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  • 投稿日時:2023/09/29
    ご高齢のご家族がおられる方に大切なお話です。

    80,90を過ぎて多少物忘れがあってもおうちでそれなりに元気に暮らしているお年寄りっています。でもご高齢になれば急に体調を崩す場合は良くあります。そういうとき、家族はもちろん慌ててしまいます。しかしその時、この話を思い出してください。

    80も半ばを過ぎた人が急に具合が悪くなる。家族は救急車を呼びます。しかし「救急車を呼ぶ」ということの意味をご存じの方は、実はそう多くないです。

    救急車を呼ぶというのは、救急病院に運んで救命しろという意味なのです。それがどうしたって?

    救命しろという事は、救急外来に搬送されて呼吸が怪しければその場で気管挿管(気管支に管を突っ込む)をされ、人工呼吸器に繋がれます。心臓の拍動が微弱なら心臓マッサージを受けます。肋骨が何本か折れますが、それぐらい強くやらないと心臓マッサージは意味をなしませんので、やります。

    運良くそれで命が長らえても、こういう非常にご高齢の方の場合、大抵それで寝たきり、植物状態になります。そういう人を救急病院は何時までも入院させておけないので2週間ぐらいで老人病院に移します。その時は自分で口からものを食べられる状態でないことがほとんどですから、鼻から栄養の管を入れられます。あるいは高濃度の点滴が出来るよう首に太い点滴が刺さった状態で老人病院に送られます。

    そういう鼻から管を入れられた状態、首に太い点滴が刺さっている状態は、意識がほとんど無い高齢者にとっても不快です。不快だから抜こうとします。抜かれると困るので両手を抑制されます。ソフトなやり方は自分では外せない手袋(ミトン)を付けさせられることですが、寝たきりのご老人でもミトンを上手に外してしまう方がいて、その場合は両手をベッド柵に布で縛り付けます。

    その時になって「それは止めてくれ」と言っても遅いのです。そういう状態になったらその人は口からものを食べることは出来ないと看做されますので、そういう人の栄養チューブを抜いたり太い点滴を外すと、医者は殺人罪に問われる可能性があるため、出来ません。何年もその状態で過ごし、何回も肺炎をくり返したあげく、家族が「もうこれ以上は良いです」と言うまでその状態で治療(拷問といった方が良いでしょうが)は続きます。

    認知症で始末に負えない高齢者を施設に預けることは良くあります。家ではとてもみられないお年寄りを施設に入れると「やれやれ」とほっとしますが、ほとんどのご家族は施設に入れる時確認するべき事があるのを知りません。

    「その施設は看取りをやってくれるのか」

    と言うことです。福祉施設と言っても色々ですが、看取りまでやってくれるところとやらないところがあります。ウチでは看取りはしません、と言うところは、そろそろかな、と思ったらその人を病院に送ります。死ぬのは病院で診てくれ、と言うわけです。しかし「もうそろそろ」と施設の職員が気がつかないままその人が息絶えてしまうことがあります。看護師が巡回したら呼吸が止まっていた、と言うようなケースです。看取りはしないという施設では、そういう時は救急車を呼びます。そうすると話は振り出しに戻るわけで、齢90にもなる高齢者が自然に息を引き取ったのに、気管挿管して心臓マッサージをして肋骨をポキポキ折ることになるわけです。

    80を超えた高齢者がいるお宅では、その人が万が一の時どうするか、よく考えて置いた方が良いです。特にその人に判断能力があれば、御本人の意見をしっかり聞いておきましょう。そしてかかりつけがあれば、かかりつけの先生に「いざというときの対応」を相談しておくと良いです。

    当院でも何人かそういう高齢者を診ていますが、そのご家族にはきちんとこういうお話をして、急変した時どうするか、あらかじめ相談します。高齢者は大抵夜中に急変するのですが、私は毎晩晩酌をしていますから、夜中車で駆けつけるという事は出来ません。その代わり、夜中息が止まったら翌日お看取りにいきます、日中なら日曜祝日でもいきますが、夜には行かれませんよとお話ししてあります。高齢患者の急変にどう対応するかは医者によって違うでしょうから、かかりつけの先生とよく相談しておく方が良いです。

    ウチのばあちゃんはかかりつけが大病院だからいざというときは大丈夫というのは間違いです。かかりつけが大病院だから急変したら救急車でそこに運ぶという事になれば、冒頭に説明したようなことになるからです。急変したから救急車呼んだけど救命はしないでくれというのは通らないのです。救急車で救急病院に運ぶというのは救命しろって事なんですから。
    こう言うことは、日頃からじっくりと考えておきましょう。
  • 投稿日時:2023/09/25
    私の発言は、ありとあらゆるところで嫌われ、敵を作ります。さらに多くの人は、黙って私を避けます。

