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  • 投稿日時:2024/01/19
    あゆみ野クリニックで鍼を使う場合は二つ。

    急激な痛みの患者。もちろん急激な痛みって何か原因はあるので原因究明しなくてはならないのだが、とりあえず痛みを止めると言う時。頭頸部なら風池、風府、百会、肩中、肩外、合谷などにポンポンと刺して痛みが止まることが多い。腰痛なら腎兪、陽関、大腸兪、腰兪、委中。まあともかく痛み軽くしましょうと言うこと。

    鍼の効果があるかどうかと言う見定め。神経疼痛などは主に仙台の神谷哲治先生に紹介するのだが、百会にまず刺して、風池、合谷、委中などを刺してみて、ある程度反応を掴む。行けそうなら神谷先生紹介。やはり石巻から仙台の自費の鍼灸院紹介となると患者の負担もあるから、ちょっと効果を見てみる感じ。

    どちらも鍼治療の代金は取れない。取ると混合診療になるから。まあ、本格的にやるわけじゃないから、サービスと割り切っている。曜日決めて鍼治療の日とすれば無論自由診療で料金いただけるが、そこまでやるほどの腕じゃないし、それに一日中鍼やっても大して儲からない。それに他の患者さんは来るのでその日は鍼しかやらないと言うわけに行かない。

    まあまあ、本格的じゃないのは分かってるけど、鍼灸とは効くものだと言うことをきちんと理解しているし、どう言う患者に鍼灸を薦めるべきか、誰に紹介したら間違いないと言うのも分かっているから(鍼灸ではこれが特に大事)、これでだいぶ診療の役に立つんです。
  • 投稿日時:2024/01/12

    先日発熱外来を受診された方から「聴診はしないのか」という声があったと聞きました。

     

     

    聴診というのは儀式ではないので、必要な時に目的があってやります。ただ当院のようなちっぽけなクリニックでもレントゲンや心電図を普通にその場で撮れるようになっている今、聴診の必要性は限られています。

     

     

    代表的なのは喘息発作でしょう。気管支喘息というのは発作時に聴診してあの典型的な「ピュー」っと言うパイプに空気が通るような音を聞けばそれで診断確定です。その音だけで「喘息発作」と診断します。逆に明らかに喘息発作のはずなのに胸を聴診して何も音が聞こえない時は「無音性喘息」と言ってやばいのです。それはその患者さんがほとんど窒息しそうだと言うことを意味します。

     

     

    内科初診の患者さんは全て聴診をします。これは主に心臓弁膜症を引っ掛けるためにやります。心臓が血液を全身に送るポンプなのはご存知と思いますが、心臓の中にはその血液が逆流しないよう三個の弁がついています。僧帽弁、三尖弁、大動脈弁です。こうした弁が硬くなったり逆流したりすると聴診で心雑音が聞こえます。弁膜症と言います。だからまず最初の外来で「心雑音はないかな」とみている訳です。胸のどの辺に雑音が強く聞こえるかで、おおよそどの弁に問題があるかまで当たりがつけられます。昔はもっと詳細な聴診を行ったようですが、今では心臓エコーというものがありますので、詳細な検査は心臓エコーでやりますから、聴診の役目は「最初に引っ掛ける」だけになっています。

     

     

    肺の慢性疾患で特有の呼吸音がすることがあります。しかしそういうのは今はレントゲンなどの検査がすぐその場でできますから、あまり重要ではないです。

     

     

    訪問診療で往診先、となるともちろん聴診は大事です。往診先にレントゲンはないですから。肺炎の音とか、胸に水が溜まっていないかとか、聴診で探ります。もちろん「怪しい」と思えばすぐクリニックに来てもらうか、容体が悪ければ入院紹介になりますが、「とりあえずこれはまずいぞ」という「医者の感覚」を持つのに聴診は大事。

     

