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  • 投稿日時:2023/08/26
    今日はとんでもない患者が来ました。発熱外来の患者ですが、今日は発熱患者が押しかけて、私含め職員全員てんてこ舞いで働いても、皆さん長時間お待たせしてしまっていました。流石に38度とかの人をそんなに待たせられないので、発熱の人は順番早めにするのですが、そうなれば今度はそれ以外の患者さんが長時間待たなければなりません。我々は全力で頑張っているのですが、重症な方、高熱の方が次々に押し寄せるので、どうすることもできません。

    そんな中、発熱外来にきた女性が1人騒ぎ出しました。あたしは何時にこいと言われて予約してきたのに、なんで診察ブースを取っておかなかったんだ!というのです。看護師にも窓口の事務にもすごい勢いで怒鳴り散らします。それを私は他の患者さんの診察をしながら聞いていたのですが、こりゃとんでもないやつだと判断して、1人患者さんを診察し終わってから自分で出て行きました。

    そこで喚いているやつはどいつだ!みんな辛い中待ってるんだ!文句があるなら出て行け、馬鹿者!と大音声で怒鳴りつました。

    そうしたら、脅迫だ、警察呼んでやると言い出したので、警察なら私が呼ぶ!と言い、110番して警察に来てもらったのです。その後も散々喚き散らしたようですが、コロナ検査して欲しいならする、して欲しくないならしないと看護師長が伝え、「しろ」というので検査したら陽性でした。

    なぜかわかりませんが、陽性と分かった途端本人びっくり仰天したらしく突然おとなしくなり、薬をもらって帰りました。

    当院は診療所です。医療機関であってコンビニじゃありません。怒鳴り散らせばこちらが患者様患者様と揉み手をすると思ったら大間違いです。不埒なものは、容赦しません。
     
  • 投稿日時:2023/08/23

    よく患者さんに「生活でどんなことに気をつけたらいいですか」と聞かれます。血圧が高いとか、血糖値がちょっと高めだとかという場合によく聞かれます。それで私も医者ですから「さあ、わかりません」というのは言いづらくて、「なんとかに気をつけましょう」と言います。「塩分は控えめに」とか「水分をよくとって」とかね。

    こういうのは「養生(ようじょう)」と言います。でも実は養生の研究って、すごく難しくて曖昧なんです。それはこういう話です。

    私は高齢者の食習慣と転倒骨折の関係を、東北大が長年蓄積している地域コホートのデータを解析して探りました。そうしたら、その研究では、「野菜ばかりに偏る食事パターン」の傾向が強い人は転倒骨折のリスクが高まり、「肉を含む動物性タンパク質(魚でも良い)をよく摂取する食事パターンに当てはまる人は転倒骨折のリスクが減る」という結果が出ました。

    なんで私がこんな研究をやったかというと、昔李時珍(りじちん)という偉い生薬学の先生が「本草綱目(ほんぞうこうもく」という有名な本でで「肉は筋骨を丈夫にする」と書いているのです。ところが最近の欧米の研究では、「野菜や果物をしっかり摂ると転倒骨折が減る」というデータが並ぶのです。それで、「どっちが正しいか自分で調べてみよう」ということになったのです。我々の解析結果では李時珍に軍配が上がりました。


    しかし欧米の栄養学の有名ジャーナルは、この論文を認めませんでした。「これまで野菜や果物をとった方が良いというのが定説なのに、お前の結論はおかしい」というのです。でもしょぼい老年医学のジャーナルが採用してくれて、こうして英論文になっています。


    ただその、この研究をやって私が痛感したのは、養生の研究というのは漢方薬の研究に比べてもはるかに複雑で、結果は曖昧になります。「養生」というのがものすごくいろいろなものを含んでいて、しかもそれらの要素が相互に影響しあっていて、「どれか一つについて何が言えるか」ということにはならないからです。私たちの研究も「トマトの効果」とか「牛肉の効果」ではなく、「野菜に偏りがちな食事パターン」とか「動物性タンパク質をよく摂る食事パターン」などについての研究になりました。単一の食品について「これはなんとかによい」というのは、全然わかりません。「魚は頭に良い」と言ったところで、魚をよく摂る人は和食パターンかもしれません。少なくとも典型的イギリス人とかアメリカ人のような食習慣ではないでしょう。そうするとそういう人の生活習慣はどうなんだ、ということも関わってきてしまいます。魚をよく摂るというだけで、生活習慣全体が大きく変わるのです。だから「この食品はなんとかによい」という話って、大抵根拠がないです。トマトが良い、イワシがいいとか言っても、衣食住全体の生活習慣を一定にして、ひたすらトマトとかイワシだけ食べさせたらどうなるかなんて、わかりませんから。
    https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20513246/