    しかしそう言う事は、まったく問題ではありません。大勢が私を嫌い、さらに大勢が私を避けるのは、私の言動が真実であり、事実だからです。私はもう59歳であり、その間そういう事実をいやという程経験してきたので、もうそう言うことには慣れっこなのです。人々が私を嫌ったり避けたりするのは、私からすれば何でもありません。

    ものすごく昔に遡ります。私が船橋市立峰台小学校の4年生だった時、私は放送部員でした。昼休みに音楽を流すのですが、それはクラシックと暗黙の了解で決まっていました。

    私はクラシック音楽が好きです。当時も今も。しかし昼休みの音楽は、何もクラシックで無くてもよいだろうと私は考え、「およげ鯛焼き君」を流したのです。

    学校中で割れんばかりの喝采が上がったのは、放送室の私の耳にもはっきりと聞こえました。夕方、放送部担当の教員が私を呼びつけ散々嫌みを言いましたが、私は平気でした。

    小学校6年の時、私は生徒会長候補に選ばれました。生徒会長候補は6年生の各学級から一人ずつ選ばれますが、誰が生徒会長になるかはあらかじめ職員室で決まっていました。出来の良い、物わかりのよい生徒が選ばれるのです。

    私は確かに出来は良かったのですが、物わかりはまったく良くなかったのです。しかし賢明な私は選挙作戦を工夫しました。私は考えたのです。どうせ男子生徒は先生の言う通りの候補に入れる。問題は女子票だ。

    そこで私は全校生徒が集まる候補者演説会にスーツとネクタイをバシッと決め、髪を七三に分けて臨みました(今は禿げてしまいましたが)。そこで「自分が生徒会長になったら、生徒会としてバレーボール大会を実施します」と具体的目標を打ち出したのです。

    その夕方判明した選挙結果では、教員室が推薦した候補を遙かに上回って私が当選しました。翌朝担任がクラスに入ってくるなり私を指さして、「私はあなたを絶対に認めない!」と叫びましたが、私はフンとせせら笑っただけでした。

    私立東邦中学校では、剣道の教師と対立しました。東邦中学校では全員が柔道か剣道のどちらかを選択する決まりで、私は剣道を選んだのですが、剣道場には神棚があり、授業の前に必ず「神前に一礼」しなければなりませんでしたが、私はそれを拒んだのです。なぜ一礼しないのかと問われて私は答えました。

    日本国憲法は信仰の自由を定めている。私は神道を信仰していないので神前に礼はしない。

    剣道の教師は怒り狂い、私に本気で剣を打ち込んできました。それを私は全て外したのです。教師は猛々しく「何故外す!俺を打ってみろ」と挑発しましたが、私はまたもせせら笑っただけでした。

    県立千葉高校時代、東北大学時代は幸か不幸か、私が社会や学校と対立した記憶がありません。県立千葉高等学校や東北大学は、学生を理由もない校則で縛るような学校ではありませんでした。そうそう、一度だけ、千葉高時代、トレンチコートを着て通学していた私を教師が校門で咎めたことがありました。しかし私は「トレンチコートはどの校則に違反していますか?」と聞いただけで、口をあんぐり開けている教師を尻目に、コートをはためかせて教室に入って行きました。



    医学部を卒業し、医者となった私はまず初期研修を受けました。私の研修先は民医連の坂総合病院です。

    しかし大学を卒業して民医連で初期研修を受ける前、私はガルバチョーフ時代のソビエトを列車で一ヶ月掛けて旅しました。当時の私は今よりロシア語が堪能だったので、列車の中やレストランなどで色々なロシア人と話をしました。

    記憶に残っている会話はこれです。

    シベリア鉄道に乗り合わせたコルホーズ長、かなりの年配でした。多分今の私と同じぐらいだったかと思います。かれは私にガルバチョーフの悪口を散々言い立てました。彼の主張は、ガルバチョーフは経済がまったく分かっていないという事でした。私もそれには賛成せざるを得ませんでした。何しろシベリア鉄道の東の起点ハバーロフスクではもはやルーブルが貨幣の意味をなさず、人々が争って外国たばこを求めていましたから。

    しかししばらくそのコルホーズ長の話を聞いた後、私は彼にロシア語でこう言いました。

    「でも今あなたはこうして列車の中で見知らぬ外国人にソビエト共産党書記長の悪口が言えるようになりましたね」。

    するとそのコルホーズ長は沈黙し、ややあって重々しくつぶやいたのです。

    ダー。エータ バリショイ ジェーラ。

    そう、それはとても偉大なことだ。

    民医連に初期研修に入って数ヶ月後、私のアパートに指導医が二名尋ねてきて共産党に入らないかと勧誘しましたが、私のこのソビエト旅行の体験を聴いて、口をあんぐり開けて帰って行きました。