    私が聴診を使うのは、だいたいこんなところです。だから発熱外来の患者さんを聴診するというのは、普通はやりません。発熱外来だけども息が苦しいと言われると、血液中の酸素濃度がその場で測れますから、それが下がっていれば患者さん本人に特別なマスクをつけてもらってレントゲン、という方が優先になります。そういうことは別ですが、一般に発熱外来で聴診する意味はないので、やりません。38度の熱が出てふうふう言っている人に弁膜症があるかないかみても、患者さんから「今日はそっちじゃない」と怒られてしまいます。

  • 投稿日時:2023/12/22

    当院心療内科には、人生で躓いた若い人がよくきます。この人もその一人。

     

    数日前、ある若者が外来に受診した。その人は大学は出たものの、長患いをしてしまい、就職が2年ほど遅れたそうだ。しかしようやく病も癒えたので、仕事を探した。その人は工学系の学部を出た人だったから、原発の仕事なら自分の知識を活かせるかもしれないと思い、女川原発の関連企業に就職したそうだ。ところが原発の現場はその人が思い描いていたものとは全く違った。彼に割り当てられたのは、来る日も来る日もドラム缶を手作業で移動させる作業だった。原発にあるドラム缶の中身は、「知らぬが仏」というところだろう。

     

     

    それで彼はすっかり体調を崩してしまい、仕事に行こうとすると動悸、吐き気、息苦しさが出るようになり当院を受診したというわけだ。

     

     

    症状は要するに「心因反応」と呼ばれるもので、動悸がするから心電図を取るとか、そういうものではない。だがさて、この人になんと言おうかとしばらく考えた。その結果、私はこう言った。

     

     

    さて、これから君に三つのことをいう。よく聞きなさいよ。

     

     

    1。女川原発の現場というのは、人を人と思わぬところだ。原発の現場労働者は人間とみなされていない。単なる使い捨てのネジだ。当院にそういう原発の下請け労働者が健診にくるが、ああいうところの健診というのはなんと労働者の自腹だ。会社が金を出すのではない。そして検診で何か引っ掛かると、本人から必ず「それは書かないでくれ」と言われる。高血圧だろうが糖尿病だろうが、何か書かれてしまうと即クビになるからだ。つまりあそこの検診は労働者の健康を守るためではなく、「不良品」を弾くためにやるんだ。もちろん東北電力の正社員様は別扱いだがね。

     

    2。君はせっかく大学を出たんだから、2年ほどのブランクがあるとはいえ、普通にまともな仕事に就きなさい。まともな職場というのは、人を人として扱う職場のことだ。女川原発がそうでないことは自分でわかっただろうが、まともでない職場というのは他にもいくらでもある。つまり人をネジだと思う職場だ。君はそうでない仕事をさがしなさい。

     

     

    3。しかしながら、最後に言っておくが、どんな仕事でも(ここで口調をガラリと変えて)「楽な仕事なんざあ、ありゃあしねえよ」。仕事はなんであれ辛いものだ。特に下積みの間は辛抱するしかない。下積みの間にどれだけ苦労するかで、君の社会人としての一生が決まる。

     

     

    と言って若者の顔を見た。そうしたら鬱々として入ってきた若者はパッと晴れたような顔をして、「よくわかりました」と言って席を立った。ついてきた親が(なんで20代に親がついてくるのか知らないが)「あの、お薬は?」というのを素知らぬ顔で、患者本人に「君の人生を切り開く薬なんてものはない。君が人生で頼りにするのは親でも薬でもない。君自身だ」と言ってのけた。若者はすっかり納得したようでさっさと診察室を出ていったから、親は今ひとつ納得いかないような顔だったが渋々出ていった。お説教代として「通院精神療法・初診」はいただいておいた。

  • 投稿日時:2023/12/13

    機能性ディスペプシアで胃が痛む人。他院でタケキャブ出されても当たり前だが改善しない。半夏瀉心湯と黄連湯を合わせてしばらく飲ませたら「最近は随分調子がよい」という。じゃあタケキャブとか私が出している漢方とか、時々飲み忘れたり半分にしてみて良いですよ、と言った。それで様子を見てくださいと。