  • 投稿日時:2023/08/23

    59になる私から、若い君たちへ。


    私が漢方の研究を始めた1990年代半ば、東北大学で漢方の研究をして医学博士を取ると言ったら、そんな呪いのようなもので東北大学の博士号は取れないと言われた。しかし最終的に私は東北大学開闢100年以来始めて、漢方の研究で学位を取った医学博士になった。


    私が漢方のエビデンスを検証すると言ったら、漢方の「偉い先生たち」から漢方は個の医学だから、西洋医学のEBMなどで効果は検証出来ないと言われた。お前なんか漢方医じゃ無いと言われた。しかし私はいくつものRCT(ランダム化比較臨床試験)やシステマティック・レビューを行い、それを元に英論文を48本書いた。今ではWHOが世界の伝統医学がどの様な分野でどれほど科学的検証が進んでいるか調査する研究に対し、意見を求められるほどになった。


    Wikipediaの英語版のyokukansanの項は私が立てた。ぎっしり臨床・基礎のデータを付けたら、誰か(おそらく日本東洋医学会系の誰か)がそれを全面削除し、ツムラの手帳を丸写ししたような文章に変えた。それを私は再度ひっくり返し、必要なデータに絞り込んで英語版Wikipediaのyokukansanのページを改訂した。何度か消されては戻しをくり返したが、ついに向こうが諦めた。


    今回私は日本語版Wikipediaの「漢方医学」の項を全面刷新した。今のところ邪魔は入っていないが、日本東洋医学会版の「漢方医学」の説明とはまったく異なる記述だから、何時書き換えられるか分からない。しかし原稿は保存してあるので、何度書き換えられても復元出来る。私はそのうちこの記述に基づいて、英語版WikipediaのKampoの記述も全面的に刷新するつもりだ。


    私は伝統医学を科学的に検証するという、困難な道を自らの道として選んだ。応援してくれる人もいたが、西洋医学の側からも、伝統医学の側からも、特に「えらい人々」からは常に攻撃、憎悪の的となった。その戦いは、59になった今でも続いている。


    若人らよ。自ら正しいと信じた道を選んだら、怯むな。無数の敵が君を攻撃するだろう。弾は前からだけで無く、後ろからも飛んでくる。共感者、友と思った人も、権力や権威、利益の前に屈し、君から離れ、君を裏切るであろう。君はその全てを覚悟しなければならない。


    しかし怯むでない。屈するな。どれほど苦しい人生であろうとも、君が常に真理の側に立って戦い続ければ、例え倒れても君は勇者である。君は自分の人生に誇りを持てる。しかし一度屈してしまえば、君の悔いは永久に晴れない。どれほど自らに言い訳しても、君の良心は君をさいなむ。


    君は孤独を噛みしめなければならないだろう。しかし真実を貫いていれば、何時かは人々が君を認める。それが君の死後であったとしても、それが何であろうか。ガリレオがつぶやいたごとく「それでも地球は回る」。死ぬ時に悔いが残る人生を歩むな。


    若人らよ!!!
    https://ja.wikipedia.org/wiki/漢方医学?fbclid=IwAR2C2Iw5u-Y5IzseiTBOK9xHtC2wbD783iUWP3N5bL1rcI0jBeakVeJ0IAo

  • 投稿日時:2023/08/22

    何十年も前から皆が待ち侘びていた「アルツハイマー病の根本治療薬」がついに我が国でも発売される予定です。早ければ今年中にも使えるようになるかもしれません。レカネマブと言うのですが、従来のアリセプト(ドネペジル)やメマリー(メマンチン)などとは違い、アルツハイマー病の発症のメカニズムそのものを改善させるというので、ものすごく期待が高まっています。難しくいうと脳内に「アミロイドベータ」という異常タンパクが溜まるのを抑えるのです。抑えるどころか、たまったアミロイドベータを減らしてしまうと言います。ついに出来たか!!なんですが・・・。

    その薬はどれぐらい効くのかというと。

    CDR-SBという18点満点のスコアで認知機能を測ったんだそうです。1600人ぐらいの早期アルツハイマー病の人(そのスコアで平均3,2点ぐらいの人)をレカネマブ群とプラセボ(本物と見分けがつかない偽物)群に分け、18ヶ月、つまり一年半経過を追ったら、レカネマブ群では認知機能悪化が1,21点にとどまったのに対しプラセボ群では1.66点悪化したから、両群には統計的に有意差がついた、というのです。

