい議論を抜きにすれば血液と思って良いです。津液も、「そもそもこれはアーユールヴェーダから伝わったもので」とか言う得体の知れない話(私は好きなんですが)をすっ飛ばせば体液です。人間の身体の70%は水だという、そのことです。


で、血とか津液は循環してるわけです。それは分かりますよね。血液循環というのは西洋医学でも当たり前。体液が上手く循環しなくなれば浮腫、胸水、腹水など病的な水の溜まりになります。血液の循環が悪いのを(ざっくり言えば)血瘀と言い、津液の循環が悪ければ湿とか水滞と言います(湿と水滞の違いなんかここではどうでも良いです)。


しかし、血液も体液もそれそのものは物体ですから、勝手には巡りません。採血したら採血管の中で血液がぐるぐる踊るなんて事は無いです。だからなんらかのエネルギーがこれらを循環させているんです。そのエネルギーが「気」です。
気の定義は「働きがあって姿形が無いもの」ですが、実はかなり日常的な概念です。天気、空気、元気、電気。こういうのは、まさに気、つまり働きはあるけど姿形はないのです。


生体に於いては、気と言えば生体エネルギーという事になります。またエネルギーを介して行われる情報伝達、つまりsignalingも気です。その気のエネルギーが落ちてしまうと気虚、signalingが上手く行かないと気滞と言うんです。

 


気虚の薬は補気薬で、代表は薬用人参と黄耆(おうぎ)です。では気虚の人にはこれをドカンと飲ませればいいかというと、気虚の人ってしばしば胃腸が弱いんです。すぐ下痢したり食べるとたちまち胃の具合が悪くなる。そういう人に人参ドカーン、黄耆ドカーンとやると、逆に胃腸が受け付けないんですね。人参はそもそも胃腸を丈夫にする薬の筈なんですが、大量にそれだけ入れると胃腸が参ってしまう。それで、白朮だ、山薬だ、茯苓だというような「柔らかい胃腸薬」を入れて、胃腸を補いながら人参や黄耆を足していくのが治療のこつなんです。


六君子湯は人参、白朮、茯苓、甘草、半夏、陳皮、大棗、生姜から出来ています。つまり気虚だから人参を入れたいんだけど、人参だけドカーンと入れると胃腸が弱い人は受け付けないので、「その他諸々」を足しているのです。


その他諸々で片付けると生薬が怒るかも知れません。白朮、茯苓、甘草、大棗、生姜はまさに胃腸薬です。胃腸薬として理解して良いです。ただし茯苓は「津液を巡らせる」という大事な働きを兼ねていますが。


陳皮、半夏は理気薬です。これも胃腸を助けるのですが、気を上手く巡らせる働きがあると言います。気虚だから気を補うんだけれども、補った気を巡らせましょう、と言うことで陳皮、半夏を足しています。


え?ツムラの手帳に蒼朮とあるって。そうなんです。ツムラは白朮を使わず蒼朮を入れています。蒼朮はホソバオケラ、白朮はオケラで、要するにオケラなんですが、一応別の植物です。蒼朮は津液を巡らせる力が強く、白朮は胃腸を助ける力が強いので、六君子湯では本来白朮を使うべきです。クラシエは白朮を使っています。原典の「医学正伝」にはちゃんと白朮とありますから、これはクラシエの白朮を使った六君子湯が正しいのです。なぜツムラは白朮を使わず蒼朮なのか、今のツムラのMRは誰も知りませんが、私は昔お年寄りの漢方医から「あれはツムラの顧問だった漢方医が白朮は臭いと言って嫌ったからだ」と聞きました。まあ又聞きなので真偽の程は分かりませんが、いずれにしろ六君子湯では白朮を使ったクラシエが正しい。


ともかく、六君子湯は気虚の薬なので、人参を飲ませたいのです。しかし人参だけ入れると胃腸が弱い人は受け付けないので胃腸薬をあれこれ合わせ、そこに人参を入れて気を補い、補った気を陳皮と半夏で巡らせようというのが六君子湯です。

 

うーん。なるべく噛み砕いて書いたんですが、伝わるかしら?


PAGE TOP