    ふと患者さんが、ところでこの漢方薬はどういう効果があるんですか、と訊いてきた。


    ふっふっふ、痛いところを突いてくれるじゃないか、と私は診察室にあったツムラの手帳を取り出した。


    実はこの二つはほとんど似た薬なんだ。ここに半夏瀉心湯に含まれる生薬が載っている。半夏ってのは気を巡らせる生薬だ。漢方というか、中国伝統医学では、体内を三つのものが巡ると考える。気、血、津液だ。血というのはざっくり血液と思って良い。津液もまあまあ体液と思って良い。血液、体液は体内を巡るというのは当然だよね、だけど血液も津液も物体だから、それが勝手にぐるぐる巡るわけじゃ無い。巡らせるエネルギーが必要だ。それが気なんです。気も体内を巡る。ところが時々その巡りが乱れたり滞ってしまうことがある。そうすると気持ちが鬱々としたりするんだが、それを気の滞り、気滞という。気滞をきちんと巡らせる治療法が理気で半夏は代表的な理気薬だ。


    黄連と黄芩はイライラカッカを静めると共に炎症を抑える。あとの乾姜、甘草、大棗、人参は胃薬だ。だからこれは胃薬を主体にしながら気を巡らせ、ストレスによるイライラを静める薬になっている。


    ところがこっちは黄連湯の中身だ。パッと見れば分かるように、半夏瀉心湯と似ているでしょう?半夏が入っている、黄連も入っている、胃薬の乾姜、甘草、大棗、人参も入っている。桂皮はこれも理気薬で気を巡らせる。


    つまりこの二つはだいたい同じだ。だけどエキスの漢方薬は力が弱いから本当は倍量で出したい。でもそうすると保険が通らないから、ほぼほぼ同じな二つの処方を同時に出して倍量出したのと同じことにしたんです。


    患者さん、なるほどと頷く。「ちなみにどこかで漢方を出す医者がいたら、この薬にはどんな生薬が入っているんですかと訊いてご覧なさい」と言ったら患者さん、「なるほど」と言わんばかりにやりと笑った。


    フローチャート漢方とかで漢方処方する医者はこう言う患者に何をどう説明するのか、私は知らんけど。

  • 投稿日時:2023/12/13

    職場の人間関係で鬱になり、仕事を辞めた患者さん、状態もよくなってきたのでそろそろ職探しを始めている。しかし次の仕事でもきっと誰かと上手く行かないのではと不安だという。


    それはそうです。私もあちこちで働きましたが、どうも立ち回りが下手でねえ、いつも衝突してしまうんですな、特に偉い人と。と私も半ば溜息を漏らしながら応えた。


    そうですよねえ、と患者さん。


    ところがね、こんな話があるんですよ、と私。四苦八苦って言うでしょう、四苦ってのは生老病死だ。しかし八苦というのは、もう四つ苦しみがあるから八苦なんです。それが何かって言うと、「いやな奴ほど付き合う羽目になる」ってのと、「この人とは別れたくない」と思う人ほど引き裂かれてしまうものだ、と言うんだね。もう二つは今日は置いておく。


    これ、一応仏教では有名なんだけど、仏典でこう言うってことは、お釈迦さんにだって内心いやな奴がいたってことですよ。こいつ面白くねえ、と腹で思いながら内心取り澄まして悟った顔をしてたって事じゃ無いですか。ね、あなたが悩んでる事って、お釈迦さんだって悩みの種だったわけさ。


    そう言ったらその人一瞬あっけにとられたような顔をしたがふっと緊張がほぐれたように笑い出した。なるほど、そうですねえ、なるほどなるほど、と頷いている。それまでなんとなく不安が晴れないような顔をしていた患者さんの表情が一気に穏やかになった。


    そこで、「今の仏教はね、お寺に行くと仏像があって拝むんだが、お釈迦さんはそんなことは言ってない。あの人は自分の像なんか造るな、と言ったんだ」と教えた。患者さんはびっくりしたようだ。


    お釈迦さんが本当に言ったことは、仏像を拝めば救われるなんて事じゃ無い。まずこの世界の成り立ち、法則、自分を取り巻く状況を冷静に見抜けというんだ。そうして、見抜いたらあとは自分を信じて行動しろって言った。結局あなたの頼りにすべきは正確に状況を見抜くことと、自分を信じることだ。こんな安定剤だ漢方だが頼りになるわけじゃ無い。そうだろ?」


