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  • 投稿日時:2025/01/09
    ちょっとインパクト強すぎるタイトルにしました。


    以前から風土病に分類される貧血というものはあります。例えば鉤虫による鉄欠乏性貧血とかマラリアで見られる溶血性貧血です。しかし私がここで論じたいのは、日本でごく普通に見られる鉄欠乏性貧血のことです。もう一つ、ビタミンB欠乏の貧血も取り上げます。


    鉄分が多い食品というと、たいていの人がレバーやほうれん草を思いつくのではないでしょうか。しかしレバーを日常的に食べる日本人はまずいないでしょう。ほうれん草は日常的な食品ですが、残念ながらほうれん草は非常に腸管での吸収効率が悪く、要するに殆ど消化吸収されないので、どんな栄養素があろうがほぼ無駄です。単に食物線維だから便秘に良いだけです。


    鉄の中でも人間の腸で吸収されやすい「ヘム鉄」を多く含む食品は動物のレバーに続いて動物の肉です。魚介類でも牡蠣には比較的多く鉄分が含まれますが、あれも毎日食べるというわけには・・・。


    だからこそ日本人、特に日本人女性には鉄欠乏性貧血が多いのです。画像は私がタイのチェンマイで食べたタイの麺類「カノームチン」ですが、この画像にある黒い塊のようなものは豚の血を寒天状に固めたものです。これは、中国南部、台湾から東南アジアまで広く日常的な食品となっています。何しろ、血を固めて食べるのですから、こういう地域に「鉄欠乏性貧血」という疾患は存在しません。


    ヨーロッパでも血はソーセージに入れるなどして食べられます。要するに、肉食をする人々はわざわざ動物を殺すのに肉だけ食う、なんてことはしないのです。肉も内臓も血も軟骨も、全て食います。私たち日本人が魚を丸ごと食うのと同じです。だから肉食が昔から根付いている地域では「鉄欠乏性貧血」という疾患はないか、ヴィーガン(完全に植物しか食べない人)など特殊な食習慣を持つ人でなければ起こりません。


    同様に、ビタミンBが欠乏して起きる貧血も、こうした肉食文化の土地では起きません。なぜならビタミンB群は肉に含まれるからです。因みに亜鉛欠乏も肉食文化では稀ですが、日本では非常に多く観られます。亜鉛欠乏は味覚、嗅覚異常、乾燥症など様々な問題を起こしますが、当院がやっている「もの忘れ外来」では必ず初診時に亜鉛、甲状腺ホルモン、ビタミンB群、葉酸などを採血で計ります。ある患者さんは物忘れが酷いと言って家族が連れてきましたが、採血の結果かなり酷い亜鉛欠乏であることが分かり、亜鉛を薬で補充したら物忘れはよくなってしまいました。


    要するにこういう疾患は全部「動物を食わない民族・地域」で起きるのです。だからこれは一種の風土病です。日本では女性が鉄欠乏性貧血になるのは当たり前のように思われていますが、実はその背景には動物食が根付いていないという食習慣があるのです。


    肉食えってわけです。
     
  • 投稿日時:2025/01/07
    12月29日、当院は休日当番で120人が押しかけましたが、その大半が発熱で、戸外の診療(ドライブスルー)になったので、マイナ保険証ではなく従来の保険証を持ってきてくれ、と言わなければならなくなりました。なぜなら当院に鎮座ましましているマイナ保険証読み取り機は戸外に持ち出せないからです。持ち出し可能な子機はあるそうですが、一切経費の補助はないから、当院として導入するのは不可能です。

    全然駄目です、マイナ保険証。
     
  • 投稿日時:2025/01/07

    この暮れと正月、29日の休日当番の翌日から一週間、思い切って休診にしました。どうしてもチェンマイに帰りたかったのです。

    帰りたかったって・・・?

    ええ、帰りたかったのです。私は日本人で、実家は千葉県船橋市にありましたが,その実家は両親ともに亡くなった今、もうありません。売ってしまいました。

    タイ・・・あるいはラーンナータイと言った方が正確ですが、その古都チェンマイは、今はタイ北部の中心都市です。今のタイ北部に、19世紀までラーンナータイ王国という国がありました。チェンマイはその都でした。従って、バンコク(タイ語ではクルンテープ)を中心としたタイ王国とは違う文化が残っています。


    それで、チェンマイは観光都市として大人気なのです。今のタイ王国、つまりチャクリー王朝の視点から見れば、古都はスコータイ、アユッタヤーとなりますが、スコータイもアユッタヤーも徹底的にビルマとの戦争で破壊され、正直何も残っていません。