    18点満点のスコアで3.2点の人を対象にして一年半経過を見て、1.66点の悪化を1.21点の悪化に食い止めた・・・。うーん。それで1年間のお薬代が375万円ですって!もちろん保険は使えるでしょうが、後期高齢者で1割負担であっても自己負担が1年間37万5千円。それで効果はこの程度。ちなみにこの薬は2週に一回点滴だそうです。それも大変ですよねえ。

    期待が大きすぎたせいでしょうか、印象は「うーん」なのであります。

  • 投稿日時:2023/08/21
    「個の医療のエビデンス???」

    私は今は日本東洋医学会に所属していませんが、今年(2023年)の日本東洋医学会総会の一部が動画でネットに流れていて、それをたまたま見る機会がありました。「湯液VSエキスガチンコ勝負」とかいう(うろ覚えです)企画でしたが、そこに作務衣を着たおじいさんが登壇して、「個の医療のエビデンス」という講演をしたのです。

    西洋医学は集団の医療だ、それに対して漢方は個の医療だ。しかしEBM(根拠に基づく医療)が今や世界の趨勢となっている。漢方が個の医療であるなら、個の医療のエビデンスを構築する必要があるがそれにはどうしたら良いか、という内容の講演でした。

    その動画を視聴して私が感じたことは二つです。


    一つは、日本東洋医学会でEBMが堂々と論じられるようになったんだということ。そしてもう一つは、やっぱりこいつらEBMがそもそもわかってないな、ということでした。ちょっと説明が長くなるので初めに結論を言ってしまうと、「個の医療」とEBMは一切無関係だし、それでいいのです。


    EBMを最初に言い出したのは、カナダ人のGordon Guyatt (ガヤット)や David Sackettという人々です。1992年に提唱しました。しかしGuyattはもともと、「臨床疫学(Clinical Epidemiology)」をやっていました。臨床疫学というのは、臨床医学の諸問題を疫学的手法で解決しようという学問です。しかしこの臨床疫学という手法は、なかなか広まりませんでした。それがGuyattがEBMという名称を提起した途端、世界に広まったのです。

    EBMがあっという間に広まった理由はアメリカとイギリスでは違います。アメリカの事情はかなり特殊なので後で話します。アメリカは医療事情については非常に特殊な国です。医学は進んでいますが、医療は良く言えば独特、悪く言えば先進国の常識が通じない国です。付け足しておくと、日本はただ欧米の猿真似をしただけです、いつものことですが。

    さて、イギリスがEBMに飛びついたと言いました。具体的にいうと、イギリスのNational Health Service(NHS)、つまり国民保健サービスが飛びついたのです。EBMが初めて提唱された翌年の1992年には、NHSがコクラン共同計画を開始しています。またEBMの提唱者の1人Sackettは1995年にNHS R&D Centre for EBM、つまりNHS EBM研究開発所の所長になりました。

    つまり、EBMはそもそも疫学という「集団の医学」を母体にして生まれたということ、そして今でもEBMで最高権威とされるCochraneはイギリスの国民保健サービスが始めたものだということを理解しなければなりません。なぜNHSがEBMに飛びついたか。それは、イギリスが公的医療を医療制度の柱にしていて、「公的資金で運用する公的医療サービスで提供されるべき医療はどのようなものでなければならないか」という問題意識があったからです。国費ないし公的資金を大々的に投入して国民の医療を一定水準担保するのであれば、どんな医療行為でも構わないということにはなりません。少なくともそうした公的医療には何らかの科学的根拠が必要だろう、ということだったのです。ここでも問題とされたのは公的医療サービス、つまり集団の医療なのです。つまり、EBMというのは本来「集団の医療」を母体にしているのです。集団の医療ではもう一つ、その医療は国民全体に保証するコスパが見合うかというのも重要になりますが、それは後に回します。

    日本の国民皆保険制度も基本は同じです。戦前から戦後しばらくまで、日本は自由診療が基本でした。健康保険法というのは大正時代の1922年にできましたが、その後長くこれは一種の施し、何らかの理由(主に貧困)で医療が受けられない人のための救済制度という意味合いが強いものでした。1950年前後になり、戦後の経済混乱やものすごいインフレが続く中、多くの人々が貧困で医療が受けられない。これは流石に何とかしなきゃならんということで1958年に国民健康保険法が制定され、1961年に国民皆保険がスタートしています。


    私が生まれたのが1964年(昭和39年)で、この年に新幹線が走り、東京オリンピックが開かれました。日本はまさに高度経済成長時代を迎えたのです。こういう経済基盤ができて初めて、「国民全体に少なくとも一定程度の医療はあまねく公的に保証しましょう」ということになりました。