    医者としてはかなり乱暴な理屈だが、患者さんニコニコとして頷く。はい、今日の説教はお終い。お布施は千バーツね。よいお年を。


    四苦八苦が本当にブッダの言葉かどうかは実は怪しい。だが私は対機説法をしたわけだ。患者を安心させるために悪い冗談の種にされたぐらいで、お釈迦さんが怒るわけでも無いだろう。

  • 投稿日時:2023/12/09
    私が片言英語を話せることが伝わっているらしく、当院には時々外国人の患者さんが見えます。

    ある時、電子カルテで患者名を見たら明らかにロシア系の方でした。お名前は忘れましたが、私は待合室に出て「マダーム、パジャールスタ」と呼びました。パジャールスタはプリーズです。どうぞ、というぐらいの意味で使います。


    そうしたらその女性は転がり込むように診察室に入ってきて「今、ロシア人と思われたくありません」と言ったのです。その方は日本語が堪能で、私のロシア語は拙かったので診察は日本語でやりました。診察が終わったあとザボーチッツァ、お大事にとは言いましたが。


    海外に暮らして、故国を恥じなくてはならない人がいます。大変辛い思いをされていると思います。しかしあゆみ野クリニックの標語の第一は

    「私の前に現れる人は、皆患者である」


    です。何人だろうが、肌が黒かろうが白かろうが、ヤクザだろうが、病んで当院にくる人は皆患者です。まあその、中には睡眠薬の売人だったという人がいて、そういう人は出入り禁止にしましたが・・・。
     
  • 投稿日時:2023/11/30
    先日当院物忘れ外来に来られた80代女性。


    まあ物忘れ外来に来るほとんどの方は、本人の意思で来るわけではないです。この方も、娘さんがどうも最近母がおかしいと言って連れてこられました。

    外来での受け答えはなんとなく辻褄があっていましたが、MMSE と言う認知症スクリーニングテストをしたら認知症レベルです。しかし私はその検査結果を見て首を傾げました。変だな、これはアルツハイマーパターンじゃない、と言って幻視がないからレビー小体型らしくもない。なんだろう?

    その答えは採血結果でわかりました。亜鉛とビタミンB12が著しく欠乏していたのです。一般にビタミンと言うとすぐ野菜や果物を思い浮かべませんか?その人は野菜中心の食生活でした。しかしビタミンB12食品、亜鉛食品でググってご覧なさい。肉、魚、卵、乳製品などが並びます。その人は田舎のおばあさんで、肉は苦手、魚は内陸でたまにしか食べない。そうすると、亜鉛やビタミンB12は欠乏するのです。ちなみに海藻が出て来ますが、残念ながら海藻は確かに亜鉛をたくさん含みますが、人間の腸は海藻をほとんど消化できません。あれは食物繊維として便秘には良いが、栄養源にはならないのです。

    結局その方には亜鉛を含む胃薬プロマックを出しつつ、その方がお好きな卵や乳製品を積極的に食べていただいて二ヶ月したら物忘れは治りました。亜鉛が多い食品は牡蠣ですが、さすがに牡蠣毎日食べるのはちょっと大変だと言うのでたまたま亜鉛が含まれる胃薬プロマックで代用したのです。

    伝統的日本食は体に良い、ビタミンは野菜や果物と思い込むのは間違いです。肉、魚、乳製品も大事なんです。きちんと採血しなければ、この人に認知症と診断してアリセプトか何かを出すところでした。高齢者医療はプロの仕事です。普通の内科はこう言うこと知らないですから。
  • 投稿日時:2023/11/21
    あゆみ野クリニックには心療内科があります。これは癌で急逝された先代院長の長純一先生がやっていたのを、「止めないでくれ」と言われ正直あまり乗り気がしないままに引き継ぎました。