    それに対し、ラーンナータイ王国も数百年ビルマの王朝支配下に置かれたのですが、今のチャクリー王朝のタイ王国と手を結んで独立を果たしたので、チェンマイにはラーンナータイ王国が色濃く残っています。だから外国人観光客には、アユッタヤーやスコータイより人気があります。町そのものが歴史遺産とっていいんですから。

    そのチェンマイに私が通うようになってもう30年。これまで何十回チェンマイを訪れたかもう覚えていません(過去のパスポートを数えれば分かるでしょうが)。しかし今回はちょっと事情が違いました。「翻訳アプリ」が使えるようになったのです。

     

    チェンマイの旧市街にあるとある通り沿いにひっそりと建つこのクリニック。一見石巻の町のクリニックそっくりですが、如何にも素っ気ない。Community Clinicと英語で表記されています。

     

    これは難題?と私はタイ人の旧友チェンに訊きました。そうしたらコミュニティークリニックだと。この周辺の人は、公的保険でいる陽を受けたければまずここに来なければならない。ここに医者が必要だと判断した患者だけが大病院に送られるのだと。

     

    ほお、と思いましたが、それにしては何かが妙です。何しろ年明け最初の診療日だというのに、患者がほとんどいません。そういうクリニックであれば、年明け最初の診療日は、待合室は患者でいっぱいの筈です。特に高齢者がたくさんいるはずです。でもこのクリニックは閑散としています。

     

    私はチェンを問い詰め、また担当者として出てきた看護リーダーも翻訳アプリを使い問い詰めました。その結果、彼らは想像を絶することを白状したのです。


    ここはタイがやっている「家族計画」のためのクリニックだ。つまり「望まれぬ妊娠」を堕胎させるためのクリニックだというのです。

    それで、年明け診療開始日だというのに待合室が閑散としている理由は分かりました。そう言われてみてみれば、若い女性が数人、付き添いと思われる人と一緒に来ています。患者は他にいません。


    全てを知った私にチェンが説明しました。


    こういうクリニックは、外国人観光客がたくさん来るバンコク、チェンマイ、プーケットなどには必ずある。そういう客が来ない町にはないよ。

    このクリニックは、まさに微笑みの国の裏の顔だったのです。外国から押し寄せる観光客の中でも、「鬼の居ぬ間に」派手を伸ばした男性が夜遊びをする。その結果対の女性が「望まぬ妊娠」をしたとき堕胎に訪れるのがこのクリニックなのです。当然そういうクリニックであれば、それに付随する性病(性行為感染症)も扱うのでしょう。

     

    このクリニックはシークレットだから、医者はあなたには会えない、と看護リーダーは言いました。シークレットだからこそここは表向き民間のクリニックの呈ですが、事実上タイ政府の金で運営されているのだと思います。「微笑みの国」はたくさんの裏の顔を持っていますが、ここはその中でももっとも深刻な一つです。

  • 投稿日時:2025/01/06

    酒飲み、たばこのみが「酒を控えている、たばこを控えている」というのは殆ど嘘です。それは、アルコール性肝障害でありながら酒を止める気なんかさらさらない私が言うのだから間違いありません。


    しかし、その人が「控えている」と嘘をつく内なら、その人が本当に酒やたばこを止めれば治療対象になります。止めればですが。


    しかし酒飲み、煙草飲みが「最近は本当に飲めなくなった、吸えなくなった。飲もうとしても飲めない、吸おうとすると息が苦しくなる」と言うときは、その人はもうアルコール性肝硬変末期か、煙草による慢性閉塞性肺疾患(COPD)末期なので、治療法はありません。


    「あなたが選択した人生ですよね」。


    それだけです。


    私は内科医ですが、肝硬変になって死んでも酒を飲むと決めています。そういう人生を選択したのです。既に私の肝機能はかなり悪いのですが、今のところ慢性肝炎の範囲であって肝硬変の所見はありません。しかしあと5年もすれば肝硬変になるでしょう。


    それで?


    私は内科医としてそうなるという事、そうなることがどういうことかという事を完全に知った上で「酒を飲む」という人生を選択したのですから、誰からもとやかく言われる必要はありません。


    肝硬変は最後には肝がんになるか、食道静脈瘤が破裂して死にます。私は「それでよい」と決めたのです。別にその時命を救って貰おうなどとは、つゆほども思っていません。一方そうならないように酒を止めるつもりも、毛頭御座いません。


    人生は長生きするためにあるのではないのです。酒を止めて生きる人生など、私はまっぴら御免被ります。しかしその代わり、私は肝がんになったって食道静脈瘤が破裂したって、一切治療は受けないと決めています。