    医療用漢方製剤、つまりツムラの葛根湯のようなエキス漢方が最初に保険に収載されたのは1967年ですが、この時は六種類の収載にとどまり、1976年に42処方、現在では148処方が保険給付の対象になっています。

    日本の国民健康保険制度というのも、公的資金を投入して国民全体という集団に一定の医療を提供しましょうということですから、その医療は公的資金で国民全体に提供する価値があるものなのか?ということが問題になります。その中で「医学的根拠がある治療かどうか」が重要になるわけです。基本的にはイギリスのNHSの考え方と同じです。

    つまり、EBMはそもそも疫学者が提唱した概念であり、発展させたのは公的保険を提供する組織だったということです。言い換えると、EBMというのはそもそも集団を対象にした医療における概念なのです。だから「個の医療のエビデンス」と言っている時点で、「EBMわかってない」となるのです。


    さて、アメリカは特殊だと言いました。アメリカの医学界は、イギリスなどとは全く別の理由でEBMに飛びつきました。アメリカでは基本的に医療は個人のものです。公的医療保険などは国民体質として好かれません。そのアメリカでなぜEBMが広まったかというと、それは医療訴訟です。アメリカの医療訴訟の損害賠償額が天文学的な数字になるのはご存知の通りです。それで、訴訟に備えて「いや、この治療は根拠に基づいたものだ」という反論が必要だったのです。昔から行われていたとか、偉い教授がやっていたとかではなく、「科学的根拠がある治療をやったが結果は残念なことになったのだ」と主張する必要がありました。アメリカでEBMが広まった一番大きな理由はそれです。


    そもそも、完全な個の医療なら、EBMは必要ないのです。アップルの創業者スティーブ・ジョブズがガンで死んだ時、標準治療以外のいろいろな治療を自分で選択して受けました。その是非がずいぶん取り沙汰されましたが、あれは完全な「個の医療」です。ジョブズが自分の金で、自分の判断に基づいて選択した治療ですから、医学的エビデンスがあろうとなかろうと、他人がとやかくいう話ではありません。少なくとも一般的アメリカ人の受け止め方はそうでした。アメリカ人は徹底した個人主義で、自分がどんな医療を受けるかは「自分の金で受ける限り」自分の自由だと考えていますので、ジョブズが自分の大金を注ぎ込んでどんな治療を受けようが、それは本人の自由とみなされました。特にジョブズは徹頭徹尾「自分のアイデア、自分の個性」で人生を生き抜いた人ですから、あの最期は彼の人生として首尾一貫していたと思います。


    漢方でも中医学でも、煎じ薬治療というのは完全な個の医療です。その時その時で目の前の患者さんの状態に合わせて薬を調合するのですから、その薬が有効だとしても、それはその時のその人にとって有効なだけだということになります。これまでEBMの歴史やそれが広まった理由をご説明してきましたが、それを元に考えればこういう治療にEBMでいう「エビデンス」はそもそも無関係であることがわかるでしょう。もちろん治療するわけですから、何か「その治療をする理由」は必要です。しかしそれはEBMにおけるエビデンスでなくても構わないのです。EBMが基本的に集団の医療の必要性から発展したものである限り、「その時のその人」限りの治療とEBMは全く無関係です。


    エキス漢方薬は違います。エキスの漢方薬は国が法に基づいて行う医療保険の中で使われますから、「エビデンスあるんですか」ということが重要になります。莫大な公費を投じて国民にあまねく保証するに値する根拠がある治療なのですか?が問われるわけです。それと、公費を投じるのですから「コスパはどうなんですか?」ということも問題になるわけです。


    たとえば、自分の仕事を最初に例に挙げて恐縮ですが、認知症のお年寄りが興奮して怒り出す、暴れる、夜になると目が爛々としてどこかに出て行こうとする、介護しようとすると逆に乱暴されていると思い込んで抵抗して暴れるなどといったBPSDという症状、これに抗精神病薬を使うと症状は治りますが「錐体外路症状」と言ってふらつき、転倒、誤嚥性肺炎などが起きます。しかし抑肝散がBPSDを改善させ、かつ錐体外路症状は起こさないというエビデンスができました。そうすれば高齢者の転倒骨折や誤嚥性肺炎を減らせますから本人に取っても良いことだし、転倒骨折で寝たきりになって介護度が上がったり誤嚥性肺炎で入院したりというコストも減りますから、これは集団の医療の中で有用だとなるわけです。

    腹部術前後に大建中湯を飲ませておくと術後のイレウス(腸閉塞)が減るというのもそうです。お腹の手術をすると昔は頻繁にイレウスが起きました。患者さんが苦しむのはもちろん、イレウスの治療のために入院も長引きます。しかし大建中湯は術後イレウスを減らすというしっかりしたエビデンスがあります。それなら腹部の手術の前後に大建中湯を飲ませるという治療は国民皆保険という集団の医療において有益ですね、ということになります。