    坂病院で一番私が対立したのは当直明け問題です。研修医は月に3日も4日も当直が入ります。そのたびに翌日はフルで働かされるのです。

    ある時私は事務職員に「病院の規定ってありますか」と聞きました。そうしたらその職員は何気なく「はい、あります。これですよ」と渡してくれたのです。そうしたら、その規定には「当直明けは休みとする」と明記されていました。

    私はその規定をもとに「次の当直から私は翌日は休みます。だって病院規定にこう明記されていますから」といいました。

    病院は、本当に私がそれを実行するのかどうか見守っていましたが、次の当直の翌日、私は当直が終わったらただちに帰宅しました。「後は宜しく」と言って。

    病院中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。遂に私は「坂病院友の会」という患者会に呼び出され、「何故当直明けに帰ったのか」と患者達に詰問されました。今でも共産党がお得意の査問です。しかし私はしれっと「病院規定に定められていますから」と答えました。するとハゲ茶瓶の爺さんがハゲ茶瓶から湯気を立てて、「あんたは医者のくせに患者をなんとも思っていないのか!」と怒鳴りましたが、私は涼しい顔をしました。

    初期研修が終わった時、私は漢方に関心がありました。しかし当時、漢方を指導してくれて漢方をテーマにした医学博士を取らせてくれる大学はありませんでした。色々な人に相談したところ、「東北大老年科の佐々木教授ならあるいは」というのです。東北大はたまたま私の母校でしたが、私にとってそれは二の次でした。老年科の佐々木教授のところにお邪魔して「漢方で医学博士を取りたいのですが」というと、佐々木先生は即座に「いいんでねべが」といってくれました(秋田弁なのです)。

    しかし実際に私が東北大老年科に入局してみると、周りの人々は一様に「そんな漢方なんてまじないのようなもので東北大の学位は取れない。まず西洋医学の研究で学位を取りなさい」というのです。「いいんでねべが」と言ってくれたのは佐々木教授ただ一人だったのです。

    しかし私はそれなりに研究に励み、高齢者が起こす誤嚥性肺炎のモデルマウスに清肺湯という漢方薬入りの餌を食べさせると肺の炎症が軽くなり、死亡率も下げるというデータを出し、学位審査に臨みました。

    その時、審査委員長は開口一番「私はこの研究が何故東北大の学位審査に掛けられているのか理解出来ないのだが!」と言い放ちましたが、すかさず後ろの席にいた佐々木教授が「オホン!」と一つ咳払いをし、後は滞りなく学術的な議論を経て、私は東北大開闢以来初の「漢方をテーマにした医学博士」になったのです。

    それからも、私の人生は茨の道でした。西洋医学の人々はどれほど私が漢方について客観的なデータを出しても頑としてそれを認めようとしないし、逆に漢方の「お偉いさん」たちは「漢方は術じゃ。そんな西洋医学の手法で効果などでは証明できん、フガフガ」と言いました。

    私が認知症の患者がよく起こす精神不穏や幻覚、妄想などBPSDと呼ばれる症状に抑肝散という漢方薬が有効であることを日本東洋医学会で発表したら、なんと座長が「こんな発表は意味が無い」と言い放ちました。しかしその研究論文はJ Clinical Psychiatryという世界の精神医学でトップの医学雑誌に載ったのです。

    東洋医学会はその後も私の研究業績が増えるごとに私を嫌い、遂に私を東洋医学会から追放しました。破門されたわけです。

    しかしその後も私は漢方のエビデンスを次々発表しました。抑肝散の研究がもっとも有名ですが、半夏厚朴湯が高齢者の誤嚥性肺炎を減らすこと(アメリカ老年医学会雑誌に掲載)、漢方の「気滞」という診断の新基準を客観的な方法で作ったこと(世界30以上の医学論文で引用)、加味帰脾湯という漢方薬は抑肝散同様認知症のBPSDに有効であるが、同時に認知症高齢者の鬱や意欲減退にも有効で、挨拶する、感謝するなど望ましい感情表現を回復させることなど合計49本の漢方や中医学に関する英論文を発表したのです。その一番最近のものは、JAMA(アメリカ医学会雑誌)に載った鍼灸の論文に対するコメントです。たかがコメントというかも知れませんが、世界三大医学雑誌の一つであるJAMAともなると、コメントが載るだけで極めて稀です。

    またBritish Medical Journal (BMJ)はWHOが計画した「世界の伝統医学は医学のどんな領域にどれほどエビデンスがあるか」という調査研究の方法を述べた論文に対し、私にreview、つまり査読を依頼してきました。世界の伝統医学全体を見渡した調査研究の是非や問題について内容を吟味出来る人間は、そう多くはなかったのでしょう。