    自分の選択には責任が伴うのです。


    いや俺は酒を飲んできて肝硬変になって食道静脈瘤破裂したから緊急内視鏡してくれとか、俺は煙草を止めないでCOPDになって息が苦しいからHOT(在宅酸素療法)を保険で受けたいとか、そこから肺がんが出来たから手術してくれとか。


    馬鹿言ってんじゃねーよ、です。

     

    HOTって、実は保険医療でも1ヶ月の医療費が3万円以上します。しかしHOTを導入するような人は大抵後期高齢者だから自己負担1割です。つまり3千数百円しか本人は負担しません。だから平然と彼らはHOTを利用します。しかし残りの3万円以上は、我々が保険料として出してるんです。ふざけた話です。


    そりゃあんたがそれを選択したんだろ、選択の結果がどうなるか、あんた説明されてただろ。その通りになったんだ。あんたにつける薬はないよ。


    そういうことです。

  • 投稿日時:2024/12/28

    昨日ある患者さんが、非常に落ち込んだ表情で受診した。


    一年ほど前、私はその人の胸のレントゲンを覧て、日赤に紹介して胸部大動脈瘤があることを見つけた。以来その人は日赤の血管外科が数ヶ月おきにfollowしつつ毎月の診療は私が引き受けていた。


    当初血管外科はその大動脈瘤について、小さいからガイドラインが定める手術の対象では無いと言い、それで1年間、3ヶ月おきにその人は日赤に通った。ところが今回は東北大学から来ている血管外科医に「年明け家族と一緒にまた来院するように」言われたという。つまりその人の大動脈瘤は、1年間経過を診ているうちにだんだん大きくなって、遂にガイドラインで定められた手術の適応になったのだ。


    そう言われた御本人は、非常に落ち込んでいた。1年間「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と言われてきて、ここに到って「やっぱり手術だ」と言われた、と御本人は感じている。どうせなら最初からやって欲しかった、やらないならこのままやらなくたって良いのではないか。


    患者本人の受け止め方としては、全く理解出来ることだ。一方血管外科の「手術適応になるかならないかで手術するかどうか判断するために定期的に経過観察してきた」というのも医学的にはまさに妥当なやり方だ。


    どちらの言い分も正しい。ジャッジを下すような話ではない。しかし私はまさに「掛かりつけの町医者」としてその人に、
    「あなたの心境はとてもよく分かります。しかし外科としても、大手術になる大動脈瘤の手術をガイドラインに一致しないのにやるわけにはいきません。そんなことをしてもし手術に失敗したらどうなるだろうか。つまり、あなたの感情は患者としてとてもよく分かるし、一方日赤血管外科が取った対応もよく分かります」と説明した。


    先生はどちらが良いと思いますかと訊かれたので、
    「そうですねえ。あなたはまだ70を少し過ぎたばかりだ。だからこれからずっと不安の日々を過ごすよりは、いっそ思い切って手術を受けた方が良いと思いますよ」と答えた。かかりつけ医というものは、自分の意見は自分の意見としてしっかり伝えるべきだ、押しつけにならないように注意して。

  • 投稿日時:2024/12/28

    先日、あるサービス付き高齢者住宅(サ高住)に入所している90過ぎの高齢者を緊急往診してその場から救急搬送した。
    実はその患者さんのご家族は延命など全く希望していなかった。その方はたしかにある疾患にかかったが、単にいつもより活気がなくなっただけで、「このまま静かにお看取りしてもよい」状態だった。では何故その人を救急搬送せざるを得なかったかと言うと、そのサ高住の現場責任者が「ここで看取りをしたことはないし、無理です」とはっきり断ったからだ。
    サ高住は本来から言えば、終の棲家の筈だ。終の棲家であれば、患者(利用者)はそこで亡くなっても良い。だからそこの現場責任者が看取りを拒否したことは、ある面からすれば理不尽だ。


    しかし一方、私はそこに何回も訪問診療しており、また長年高齢者医療畑を歩いてきた人間だから、「ここのこの人員配置では、たしかにここでの看取りは無理だ」という事も分かった。


    つまり、経営法人レベルでいくら「お看取りも出来ます」と言っても、現場の状況は不可能だという事だ。それが分かったから私は救急搬送した。状況は全て搬送先に説明した。


    あけすけに言うが、医療保険や介護保険など、公的保険で運用されている施設で看取りなんか、期待しては行けない。
    そんな人員配置をする金なんか無いんだから。

  • 投稿日時:2024/12/22
    若い患者さんに私がいつも言うこと。


    あなたの人生を歩くのは、あなたです、お母さんでもお父さんでも、まして学校の同級生や教師でもない。あなただけが、あなたの人生を歩むのです。
     
  • 投稿日時:2024/12/22
    今、私の身の回りから、次々に人が去って行きます。去って行く人々は、まさに将来を嘱望されている人々です。


    例えばかつて私と同級生だった。その人が大学院生時代、私がその人を指導した。私の論文の共著者になった。


    こう言った「今更消せない過去」によって、今まさにこれからのし上がろうとする人々が頭を抱えています。彼らはこう言われるのです。


    お前はこんな人間と関係があるのか!