    つまりEBMでいうエビデンスが必要なのは、本質的には「大集団に公的に保証されるべき医療なのか」という判断のためなのです。元々が疫学から始まっていますから、エビデンスがあるかどうかも疫学的な手法で行われます。それでいいんです。だって目的が「集団的医療に有用かどうか」なんですから。

    というわけで2023年、つまりEBMが提唱されてから30年も経った今「個の医学のエビデンス」を大真面目に論じる日本東洋医学会や、その講演を聞いて「これは非常に重要な指摘だ」と納得する漢方医って、なんなんだかねえ・・・と再びため息をついてしまったのでありました。



     
  • 投稿日時:2023/08/12

    あゆみ野クリニックは訪問診療をしておりますが、24時間対応ではありません。24時間対応を謳って在宅診療すると、一人当たり診療保険点数が月3300点、つまり33000円ぐらいになります。しかし医者一人で24時間365日対応って無理ですよね。それでその時間外対応を請け負うコールセンターと言う会社があります。でも私は使っていません。そう言うコールセンターの対応は、「具合が悪いんですね、では救急車呼んでください」と決まっているからです。石巻で救急車となれば、必ず石巻日赤しかないです。そんなことやったら石巻日赤から「あゆみ野クリニックは何やってるんだ」と言われてしまいます。石巻日赤から見放されたら石巻でクリニックやれません。だから私は33000円もらえるところを11000円にしかならなくても、そう言う話には乗りません。11,000円って高いと思われるでしょうが、訪問診療の対象になるのはほとんど自己負担1割の後期高齢者の方ですから、ご本人のお支払いはひと月一回の訪問で1100円です。ただ交通費(ガソリン代)は別途いただいております。今ガソリン代高いですから。

     

    ちなみに東京なら救急センターはいくらでもありますから、そうやって在宅で33000円と言う商売は成り立つでしょう。多少評判悪くても、どうせなんとかなりますから。でも石巻でそれは無理ですね。

  • 投稿日時:2023/08/09

    最近は、発熱患者のオンパレードです。半分以上はコロナ陽性です。そういう患者さんの1人なのですが。

     

     

    数日前から症状がある。熱は全く出ていない。鼻水、軽い咳、頭痛、そして何より体がだるいと言います。よくあるコロナのように、39度の高熱が出ていればみなさん怠いといいます。そりゃ当たり前でしょう。しかしこの人は数日前から鼻水や軽い咳があるだけで、熱は出ない。市販の風邪薬を飲んだが全く効かず、ひどくだるくなったのでクリニックに来たわけです。

     

     

    体が冷えますか?と聞くと「それほど冷えるわけではないが、風呂上がりとかエアコンが効いてるところでは症状が悪くなる」と言われました。そこで私はこう説明したのです。

     

     

    これはコロナはコロナですが、漢方で言うと直中少陰(ジキチュウショウイン)というパターンです。あなたは何らかの理由で体力が落ちていて、普通なら出るはずの熱が出せないのです。この症状は軽いのではありません。体力が落ち、正常な炎症反応が起こせない状態ですから慎重に養生が必要です。

     

     

    そう説明して麻黄附子細辛湯(マオウブシサイシントウ)と桂枝湯(ケイシトウ)と言う二つの漢方薬をどちらも倍量で出し、「必ず熱湯でよく溶かして飲んでください」といいました。

     

     

    コロナも含め、ウィルス性上気道炎一般に、西洋医学には決まった治療法がありません。最近は総合臨床が流行りです。総合臨床の本には感冒について記載があります。しかしのっけから「感冒、いわゆる風邪」と書いてある本があります。これ、用語からして間違ってます。風邪が本来医学用語です。感冒というのは宋代にできた俗称です。そして「特異的治療法はない」と書いてあります。それはいいのですが、総合診療医ってのはEBM(根拠に基づく医療)が大好きです。それで、「特異的治療法がない」という文章に二つ英論文を根拠として引用している本がありました。私は立ち読みしてたのですが、ここでぷっと吹き出して、あとは本屋に置いてきました。こういう本や医学雑紙の風邪特集は、全部この調子です。冒頭に「特異的治療法はない」と書いて、あとは風邪と紛らわしい別の疾患の鑑別が延々と書かれています。当然こういうものに直中少陰なんか出てこないし、その治療法も出てきません。

     

     