    面白いことに、こうして私の業績が上がって増えるほど、私の敵も増え、私を避ける人は一層増えていきました。JAMAとかBMJとかWHOなどは私を一流の伝統医学研究者と看做すようになりましたが、そうなればなるほど私を嫌い、避ける人間は増えたのです。

    私はもう59になりました。その59年間、私はずっとこのようでしたから、私を嫌い、避ける人間が増えることを私は全く意に介しません。いくらでも嫌えば良いし、いくらでも避ければ良いのです。ガリレオ・ガリレイが言った通り、

    E pur si muove(それでも地球は回る)のですから。
  • 投稿日時:2023/09/25
    私は漢方医ですが、日本東洋医学会が出している「漢方専門医」は持っていません。そもそも東洋医学会も退会しています。あの専門医は「ツムラの何番がいいか」選べるだけでなれるのです。それだけです。それすら出来ない「漢方専門医」も腐るほどいますが。


    しかし私は生薬一つ一つの性味、薬効を知り、煎じ薬を処方することが出来る日本で数少ない(おそらく多くて100人いるかいないか)医者の一人です。ほとんどの「漢方専門医」は生薬一つ一つの薬効なんか知りませんから生薬を組み合わせて煎じ薬を処方するというのは出来ないんです。


    そういう立場から一言言わせていただきますが、「西洋薬はどうで漢方薬はこうだ」という類の素人談義は一切無意味です。強いてそういう比較をするなら、西洋薬は薬理機序がはっきり分かっているものが多く(全てではないです)、比較的「どの医者が出しても同じ効果が得られる」という利点があります。一方漢方薬は「その効能効果は漢方医学、ないし中医学の概念の中でしか説明出来ず、その概念も(少なくとも日本では)まったく統一されておらず、従って概念が統一されていないので薬理機序を研究したくても出来ない」状態のものです。両者の違いを言えばそういうことです。


    しかし西洋医学の薬だろうが中医薬・漢方薬だろうが、それは物質のかたまりであって、そこに含まれる何らかの物質が体内に入り人体という物質の塊の中でなんらかの化学反応を起こすから効果が出るという基本原理は同じです。「西洋医学は人工のものだからから身体に悪く、生薬は天然物だから安心だ」などという人がいますが、冗談じゃないです。天然物はしばしば毒性があります。天然のものが安心ならふぐをそのまま食えば良いし、トリカブトをおひたしにでもして食ったら良いです。自然界のものは植物でも動物でも自分の身を守るためにしばしば毒を持つのです。


    生薬は天然だから安心なのではありません。その生薬の薬効、使用法、加工法、副作用をよく熟知した専門家が、それを使用すべき適切な患者を選び、なおかつ生じうる副作用をきちんとモニタリングしながら使えば安心なのです。その点西洋薬とまったく変わりは無いです。
  • 投稿日時:2023/09/22
    先ほど、会社の検診で尿酸値が高いから病院で薬を出してもらえと言われたが出してもらえるかというお問い合わせがありました。その方の尿酸値は9ぐらいだったそうですから、基準値よりは高いです。


    しかし最近尿酸値が高い人を治療すべきかどうか、医学の考えが変わってきました。原則は、これまで痛風発作を起こしたことがある人は、再発作を防ぐために尿酸値を下げましょう、しかし痛風発作を起こしたことがない人は、特に治療の必要はありませんということになっています。


    その方にはそうしたご説明をしましたが、どうやらその方は「ともかく会社から言われたんだから会社が言う通りにするんだ」と言うお考えだったらしく「じゃあ他を探します」と言って電話を切りました。


    おそらく今でも最新の内科診療の知識をアップデートしていない医者なら「尿酸値が高ければ薬を出す」と言う医者はいるでしょう。その人はそう言う医者を探すつもりのようです。しかしそう言う医者は不勉強なのです。そもそも不勉強な医者にかかるのは危険です。それに痛風の薬にはもちろん副作用があります。例えば代表的な薬であるアロプリノールは稀ですが反血球減少症、腎障害、血管炎、肝機能異常などを起こすことがあります。全ての薬にはそれぞれ一定の副作用が起こりうるのですから、飲む必要がない薬を飲んではいけません。薬は「会社に言われたから」飲むものではなく、医者が医学的判断で必要と考え、それを患者さんご本人が納得して飲むものです。会社の上司は医者じゃないんですから。


    と言うわけで、当院では痛風発作を起こしたことのない人に尿酸を下げる薬は出しません。
  • 投稿日時:2023/09/21

    この内容は新着情報にも載せましたが重要なのでこちらにも掲載します。

     