    バッハのマタイ受難曲でも一番感動的な部分が、ペテロによるキリストの否定です。




    キリストが磔にされ殺された後、群衆がペテロを指さし、


    「お前もあいつの一味だった」と言います。それに対しペテロは狼狽え、


    いや、私はその人なんか知らない、と三度言います。


    Ich kenne des Menschen nicht(イッヒ ケンネ デス メンシェン ニヒト).




    彼が三度そう答えたとき、鶏が鳴きます。そこでペテロはキリストが殺される前、「あなたは私を三度否定し、その時鶏が鳴くであろう」と預言したことを思い出し、痛ましく泣きました。


    バッハはプロテスタントでしたから、全編をラテン語ではなくドイツ語で、つまりこの曲を聴く全ての人々が解る言葉で書いています。


    この逸話は無論脚色されてはいるでしょうが、あり得ない話ではないかも知れません。自分が逮捕され、殺害されるのが逃れがたいと悟ったキリストがペテロに対し、半ば自暴自棄になって「どうせお前も俺が殺されたら俺を裏切るだろう」と言ったことは、十分可能性があると私は思います。この場面ではむしろキリスト本人より、ペテロの真情に焦点が当てられています。彼は群衆に詰め寄られ、心から信じていた我が師を思わず「知らない」と、それも三回もそう言ってしまった。それに気がついたときの彼の慟哭にこの曲はフォーカスを置いています。


    まあ良いですよ、誰が私を無視したって。彼らのうち何人がいつか私を無視したことを悔いてくれるかなんか、私は知りませんが。
     
  • 投稿日時:2024/12/21
    ある患者さんが「産婦人科からこの2つの漢方薬が出ているのですが」、と相談されました。


    その方は、まさに更年期という方です。その人にその産婦人科はクラシエの桂枝茯苓丸と同じクラシエの苓桂朮甘湯を出していました。その産婦人科の先生は、一応基礎的な漢方の理解はお持ちのようです。更年期症候群の代表的な治療薬として桂枝茯苓丸を出し、めまいが酷いときに苓桂朮甘湯を飲みなさい、と言って出したのです。まあ、一般的には悪くない話です。


    しかし患者さんがわざわざ私に相談したのは、「クラクラめまいがするとき、この2剤を両方飲むとほてるんです」という事でした。そこで即座に私は、「ああ、それはこの2剤を両方飲むと、あなたには桂皮(けいひ)の量が多すぎるんですよ」と答えました。


    桂皮というのは、ニッキです。京都の銘菓「八つ橋」に使われているものです。あれは、気を巡らせる生薬なのです。非常に重要で、効果も強い生薬ですが、桂皮の量が多すぎれば気を巡らしすぎて、逆にめまいやほてりを起こします。


    クラシエのエキスでは、桂枝茯苓丸に1日量4g、苓桂朮甘湯にも4gの桂皮が使われています。合わせれば8gです。これが、その患者さんには多すぎたのです。もっとも、8gの桂皮なんか、わたしはしばしば使います。日本の漢方エキス製剤は大抵生薬の量が少なすぎるから、わざと同じ生薬を含むエキスを合わせて生薬の量を増やすなんて事はよくやるのです。しかしそこはあくまでcase by caseです。この方には1日8gの桂皮は多すぎて、それでほてりをおこしたのでしょう。


    その人の脈、舌を覧て、私は「桂枝茯苓丸はあなたに最適だから飲みなさい。しかしめまいについては半夏白朮天麻湯を私が出すから、苓桂朮甘湯は止めて下さい。両方飲むとあなたには桂皮の量が多すぎるのです」と言ってツムラ半夏白朮天麻湯を1日2回で出しました。


    更年期障害には桂枝茯苓丸、めまいには苓桂朮甘湯というレベルの理解だと、こう言うことがおきます。もっともその人に最適な桂皮の量なんてのは、出してみないと解らないのですが。