    心療内科というのは変わった科です。医療の一分野ではありますが、「医学」つまり体系的な学問になるのかというと、なりません。長年漢方などという得体の知れないものを学問にする、エビデンスを作るとやってきた私が、「こいつはどうも、まったくEBMには乗らない」と諦めたものが心療内科です。


    心療内科ってのは、要するに人生の苦労を扱う科です。精神科とは違います。精神科は内因性うつ病、統合失調症という、ある程度均質化が可能な対象を持っています。内因性うつ病や統合失調症も、当然外界の影響を受けますが、本質的に内因性であって、だからこそある程度均質化が可能です。「内因性うつ病とはこれこれという症状を持つ人々だ」とくくれるのです。


    しかし心療内科が「人生の苦労」を扱う限り、それは均質化出来ません。均質化出来ないから、学問になりません。現代の医学はEvidence Based Medicine (EBM)と言うのが主流ですが、これは元々臨床疫学に端を発しており、ある程度均質化が可能な集団に対して統計的最適解を出すというのが原理だからです。


    人生の苦労というのは均質化出来ないと言ったのはトルストイです。アンナ・カレーニナの冒頭、有名な一行。
    「幸福な家庭は全てお互いに似通っているが、不幸な家庭はどこもその趣が異なっている」。
    これが全て。

    人間の不幸、特に人生の不幸は均てん化出来ない。その人の不幸はその人だけのものです。人それぞれ、不幸は違います。だから人生の不幸を扱う心療内科はEBMにのらず、サイエンスになりません。医学というものは、あるいは医学というサイエンスは、均てん化し、統計的に処理するのが基本原理ですが、「人生の苦労」は均てん化出来ません。心療内科をEBMでやろうとしたら失敗するだけです。


    もちろん、まったく馬鹿らしいレベルのことならEBMに乗せることは出来ます。例えば「頭痛、めまい、吐き気、腹痛、下痢、不眠はメンタルだ」という命題であれば、そういう症状を持つ集団を対象にして、どれほどメンタル素因が強いかデータ化するのは可能です。でもそれは「今朝起きたらゾクッと寒気がして、頭痛がして熱が37度ある」という集団を集めてその診断が風邪である確率を計算するのと同じぐらい無意味です。そんなことはなにも2年掛けて臨床研究しなくても、半年臨床をやれば分かります。半年臨床やれば分かることを2年掛けて研究しなくて良い。そうすると、心療内科にはEBMに乗せるべき内容が無いわけです。


    私は今心療内科をやっています。しかし私の心療内科は完全な自己流です。しかし「では自己流で無い心療内科というものはそもそもあるのか」と言われたら、私は「ない」と思います。もしマニュアルや教科書に従って心療内科をやったら、それは患者の症状の数だけ薬を積み上げるだけになるでしょう。西洋薬だろうが漢方薬だろうと同じです。心療内科が扱うのが人生の苦労と重荷である以上、心療内科医はそれを受け止められるだけの人生を経ていなければなりません。人生順風満帆、皆から愛されて幸福な家庭を築きましたという人は、多分一生掛かっても心療内科は出来ません。100冊教科書を読んでも無駄です。人生の教科書ってないですから。そりゃもちろん、「人生こうしたら成功する」類の本は無数に売られていますが、中身は全部馬鹿馬鹿しいだけです。


    医学に数あれど、どうやら心療内科だけは何処をどうやってもサイエンスにならないようです。
  • 投稿日時:2023/11/13

    多くの開業医は勉強熱心だから企業が協賛する勉強会にせっせと通いますが、私は横着なので暇な時に英論文を読んですませます。このJAMA(アメリカ医学会雑誌)に最近載った論文には開業医である私が驚くようなことが書かれていました。代表的な胃酸を抑える薬の一つランソプラゾール(商品名タケプロン)を飲んでいる人にセフトリアキソンという抗生剤を注射すると、心停止や死亡が増えるというのです。

     