    当院では9/20か現在流行の主流であるらxbb株対応ワクチンの接種を始めました。しかし私が世界中の英文医学論文を検索出来るPubMedと言うサイトで検索したところ、実験室レベルでxbb株に対する抗体が出来たという論文はありましたが、現在接種されているワクチンがxbb株に臨床的に有効であることを報告した英語の医学論文は存在しませんでした。つまり今接種しているのは実験室でxbb株に対する中和抗体を作ることが出来ると確認されたワクチンであって、それが臨床的にどの程度有効なのかについて根拠となるデータはありません。

     


    ウィルスは数ヶ月から1年で変異しますので、そのたびに新しい変異株について千例以上のヒトを対象にした臨床試験をやるのは不可能です。従って、変異株に対するワクチンの有効性は従来のインフルエンザワクチンもそうですが、「実験室で今流行している変異株に対する抗体が出来た」事をもって認可されます。毎年皆さんが受けるインフルエンザワクチンも、その年によって流行株が変わるので、「今年流行するであろう変異株」を予測した上で実験室内で抗体が出来ることを確認して良しとします。毎年数千人規模の臨床治験などやれないからです。その従来型インフルエンザワクチンの有効性は年によって異なりますが、平均すると約4割です。

     


    一方今回のコロナワクチン接種は7回目ですから、私を含めほとんどの市民はワクチンの副作用(発熱、痛みなど)がどの程度か、既に経験的にご存じと思います。なお現時点ではコロナワクチンは全額公費負担ですので、ワクチンを受けても自己負担はありません(ちなみに本当のお値段は2200円です)。


    院長個人の判断ですが、医療、福祉、介護に携わる方、小児や高齢者に関わる方にはその方の副反応が過去に重篤でなかった場合は接種を強く推奨します。私自身も医師ですので接種を受ける予定です。また学校関係者、つまり教員などにも「ある程度」推奨します。後期高齢者、糖尿病、コントロールされていない高血圧をお持ちの方、透析中の方などには「強く積極的に」接種を推奨します。一方過去のコロナワクチン接種で重篤な副反応を経験された方には接種をお勧めしません。そのような方に予想されるような有害性を上回るほどのメリットは、今のコロナワクチンにはないです。その他の方々は、上記の情報をご理解の上、ご自分で受けるかどうかご判断ください。

  • 投稿日時:2023/09/15

    食養生。この食べ物はあれに良いとか、悪いとか言うのは、真面目に研究すると、ほとんど証明出来ないです。と言うのは、ある一種類だけを毎日ひたすら食べる人って、まずいないからです。


    例えば納豆とかってなんとなく健康に良さそうじゃないですか。だけど「納豆を日頃食べる人とほとんど食べない人で心筋梗塞の発生率は違うか」という研究をしようとしても、納豆を常食する人はご飯も味噌汁も常食しています。そうすると「納豆を常食する人としない人」に分けて研究しようとしても、それは納豆の効果なんですか、ご飯の効果なんですか、味噌汁の効果なんですかって、分からないのです。


    だから食事が健康に与える影響は「食事パターン」で覧るしかありません。昔東北大にいた頃、高齢者の食事パターンと転倒骨折の関係を見たことがあります。地域コホートと言って、ある地域(私が使ったのは仙台市鶴ヶ谷地区)の人々の生活習慣を細かく何年も調べ続けるんです。それが東北大にデータとして蓄積されていて、そのデータを使って「食習慣と高齢者の転倒骨折はどの様に関係するのか」調べました。


    そうしたら我々の解析では「野菜や果物に偏りがちな高齢者は転倒骨折をしやすく、肉や魚など動物性タンパクをしっかり取る傾向がある人は転倒骨折しにくい」という結果が出ました。


    それを世界的に有名なNutrition(ニュートリション)と言う栄養学のジャーナルに投稿したら、「これまでの欧米の研究は、全て野菜や果物を摂ると転倒骨折しにくい」となっている。あなたの論文はそれと合わないから却下、と言うのです。


    なんでなんかなあ、と考えてみると、欧米人ってそもそも医者が何も言わなくても肉を山ほど食ってます。みんなどっさり肉を食ってる社会では、野菜や果物を取った方が良いんだよ、という結果が出るわけです。でも日本の高齢者ってあんまり肉とか食べないですよね。そういう人々を対象にすると「もう少し肉を食った方が良いよ」という結果が出るのです。つまり背景になる社会習慣が違うと、違う結果が出るのです。