    まあこんな調子ですから、巷の医者は各人各様の摩訶不思議な「風邪診療」を編み出します。ある医者は風邪にアジスロマイシンという抗生物質とプレドニン(ステロイド)を出しますし、ある医者は風邪には抗生物質は必要ないと知っているのか、アセトアミノフェン(カロナール)にイブプロフェンにペレックスを出します。アセトアミノフェンもイブプロフェンも解熱鎮痛剤です。ペレックスは複合感冒薬ですが、実はペレックスにもアセトアミノフェンが入ってます。アジスロマイシンは抗生物質ですが、風邪はウィルス性疾患で細菌感染ではないので、これは全く無駄です。それに風邪にステロイドって、いやそれは流石に頼むからやめてくれ的な・・・。

     

     

    でもこういう珍妙な風邪治療も、一概に責められません。だってどの本を見ても、どの医学雑誌の特集を見ても、「風邪の特異的治療法はない」および「風邪に紛らわしい他の疾患の鑑別」しか書いてないのに、風邪の患者は毎日来るんですから。開業医は患者を前に「風邪に特異的な治療はない。これがエビデンスだ」と言って英論文2本見せても話になりませんから、どうにかしようと「独自の」処方を編み出すわけです。

     

     

    風邪に特異的な治療法はないと言って英論文2本引用したって誰も読まないんですから、それより漢方の直中少陰とか、患者が悪寒する時とほてる時では治療が違うとかいう話をしてくれた方が、マシだと思うんですけどねえ・・・。

  • 投稿日時:2023/07/29
    2型糖尿病のコントロールが悪い人って、ストレスを受け流す能力が高い人とも言える。なんかまずいことや都合が悪いことが起きても「まあ大丈夫」とさらりと流す。だから心療内科やメンタルクリニックには縁がない。ただ糖尿病に関してはこの性格が完全に裏目に出て「まあ大丈夫」と言って薬も忘れ、食べたいだけ食べ(これも彼らがストレスを受け流す術の一つ)、久しぶりに受診すると「残った薬飲んでました」と平然という。薬が残っていたということはろくに飲んでなかったということだが、それを指摘しても「えへへ」と笑って流す。

    まあこういう人生もいいんだと思う。太く短く、65過ぎたら心筋梗塞や脳卒中で寝たきり。こういう人は生まれつきこういう性格だと思ってるから、私は「そうですかー。じゃまた同じ薬出しときますねー」とにこやかに笑って帰す。内心は諦めてるんですけど。こういう人糖尿病教室とか指導とかやっても無理。性格は治りません。

    何かに適応しやすいことは別の何かには都合が悪いって、人生よくあるものだ。
  • 投稿日時:2023/07/24
    これは、悲しい物語です。しかし石巻市民にとって、目を逸らしてはいけない事実です。

    私は7年前に雄勝の診療所長を7か月やりました。あのときの経験は、今に到るまで私の人生で前代未聞でした。

    雄勝は現在の石巻市に含まれる範囲ではもっとも甚大な震災被害を受けました。旧市街地は港を囲む海沿いにあったので、津波で完全に破壊されたのです。全て、何も無くなりました。辛うじて生き残ったのはリアス式海岸の山の上に点在する集落だけです。かつての雄勝は古いとは言え三階建て鉄筋コンクリートの公立病院があり、そこにはCTもあり、街には開業医もいたし薬局もあったしスーパーもコンビニもありました。要するに普通の田舎町だったのです。人口は4千人でした。 それは震災で一挙に消滅しました。何処が被害を受けたと言うより、街がそっくり消滅したのです。

    それで、雄勝をどうしようかという話になったのです。石巻市の上層部は「さすがにあそこは無理だろう」と考えたようです。しかし当時の民主党政権は、復興は地元住民の意向に従うという原則を打ち出しました。そこで地元住民が話し合って作った復興案というのが、絶句するほか無いものだったのです。

    基本コンセプトが「4千人の街を取り戻す」でした。しかも、もともとの街があった海辺の平地にまた街を作っても流されるだけですから、巨大な防波堤を作り、流されて更地になった元の中心街全体を高さ15メートルの高台にし、その高台に作られるであろう未来の街の中心街と周辺の山々に点在する集落とは高架道路で結ぶというのです。

    凄まじい巨大工事が始まりました。金は湯水のように降ってきます。私が赴任したのは7年前ですので震災から4,5年経った頃でしたが、全域が大工事現場でした。高架道路というのは概ね出来上がっていました。雄勝に首都高みたいな高架道路が作られたのです。高台はやっと赤土を盛り上げたばかりで、ブルドーザーが走り回っていました。消滅した公立病院の代わりに、小高い丘に市立の診療所と幼稚園が建設中でした。元々鉄筋コンクリート造りで大きな体育館も付いた小中学校が2つあったのですが、それを2つとも無くして新しく小中学校を作っていました。驚くことに、診療所も幼稚園も小中学校も、全て総檜造りです。今の時代、総檜造りって1つ一億ぐらいでは到底出来ないですよ。でもともかく金だけはいくらでも降ってきたので、全部超豪華に作ったのです。