    ランソプラゾール、商品名タケプロンは胃潰瘍、逆流性食道炎などによく用いられる胃酸を抑える薬です。極めてたくさん処方されていますし私も時々使います。胃酸を抑える薬であるPPIはたくさんありますが、ランソプラゾールはPPIの中でも特に一般的に使われる薬の一つです。皆さんや皆さんのご家族でも飲まれている方は多いと思います。
    ところがこの論文によると、セフトリアキソン(商品名ロセフィン)という抗生物質の注射をPPIを飲んでいる人に使った場合、ランソプラゾールを飲んでいると心室性不整脈や心停止、入院中の死亡のリスクが他のPPIを飲んでいる人より明らかに高いというのです。

     


    困りました。


    セフトリアキソン(商品名ロセフィン)という抗生物質の注射薬は、注射が一日一回で良いという利点があります。だから入院患者にも使われますが、当院(あゆみ野クリニック)のような外来しか無いクリニックで非常に重宝する抗生剤の注射です。だって外来患者に「朝夕二回毎日注射しに来い」ってなかなか言えないです。ですから腎盂腎炎(腎臓にばい菌が入る)、蜂窩織炎(皮膚の裏側にばい菌が拡がる)といった病気には、セフトリアキソン1日1回注射7日間、という治療をします。毎日通うのはそれなりに面倒かも知れませんが、それでも一日一回来るだけならわざわざ入院するよりは楽だしお金も安くてすみます。当院は発熱外来をやっているので、腎盂腎炎や蜂窩織炎の患者さんは時々いらっしゃいます。特に女性は腎盂腎炎になりやすい。


    しかしこういう結果が出てしまうと、ランソプラゾール(タケプロン)を飲んでいる人が腎盂腎炎などになってもセフトリアキソンは使いにくい、と言うことになってしまいます。腎盂腎炎を治療しようとしたら心停止した、と言うのはシャレになりません。


    ではどちらを換えるべきでしょうか。私はランソプラゾール(タケプロン)を別のPPIに替えて貰った方が良いと思います。何故なら胃酸を抑えるPPIはランソプラゾール以外にもたくさんあります。他を選んだら良いのです。それに対して、腎盂腎炎になった、蜂窩織炎になったという時、セフトリアキソンの注射が使えないとなれば、「病院紹介しますから入院してください」という話になります。外来で一日一回注射で治療出来る抗生物質って、他に無いからです。ランソプラゾール(タケプロン)を飲んでいる人は、主治医に相談して他のPPIに替えて貰ってください。PPIは他にいくらでもありますが、セフトリアキソンの代わりになる抗生剤はなかなか無いですから。


    なお冒頭に「多くの開業医は勉強熱心だから云々」と書いたのは軽い皮肉です。製薬会社が協賛する勉強会で、こういう胃薬と抗生物質を併用すると死ぬ場合があるなんて情報を仕入れるのは不可能です。製薬会社に都合が悪い情報はそういう所では講演出来ません。JAMAは世界三大医学ジャーナルの一つです。開業医だろうがなんだろうが、本当はこういう論文に目を通して輪唱するべきなんです。だってこれ、実際開業医の臨床にまさに関わる情報ですから。

  • 投稿日時:2023/11/11
    75歳以上の後期高齢者の経口薬、つまり飲み薬は5種類までにしろ、と言うのは日本老年医学会が口を酸っぱくして言ってる話です。この年齢の人たちでは6個以上薬を飲むと副作用リスクが5個以下より10%上がります。要するに一つ一つの薬のメリットの総和より「6個以上の薬を飲んでいるデメリット」が上回るんです。

    だから私はあゆみ野クリニックに受診する75歳以上の方のお薬手帳は必ず見ます。6個以上出ていたら「何か要らないものは無いかなあ」と考えます。でも例え私が「これは要らない」と思っても、それは他所の先生が出している薬ですから、私があっさり「これ止めましょう」とはなかなか言えません・・・例外はあるんですが。患者さんやご家族に「この年齢では薬はなるべく減らした方が良いから、この薬を止められないかどうか、出した先生に相談してみて」と言います。
    しかし75歳以上、特に80歳以上の患者が10個以上薬を飲んでいるという時は、そういう遠慮はかなぐり捨てます。75歳以上の人が10個以上薬を飲んでいたら、それは問答無用に「ダメ」なんです。75歳過ぎた人に薬が10個以上出ているけどその処方は妥当だ、なんてことは絶対無いです。だからそう言う人の処方はお薬手帳で一つ一つ吟味して、これ止めましょう、これも要りませんね、と勝手にやってしまうことがあります。もちろんその時は、「これは老年内科の私の出番です」と言います。全責任は私が負いますってことです。