    なんとかはかんとかにいい、とかテレビキャスターが言うと翌日スーパーからその食品が姿を消しますが、真面目な研究をするとそういうことになるのです。

     

    https://bmcgeriatr.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-2318-10-31?fbclid=IwAR2HW0gc--KzaIylEkW7ugI_en3sCvlAbO3-_Kd3JBT4KTDTkQJrq1PhLac

  • 投稿日時:2023/09/12

    JAMA (Jaournal of American Medical Association, アメリカ医学会雑誌。世界三大医学雑誌の一つ)の論文に本日私が付けたCommentが載りました!なぜかAyuminoがAyuminiになっていますが、まあ、いいや。日本の開業医のCommentがJAMAに載ると言うのは前代未聞です。

     

    元になった論文は韓国のグループが出した鍼灸の研究論文ですが、そもそもこうした伝統医学の論文がJAMAのような極めてレベルが高い医学ジャーナルに載ること自体が稀です。元の論文は「鍼は腰痛に有効か?」を調べた9448本の英語の研究論文から「ランダム化比較臨床試験」という現代医学で正確性に優れるとされる臨床研究法を用いた研究10本をセレクトし、それらの論文の責任著者に依頼してそれぞれの研究の参加者の元データを提出してもらい、それを全部ひっくるめてもう一度統計にかけたら、次のことがわかった。すなわち、RCTで用いられる本物の針治療に対する対象群(コントロール群)になる偽ばり(シャム鍼。ごく浅く皮膚に触れるかどうかぐらいで刺したりする方法)であっても、本物の鍼のグループと同じ正しい経穴(ツボ)に刺激をしていると、それは本来のやり方で刺した場合と同程度の有効性を示し(両群の効果には統計的有意差がない)、一方それは経穴ではないところに刺した場合と比べると統計的に有意に有効であった。と言うものです。それに対する私のコメントは、


    Exact acupuncture points selection is the most important in Acupuncture
    Koh Iwasaki, M.D., Ph.D | Director, Ayumini Clinic, ex Professoe of TCM Dept. Tohoku Univ. Japan 
    This meaningful paper suggests that exact acupuncture points selection is more important than strength or depth in acupuncture. Acupuncture is the most widely spreading TCM method but without exact acupuncture points selection, it doesn't affect.
    (この有意義な研究は鍼灸治療では経穴(ツボ)を正確に選択することが鍼の強さや深さより重要であることを示している。鍼灸は世界で最も広く用いられる中医学(中国伝統医学)の治療法だが、経穴を正確に刺激しないとその効果は出ないのだろう)

    と言うものです。たかがコメントと言ってもJAMAともなると滅多に載らないのですが、おそらくこう言う伝統医学の研究に適切なコメントをつけられる医学研究者というのが稀だったのでしょう。石巻の、というか日本の一開業医がJAMAにコメントしたのが採用されるというのは、おそらく過去に例がないだろうと思います。石巻もものづくりから情報発信にシフトしていくべきだというのが私の持論ですが、その一助となれば幸いです。論文と私のコメントは下のリンクの通りです。

    https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2808958?fbclid=IwAR14MJrVRAMpCHmXxEVebjdxU4F6y4NaOmvwwCTSMPMcoLcWpolGv4nXaRs

  • 投稿日時:2023/09/04

    患者さんが健診で「コレステロールが高いと言われました」というの、いつも悩んでしまいます。

     

    脂質異常症、特にLDLコレステロールが高い日本人のコレステロールを治療すべきかどうかで一番問題になるのは、その治療ガイドラインを出している日本動脈硬化学会と、コレステロールの治療薬を出している製薬会社の癒着が強すぎるという事です。あの学会のえらい人たち(たいしてえらくないしょぼい大学の教授クラスも含めて)はほとんど全員コレステロールの薬を作っている会社から毎年相当額の金を貰っています。講演料だなんだですが。それが日本の動脈硬化学会だけなら良いが、事情は欧米もほぼ同じらしいのです。

    そうなると、学会が出すガイドラインに従って治療して良いのかという話になってしまいます。お金が絡んでいるとなると、どうも信用できないわけです。それではガイドラインではなく、原著論文を読んでみましょう、と言うわけで「日本人で、 LDLコレステロールが高いと言う他に異常がない集団」を対象にしてLDLコレステロールを下げるメリットがあるかどうか調べた治験を探してみると、少なくとも最近20年では見つかりません。ちゃんとした臨床研究の論文がないのです。欧米人を対象にした研究は行われていますが、欧米人と日本人では血管の性質が違ったり、そもそも心筋梗塞の発症率がまるで違うので、欧米人のデータを日本人には持ってこれません。