    しかしこれは完全に裏目に出ました。これだけの巨大事業を一気にやった。一向に工事は捗りません。5年経ってもみんな戻るところが無いのです。スーパーどころかコンビニ一軒すら無い。周り中工事現場でブルドーザーやダンプが行き来しているだけの所に、人は戻れません。結局元の住民は蛇田当たりに皆移住してしまったのです。そっちで復興住宅に入ってしまいました。

    私が赴任していた当時で雄勝地区の人口は2千でした。4千から2千に減ったのです。それでも工事は止まりません。政権は民主党から安倍自民党に変わりましたが、巨大土木工事は一切見直されること無く続きました。 新しい診療所の隣の敷地が新しい幼稚園だったので、雄勝総合支所の役人に訊いたことがあります。この幼稚園、何人ぐらい入園するんですか、って。そしたら4人だって言うんです。二千人がどうにか残っていた当時、利用予定者が4人。

    4人と言えば、その頃診療所に来る患者数が一日平均4人でした。朝巡回バスに乗ってくるお年寄り達です。その人達車の運転が出来ないので、巡回バスが戻ってくる昼過ぎまで診療所でおしゃべりしてます。他にはまず来ないのです。

    漁業はどうなったか。漁業は続けられたのです。港はいの一番に修復されました。ところが漁民は皆、石巻の新興開発地である蛇田辺りから通勤してくるんです。雄勝は何年も何年も住める状況では無いので、その間にみんな蛇田とか、今私がクリニックを構えているあゆみ野などの復興住宅に移ったんです。それで、毎朝そこから雄勝の港に通勤するんです。当時私も蛇田のアパートから雄勝の診療所に通いましたが、北上川の堤防沿いの道を走ると、朝は石巻市内から雄勝に行く車がかなり混むんです。逆じゃ無いんです。雄勝には人が住んでないので、雄勝から石巻に通勤する人はいない。でも石巻から雄勝の港に通勤する人はいるんです。そもそも雄勝総合支所の職員のほとんどが石巻からの通勤でした。辺り一面工事現場で、コンビニもスーパーも無いところに、住めるわけ無いのです。

    市立の診療所は市の健康部という所の管轄なんですが、一度健康部長が診療所の現状を見に来ました。半日居て4人しか患者が来ないのを見て、健康部長が言うわけです。「先生、ここに常勤の医者ってどうなんでしょうね」。私は黙って首を横に振るしか無かったです。そうしたら健康部長が、「そうですよね・・・」と寂しげな笑みを残して帰って行きました。

    それが7年前です。直近の統計では、その当時二千人残っていた雄勝の人口は、さらに千人にまで減ったそうです。あの総檜造りの幼稚園に今園児がいるのかどうか、私は知りません。街の中心街になるはずだった広大な高台は、いま太陽光パネルが敷き詰められています。結局のところ、人は戻ってきませんでした。「人が住み暮らす街」としての雄勝はやがて消滅するでしょう。漁業は残りますが、漁業権を持つ人々は皆蛇田とかあゆみ野から通勤するのです。 雄勝に何兆円税金がつぎ込まれたか分かりませんけど、人がそこに住める街というものは、どれだけ税金をつぎ込んだからって出来るものではないのです。
  • 投稿日時:2023/07/24

    今日は、敢えて石巻にとって暗い話をします。


    石巻市の人口は、平成20年には16万5千人でした。それが直近では13万5千人です。3万人減ったわけです。


    もちろんその間には、あの大震災がありました。しかしそれだけではないようです。石巻市の人口は1985年の18万あまりがピークで、その後減少の一途をたどっています。震災の年、つまり2011年は極端に死亡者が多い。これはもちろん、あの震災で亡くなった人々です。深くお悔やみを申し上げます。


    しかし石巻市全体の人口推移を見ると、グラフ(https://financial-field.com/living/entry-100278)を見れば分かる通り、ピークの1985年から今日まで、その減少スピードはほぼ一定です。震災だけで一気に人口が減ったわけでは無いのです。震災は確かに一時的に減少速度を上げましたが、1985年から現在までの減少グラフの中では、一時的に僅かな下振れを起こしただけです。石巻の人口は、震災とは別の理由で、ずっとほぼ一定の割合で減り続けています。