    一人の患者に10個以上飲み薬が出ている時は、必ず複数の医者が薬を出してます。胃腸科と内科と整形と泌尿器科、みたいな。その医者がみんな集まって相談して薬を整理出来れば良いですけど、現実的にはそれって無理です。関わっている医者はみんな「この歳でこんなに飲んだらやばいんじゃね」?と思ってますけど「自分の薬は切れない」訳です。そうなったら、老年科医の出番だというわけです。

    とは言え「お前何で俺が出してる薬切るんだ、ちゃんと理由があって出してるんだ!」って話になります。だから高齢者の薬を整理する時の大原則というものがあります。

    後期高齢者、特に80以上の方は「今だけ」治療するのです。今本人が困っていることにだけ対応します。眠れないとか、ご飯食べると胃がもたれるとか、あちこち痛いとか、便秘だとか、高齢者にありがちなあれこれです。これで軽く5個行っちゃいます。だから「将来の危険を減らす治療」は後回しになります。
    「将来の危険を減らす治療」の代表は高血圧、糖尿病、高脂血症です。なんで血圧下げるんですか、血糖下げるんですか、コレステロール下げるんですかというと、「将来心筋梗塞や脳卒中などの動脈硬化による病気になる危険を減らすため」です。それは勿論大事です。しかし80以上の人にとって40代の人と同じようにそれが大事かというと、そうではないです。

    こういう「将来の病気のリスクを減らすための治療」の評価の一つにNNT(Number needed to treat)と言うのがあります。例えばですね。「高血圧は心筋梗塞を起こすというのなら、何人の高血圧患者を治療したら心筋梗塞が一人減るか」を覧るのです。つまり「どれぐらい効率がいい治療か」という数字です。NNTは少ないほど効率が良いということになります。

    高血圧治療の心筋梗塞や狭心症に対するNNTは、血圧が高いだけで他はなんでも無い人が71、最悪にやばい人で26です。つまり「血圧が高いと言うだけで他になんともない人71人の血圧を治療するとそのうちの一人を心筋梗塞から救える、色々病気のデパートで最高にやばい26人の高血圧を治療するとその内一人は心筋梗塞にならずにすむ」ということです。なおこの文章は一般の方向けですので面倒な英語の引用文献とかは出しませんが、書いてる私はきちんと信頼出来る文献を見て書いています。

    一番効率が良いのは糖尿病の治療です。糖尿病の飲み薬の代表はメトホルミンですが、メトホルミンのNNTは10です。つまり糖尿病患者10人をメトホルミンで治療すると、一人が心筋梗塞にならずにすみます。メトホルミンによる糖尿病治療がこれほど効率的だというのは、それだけ糖尿病ってやばいということです。高血圧も糖尿病も心筋梗塞に繋がりますが、糖尿病の方がずっとやばいから、糖尿病治療した方が効率よく心筋梗塞を減らせるのです。

    それに対してコレステロールの治療はずっと効率が悪いです。コレステロールを下げる薬は色々ありますが、ざっくり「スタチン」と呼ばれます。何とかスタチン、かんとかスタチンと色々商品はあるけど、みんなスタチンなんです。それで、スタチン類でコレステロール、特に悪玉と言われるLDLコレステロールを下げる治療のNNTはというと、119。コレステロールが高い人119人を治療してやっと一人を心筋梗塞から救えます。効率が悪いのです。なお心筋梗塞など冠動脈疾患を一度でも起こした人のコレステロールを治療した時のNNTは50です。そういう人50人のコレステロールを下げると一人再発を防げるというわけです。まあ血圧治療とだいたい同じぐらいです。