    心筋梗塞や狭心症を起こしたことがある人を対象に再発が減るか、という臨床研究はあります。それによると再発は減ったそうです。だからそう言う人ならLDLコレステロールは下げます。しかしただLDLコレステロールが高いと言うだけの日本人を対象にして、LDLコレステロールを下げるとどういう臨床的メリットがあったかという治験は、色々キーワードを変えて探しても、少なくとも最近20年以内での英論文としては見つからないのです。だからコレステロールを下げた方がいいのかどうか、臨床研究を探しても答えが出ません。


    じゃあ動脈硬化の仕組み」から言うとどうか。動脈硬化というのは、まずなんらかの理由で血管の壁に炎症が起きて始まります。するとLDLコレステロールが炎症で損傷した血管内皮の傷に入り込みます。つまりLDLコレステロールは炎症を起こした血管内皮に当てるパッチ、絆創膏みたいなものです。入り込んだLDLコレステロールが酸化する、つまり絆創膏が古くなると、それを免疫細胞が分解しに来るのですが、それが追いつかないとプラークと言う塊が出来ます。こういうのが多くなると動脈硬化になるというわけです。


    しかしこの話の中では、LDLコレステロールが根本原因ではありません。そもそもは血管内皮に炎症が出来ることが発端です。LDLコレステロールは炎症で傷ついた血管内皮に当てる絆創膏のようなものです。それが酸化するというのは、絆創膏が古くなって汚れるようなイメージです。だから本当を言えば血管内皮の炎症を抑えるのが根本治療であり、次は絆創膏が古くなること、つまりLDLコレステロールの酸化を抑えるのが治療の筈で、LDLコレステロールの血中濃度を下げるという論法はどこかおかしいのです。だってそれは炎症を起こして傷ついた血管内皮細胞に当てるパッチ、絆創膏なんだもの。


    結局、心筋梗塞などをやったことがない、ただ「コレステロールが高い」というだけの日本人に対して本当にコレステロールを下げた方がいいのかどうか、謎なんです。だから当面、あゆみ野クリニックでは「新しくコレステロールの薬を始める」ということは、やめました。心筋梗塞などの既往がある人だけはやりますが、それ以外の人に新しくコレステロールの薬は出しません。今まで飲んでいるという人にはこういう事情ですと説明し、ご本人が続けるというなら続けます。ただしコレステロールの薬はちょいちょい筋肉が壊れるという副作用が起きます。そうなったらそれ以上はコレステロールの治療は続けません。だってそもそもやった方がいいのかどうか曖昧な治療をして副作用が出るなんて、患者さんにとって「やるだけ損」ですから。

  • 投稿日時:2023/09/01

    昨夜、相方手作りの晩飯を食べていました。あゆみ野クリニックは木曜日は午前のみの診療ですから、ちょっとあれこれ長引いたんですけど、相方が晩飯を作れました。実はウチの相方はあゆみ野クリニック事務長です。要するに家族経営です。相方を事務長にしてその分色々家の掛かりを彼の給料にしておくと、税金対策になるんです。


    そうなんですが、相方はコンビニ業界で働いていた人です。医療はまったく素人です。ちょっと事務長っぽいことをやらせてみましたが、無理でした。やっぱりちっぽけなクリニックでも「事務長」というのはそれなりに医療という世界が分かっていて、しかも経理も出来、総務の経験もあり、と言う人でないと務まりません。


    ところがですね。ウチの相方には、これまで私が思いも寄らなかった能力がありました。医療事務が出来るのです。


    医療事務って、クリニックの窓口で受付したりお会計したりする仕事です。一見簡単そうに見えますが、実はかなり面倒です。まず患者さんの保険証の種類が違う。自己負担1割、2割、3割。小児だと「全額公費」ってのもあります。その話がメインではないのであっさり流しますが、ともかく医療事務はかなり面倒な仕事です。それが、ウチの相方は出来るんです。まったく未経験なのに、7月から突然始めて、どうにかこうにか窓口をこなしています。びっくり仰天であります。


    その相方と、さっき晩飯を食っていたら、彼が何気なくこう言ったのです。
    今日は発熱が多かった。受付終わっても問い合わせがいっぱいあった。


    私箸を止めました。
    「お前それどうした?」
    「本日の受付は終わりましたと言ったよ」
    「お前それダメや」。


    相方はもちろんびっくりしました。医療のことは何も知らず、7月からいきなり事務長と言われ、どういうわけか窓口業務がこなせている相方にいきなり私が睨み付けて「それダメや」と言ったら、そりゃびっくりします。


    それで、その後じっくり説明しました。ちょっと飯の途中だけど、これめちゃくちゃ大事だから、よく聞け、と言いました。


    お前は事務だ。医療は知らない。知らなくていい。だがな、お前はクリニックという「医療機関」で働いている。ウチは個人のクリニックだ。民間だ。民間だけれども、医療機関というのは民間もクソもない、みんな公(おおやけ)のものなのだ。