     
  • 投稿日時:2024/12/21

    昔私が個人でやっていたKOH’s WHOというHPに「大学病院の看護婦」という文章を載せたら、それを読んだ東北大病院の看護婦(当時は看護師ではなく看護婦だった)が病院にチクり、私は病棟勤務を辞めさせられた。それは名文だったのだが、いまそのKOH’s WHOというHPは消滅し、ウェブ上にも私のパソコンにも残っていない。電子情報の消滅は早い。当時最先端だった個人のHPも、今では過去のもので、そもそもそういう業種自体がなくなったから、そこに載せた多くの文章が消滅してしまっている。しかしこのほど私はたまたま柳瀬義男著「ヘボ医者のつぶやき」を読んで、この「大学病院の看護婦」をどうにかして復活させようと思う。無論、原文は私のパソコンにも残っていないのだから、うろ覚えの記憶を基にし、かつその後の状況変化をも含めた文章にする。以下、新版・「大学病院の看護婦」である。


    新版・「大学病院の看護婦」


    冒頭でまず、この文章では今の用語である看護師ではなく看護婦を使用することをお断りする。なぜならこの文章の第一版が書かれたときはまだ「看護婦」だったからだ。これは、私が坂操業病院で初期研修を3年間終えた後老年科に入局した東北大学病院で体験し、綴ったエッセイである。


    3年間の初期研修を終え、私は東北大学大学院に入学、老年医学講座に入局した。大学病院の診療科では「老年科」だ。


    坂病院から大学病院に移ったとき私が一番驚愕したのが看護婦である。


    まず、彼ら(彼女ら)は一切仕事をしない。大学病院の看護婦の一番大事な仕事は申し送りと看護研究だ。彼らがやっている「看護研究」なるものは医者の私から覧れば愚にも付かないものなのだが、これが彼らの世界では非常に重要視されるらしい。そして、その看護研究にも勝って彼らが重要視している、いや神聖視していると言った方が良いだろうが、その仕事は「申し送り」だ。朝と夕方、彼らは「申し送り」をする。たっぷり1時間は掛ける。その間入院患者に何かあり、医者の私が彼らに声を掛けると、リーダーがきっと私を睨み「今、申し送り中です!」と私を叱りつける。彼らにとって申し送りとはかくも神聖な業務であり、患者の急変どころではないのだ。


    当時大学病院では、注射は全て医者の仕事であった。私よりかなり先輩の医者が当直中、病棟の看護師からNさんのおしっこが出ていませんと電話が来た。その先輩(後に教授になった)が「じゃあラシックス(代表的な利尿剤)一本注射して」と言ったら電話口の看護婦が「注射は先生のお仕事です」・・・ガチャッと電話を切った。


    ところが看護婦達は助教授(当時は助教授)以上になると丁重に扱い、教授にはあからさまにおべっかを使っていた。教授回診の時は必ず病棟看護婦長が付く。日頃我々若手の医者を顎で使っている看護婦どものその背後にいて、我々なんぞ歯牙にも掛けない看護婦長殿が、教授回診の時だけ出てきて教授にあからさまなおべっかを使う。覧ていて反吐が出る。


    と言うのが若かりし当時私が書いた「大学病院の看護婦」の概要だ。これを私がKOH’s WHOという自分のHPに載せたら、どうやら耳鼻科の看護婦がそれを読み、それは東北大学附属病院看護部上層部に伝わった。そうして、看護部上層部から、つまりは「総看護婦長」から老年科教授に(医師で教授に対して看護婦長から)、あのふざけた医者を外せ、という指示が下り、教授は私を病棟業務から外した。


    さて、ここからが後日談だ。東北大学が本物の国立から非公務員型の独立法人になった。まさにその日の朝、私は愕然とした。何故なら、昨日まで各種注射を医者に突き出し「やれ」と命じていた病棟看護婦が突然(そう言えば非公務員型の独立法人になった途端、私は病棟勤務に戻された)、あ、今日の注射は?と訊いた私に対して


    「注射は私たちがいたします」と言ったのだ。


    いたしますって、それまで看護婦達から一度も聞いたことが無い台詞だった。「これやって下さい、あれやってください」と医者を指示指図していた連中が、突然


    「注射は私たちがいたします」。


    あ、そう、じゃあお願いね、と小さくつぶやくと共に、私は心中


    「屑どもが」とどついた。


    彼らは正規国家公務員ではなくなった。その無くなった日の朝から、彼らは看護婦として本来やるべき仕事をきちんとやるようになったのだ。


    民間は金儲けだから駄目だ、国民皆が必要な業務は公営にすべきだと主張する人々がいるが、私はまさに「その日の朝」を体験した人間だから、そういう主張は一切無視する。公務員がどれほど屑か、そして同じ人間が公務員から公務員でなくなったとき、どれほど激変するか、私はこの眼で見たからだ。




     

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