    もちろん、日本全国の人口が減っているのだからしかたが無い、と言うのはあります。しかし石巻の人口減少率は、全国のそれを遙かに上回ります。


    産業が無いのか。


    石巻は全国でも有数の水産港湾都市です。海沿いに行けば分かりますが、巨大な港湾を取り巻くように、水産加工業の工場が建ち並んでいます。水産業はおそらく水産加工だけで無く、相当の関連産業を抱えているでしょう。この点、石巻は人口減少に悩む他の地域よりは優位なはずです。しかし人口はほぼ一直線に減り続けている。


    石巻市でクリニックをやって丁度1年。私はどうもその一端が見えてきたような気がしています。


    あゆみ野クリニックには心療内科があります。これは、亡くなった前院長長純一先生が標榜し、私が後任として赴任した時「残してほしい」と言われ残したものです。この当院の心療内科の患者さんのうち、実に8割近くが若い労働者です(後の2割は不登校の子供さんです)。職場環境になじめない、苛めを受けている、明らかなパワハラを受けている等々、職場の要因で心を病んでしまった若い労働者が、患者層の8割近くに上るのです。当院は別に労働問題を専門に掲げているわけでは無いので、おそらく石巻で心療内科を掲げると自然に集まる患者さん達なのだろうと思われます。


    患者さんの話を聞くと、パワハラをしているのはちょっと大きな事業所では中間管理職、小規模事業所では経営者本人です。ほぼ全てが地元の中小企業です。大手企業の支店からそう言う患者さんが来ることは、めったにありません。
    地元中小企業が、病んでいるのです。


    患者さんの話を聞くにつれ、もちろん患者さんは被害者だが、彼らにパワハラをする中間管理職や中小企業の経営者が本当は一番病んでいるのではないか、という気がしてきます。つまり目の前に居るのは若い労働者ですが、その後ろに何人もの「病人」がいるのです。


    私も貧乏クリニックを運営する経営者ですからよく分かるのですが、患者さんの訴えを聞く度に、「ああ、この会社、経営者本人がおそらく一番メンタルをやられてるな」という事が想像出来ます。経営はカツカツか火の車。経営者は絶えず資金繰りに追い詰められ、若い社員や中間管理職に当たり散らす。当たり散らされた社員は耐えられなくなって辞めていく。するとさらに人手不足が経営困難に拍車を掛ける。すると経営者はさらにヒステリーを募らせる。


    目に見えるようです。


    今やあゆみ野クリニックはこうした若い労働者の駆け込み寺のようになっていますが、私自身、飛び込んできた若い労働者を一時的に守って立ち直らせた後は、「仙台で職を探しなさい」と言わざるを得ません。仙台にもブラック企業はあるだろうが、ましな会社もあるから、と言うわけです。本当は「石巻にもよい企業はあるはずだから」と言いたいのですが、言えないですね、正直なところ。石巻で再就職しても、結局どこも似たような内情なんだろう、と考えざるを得ません。それほど石巻の労働環境は深刻です。


    地域が疲弊し、その原因か結果か分かりませんが地元中小企業が疲弊する。そのしわ寄せが結局底辺の若い労働者に及び、若い労働者が石巻を出ていく。こういう構図は、間違いなくあります。若い労働者ほど、石巻を去らざるを得ない状況に於かれているのです。


    経営者が追い詰められてヒステリーを起こすのは自己責任とまでは言いませんが、経営者というのは結局事態の責任を一人で負う立場です(私も含めてですが)。若い労働者は一方的な被害者です。しかし彼らには「立ち去る」という最終手段があります。地元中小企業の経営者には、私も含めてその選択肢はありません。だから余計に追い詰められる。それは私もその一人ですから痛いほど分かりますが、だからと言って社員に怒鳴りつけていては事態が更に悪化するばかりです。


    これは自戒を込めて言うのですが、まずは石巻の地元中小企業の経営者がこの構図をしっかりと自覚する必要があります。人手不足が加速する一因は、間違いなく我々地元中小企業の経営者にあるのです。まずこれが自分の会社だけで無く、石巻全体で起きていることなのだという事を認識し、地元中小企業の経営者が一致団結して自らの意識改革と事態の打開に取り組まなくてはなりません。石巻から労働者が逃げ出し、経営者が直面する人手不足を加速させているのは実は経営者自身なのだという事を中小企業の経営者が自覚し、皆でその解決を模索しなければ、いずれ石巻は消滅するかも知れません。


    経営者は孤独です。しかし一人で悩むばかりでは、いずれ自分の会社ばかりか、石巻そのものが壊滅します。みんなで真剣に話し合いませんか。

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