    相方はまだなに言われてるか分からないという顔をしています。


    あのな、今日お前がクリニックにいた時、俺も残っていただろ?つまり医者がいたわけだ。医者がいる時、患者から問い合わせがあったら、ただちに全て医者に廻せ。もし医者がいなかったら、看護師に廻せ。その問い合わせにどう対応するかは、第一に医者、医者がいなければ看護師。事務長が「本日の受け付けは終了しました」と言って良いのは、医者も看護師もいない時だけだ、と説明したのです。


    およそ美容外科以外、医療機関には全て「救急」があるんだぞ。誰か電話を掛けてきた。熱があるんです、腹が痛いんです、肩が痛いんです。それお前救急かそうでないか分かるか?


    勿論相方は事務ですから「分からない」と言います。そりゃ分からないです。やっと医療の世界では一点は10円だと理解したばっかりですから。


    その患者の訴えが救急かそうでないか判断するのは医療職の仕事です。医者である私がいれば医者の私。私がいなければ看護師。医者も看護師もいなかったら、その時は事務が「医者も看護師もいないので対応出来ません」と言って良いんだと言いました。


    さっきから急に熱が上がりましたという電話があったそうです。それコロナですか?事務長に分かるわけがないです。いや、医者の私だって、来て貰って診察し、検査しなければ分かりません。しかし当院は、医者の私も二人の看護師も経験を積んでいます。若くてピチピチしてないのは申し訳ありませんが、その代わり場数を踏んでいます。電話で話をきいて「これやばい」とか、これ知らん顔したらマズいとか、逆に「ウチに来て貰う話じゃない。即刻救急車呼んで日赤に行かせろ」とかは分かります。


    じゃあ歯が痛いと言ってもあんた呼ぶのか?と相方が聞きました。「そうだ」と答えました。


    急性心筋梗塞。これは命に関わります。一刻の猶予もありません。しかし急性心筋梗塞はみんな胸が痛むのか?違います。肩が痛いという人もいます。歯が痛むという人もいるのです。


    他科をおとしめていると思われては困るのですが、「肩が痛い」と言ってきた人に必ず心電図を取る整形外科は、そんなに無いです。歯が痛くなりましたと言って歯医者さんに行ったら、そもそも歯医者さんには心電図の機械がありません。口の中を見て、「虫歯はないです」となってしまいます。


    そこが、あゆみ野クリニックみたいな「何でも屋の内科医」の仕事なのです。急に肩が痛いです、急に歯が痛み出しましたという患者さんに「とりあえず来て下さい」と言います。話を聞いて、高血圧や糖尿病がある、たばこ吸ってるとなれば心電図とります。いつもは看護師さんがやってくれますが、心電図ぐらい私も取れます。取って「やばっ!」となったら救急車です。心電図一枚ファックスすれば日赤だって仙石病院の循環器だって断りません。急性心筋梗塞の心電図所見は内科医全員知っていなければならないからです。


    ただ残念ながら、心電図に所見が出ない急性心筋梗塞というのもあります。これは当院では判断つきません。でも判断つかない人は、搬送します。それで救急病院から文句言われることは無いです。患者さんはもしかしたら「なんでも無いのに救急車呼んで大騒ぎした」と陰で言うかも知れませんが、それは街の開業医である私にとってはどうでも良いのです。
    ともかく、患者さんが時間外に何か電話してきた。たまたま医者がいた、看護師がいた。その時は事務が判断しちゃダメなんだという事を、さきほどコンコンと説明しました。それは、あゆみ野クリニックがどういう評判を受けるかとか、患者さんの受けがどうだとか、売り上げにどう繋がるのかとか、そう言う話じゃないんだと、医の根本なんだぞと話したのです。


    もちろん診療時間外に事務がこういう電話が来てますと言ってきたら、私がものすごくいやな顔をするかも知れません。げっそりした口調で電話に出るかも知れません。看護師もそうでしょう。みんな人間ですからね。でもそれで怯むなってことです。院長の私がどんな顔をしようが、医者である私がいたら私に繋げろってことです。それで私が電話で話を聞いて、「これは内科じゃないな」とか「これは明日来て貰えばいい話だな」と判断したら、それは私の責任です。およそ医療に於いて責任を取れるのはまずは医者。医者がいなければ看護師。事務は責任取れないんだから、繋げってことです。
    片田舎の町医者でも場末のビル診のクリニックでも「救急」は片時も忘れてはならないのです。


    医者にとっても金儲けは大事です。めちゃくちゃ大事です。だって地方のクリニックって、潰れないことが最大の地域貢献ですから。だけど、医療機関を名乗る限り、もっと大事なこともあるんです。

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