    しかもこれは、全年齢をひっくるめての話です。40歳の人は平均年齢90近くまであと50年生きますから、例え効率が悪くてもコレステロールの治療をしても良いかもしれません。しかし80歳の人は平均寿命まであと10年です。平均寿命まであと10年の人119人のコレステロールを下げて心筋梗塞から助かる人は一人だ、と言うことなら、「6個以上薬を飲むリスク」と比べたら論外、となってしまいます。止めるべきです。

    高血圧、糖尿病はそれなりに上で示した通り意味があるので、止めにくいです。しかし80過ぎの高血圧や糖尿は、もはや「将来のため」の治療ではなくなります。降圧剤止めたら突然血圧がボンと200になって救急車で運ばれる、と言うのは困ります。突然糖尿病の薬止めたらいきなり血糖が300になって意識失う、と言うのも困ります。80過ぎの人の血圧や糖尿の治療は、そういうことにはならないようにやれば良いんです。80歳の人が15年後、つまり95歳になるまでにどれだけ心筋梗塞減るんですか、という話と「80過ぎの人が6個以上薬を飲んだら確実に悪い」というリスクを比べたら、結局薬が多いリスクが上回ります。だからコレステロールの薬はさっさと止めますが、血圧や糖尿病の薬は最低限に減らします。

    認知症の薬というのもターゲットになります。今出ているドネペジル(アリセプト)とかメマンチン(メマリー)とかいう認知症の薬って、そもそも認知症初期にしか意味は無いです。そして初期の認知症って、家族は大抵気がつきません。家族が「うちの親最近おかしい」と言ってあゆみ野クリニックに連れてくる時は、大抵かなり進んでます。その時認知症の薬なんか飲んでも効かないです。ああいうのは御本人が「最近物忘れが」と心配してきて、検査するとなるほど確かに初期の認知症だな、あるいはまだ認知症レベルじゃ無いけど放っておけば認知症になるな、という時に使うんです。明らかに呆けちゃって、むしろ暴言、暴力、暴行、介護への抵抗、徘徊なんて言うのが家族の悩みになってる時に、ドネペジルもメマンチンも無意味です。速効で止めます。特にドネペジルはそういう認知症の人ではかえってそういう精神症状を悪くすることがあるので、問答無用に切ります。

    先ほどの原則「今だけ治療する」に基づくと、80歳以上で認知症と言う人を想定すると「興奮や介護への抵抗、不眠など」を治療する薬、痛み止め、胃薬、便秘薬。これで4つ。付け加えるなら糖尿病の薬を止めるといきなり血糖が300とかになって意識失うかもしれないから糖尿病なら糖尿の薬一つ。高血圧も全部止めるといきなり血圧がボンと200になるとマズいから降圧剤一つだけ。これでどうにか5個か、多くても6個になるわけです。他はどれだけ理由があっても「後期高齢者では6個以上薬を飲むと多剤併用のリスクがここの薬の作用の総和を打ち消す」という原則に照らすと、止めましょう、となるのです。

    もちろんこんなこと書くとありとあらゆる科の先生が怒るんです。夜間頻用でベオーバ出してる、と泌尿器の先生が怒ります。心房細動で血液さらさらの薬を出している、と循環器の先生が怒ります。逆流性食道炎で胃酸を抑える薬を出している、と消化器科の先生が怒ります。骨粗鬆症で治療している、と整形外科の先生が怒ります。みんな怒り出すんです。
    でも一つ一つの薬には確かにそういう効果があるんですが、「後期高齢者では6個以上薬を飲むと多剤併用の害の方が薬の効果の総和を上回る」という現実には敵わないんです。それを思い切ってぶった切れるのは、老年科の医者だけです。その代わり全責任はお前が背負えよ、って話になるんですけど。夜間頻尿が深刻な悩みなら、ベオーバとかベタニス出す代わりに思い切って血圧の薬切ります。たいして飯食って無くて血糖上がりそうに無ければ糖尿の薬を止めます。そうやって、なんとしても内服薬を5個、どんなに多くても6個以内にします。相当な荒技ですが、それでも「多剤併用のリスクよりはマシ」なんです。

    あゆみ野クリニックが老年内科を掲げている理由は、こう言うことです。

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