心療内科、この悩ましきもの

2023/11/21

あゆみ野クリニックには心療内科があります。これは癌で急逝された先代院長の長純一先生がやっていたのを、「止めないでくれ」と言われ正直あまり乗り気がしないままに引き継ぎました。


心療内科というのは変わった科です。医療の一分野ではありますが、「医学」つまり体系的な学問になるのかというと、なりません。長年漢方などという得体の知れないものを学問にする、エビデンスを作るとやってきた私が、「こいつはどうも、まったくEBMには乗らない」と諦めたものが心療内科です。


心療内科ってのは、要するに人生の苦労を扱う科です。精神科とは違います。精神科は内因性うつ病、統合失調症という、ある程度均質化が可能な対象を持っています。内因性うつ病や統合失調症も、当然外界の影響を受けますが、本質的に内因性であって、だからこそある程度均質化が可能です。「内因性うつ病とはこれこれという症状を持つ人々だ」とくくれるのです。


しかし心療内科が「人生の苦労」を扱う限り、それは均質化出来ません。均質化出来ないから、学問になりません。現代の医学はEvidence Based Medicine (EBM)と言うのが主流ですが、これは元々臨床疫学に端を発しており、ある程度均質化が可能な集団に対して統計的最適解を出すというのが原理だからです。


人生の苦労というのは均質化出来ないと言ったのはトルストイです。アンナ・カレーニナの冒頭、有名な一行。
「幸福な家庭は全てお互いに似通っているが、不幸な家庭はどこもその趣が異なっている」。
これが全て。

人間の不幸、特に人生の不幸は均てん化出来ない。その人の不幸はその人だけのものです。人それぞれ、不幸は違います。だから人生の不幸を扱う心療内科はEBMにのらず、サイエンスになりません。医学というものは、あるいは医学というサイエンスは、均てん化し、統計的に処理するのが基本原理ですが、「人生の苦労」は均てん化出来ません。心療内科をEBMでやろうとしたら失敗するだけです。


もちろん、まったく馬鹿らしいレベルのことならEBMに乗せることは出来ます。例えば「頭痛、めまい、吐き気、腹痛、下痢、不眠はメンタルだ」という命題であれば、そういう症状を持つ集団を対象にして、どれほどメンタル素因が強いかデータ化するのは可能です。でもそれは「今朝起きたらゾクッと寒気がして、頭痛がして熱が37度ある」という集団を集めてその診断が風邪である確率を計算するのと同じぐらい無意味です。そんなことはなにも2年掛けて臨床研究しなくても、半年臨床をやれば分かります。半年臨床やれば分かることを2年掛けて研究しなくて良い。そうすると、心療内科にはEBMに乗せるべき内容が無いわけです。


私は今心療内科をやっています。しかし私の心療内科は完全な自己流です。しかし「では自己流で無い心療内科というものはそもそもあるのか」と言われたら、私は「ない」と思います。もしマニュアルや教科書に従って心療内科をやったら、それは患者の症状の数だけ薬を積み上げるだけになるでしょう。西洋薬だろうが漢方薬だろうと同じです。心療内科が扱うのが人生の苦労と重荷である以上、心療内科医はそれを受け止められるだけの人生を経ていなければなりません。人生順風満帆、皆から愛されて幸福な家庭を築きましたという人は、多分一生掛かっても心療内科は出来ません。100冊教科書を読んでも無駄です。人生の教科書ってないですから。そりゃもちろん、「人生こうしたら成功する」類の本は無数に売られていますが、中身は全部馬鹿馬鹿しいだけです。


医学に数あれど、どうやら心療内科だけは何処をどうやってもサイエンスにならないようです。

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