石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
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投稿日時:2025/04/29大町桂月(おおまちけいげつ)と言って、どなたか「あああの作家か」と分かる人は、よほどの文学好きでしょう。しかし明治時代、彼はまさに売れっ子作家でした。夏目漱石や森鴎外などより遙かに有名で、彼の本は出版する度にベストセラーになりました。
大町桂月は、観光地を紹介する商売が得意でした。彼は各地の観光地に行っては得意の美文調でその観光地を賞賛したのです。ですから日本中の観光地が競って大枚払って彼を招き、本人お得意の美文で紹介して貰おうとしました。
しかしそう言う大衆人気作家としての大町桂月の名は、十和田湖などごく一部の観光地周辺を除き、殆ど忘れ去られています。売れっ子作家は歴史に残らないという典型の一人です。
ところが大町桂月の名は、別の意味で近代日本文学史に残ってしまいました。「残ってしまった」、つまり今となっては不名誉な形で残ったのです。
与謝野晶子が日露戦争に出兵し、結局戦場で命を落とした弟に詠んだ「君死にたまふことなかれ」を大町桂月は大々的に批判しました。「太陽」という、当時有名だった雑誌に桂月はこう書いたのです。
「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」
これに対する与謝野晶子の反論「ひらきぶみ」(明星に発表)は有名です。大町桂月の「絶叫せざるを得ざるものなり」に対し、与謝野晶子は当時の丁寧語である候文(そうろうぶん)を持って反論しています。候文は今の読者はすらすらとは読めないでしょうから、重要な一部を私が勝手に現代日本語に意訳します。
車中で何気なく手に取った「太陽」に大町様の批判文が載っていました。私のような者の歌をご覧戴き、批評してくださったことは忝(かたじけな)いと言うより恥ずかしいほどです。しかし、出征した弟の母や嫁をちからづけたいと言うことだけを思い都を離れた私にとって、御批評は服しかねます。
(そもそも)あの歌は、私が出征した弟に宛てた手紙の端に書き付けたものです。それの何が悪いのでしょうか。あれは歌です。
この国に生まれた私は、私たちは、この国を愛することは誰にも劣りません。堅苦しい(昔気質の)私たちの両親は堺の町で天子様を思い、お上の御用に自らを忘れること他にいなかったほどでした。
(中略)
しかし女というものは、戦は嫌いなのです。国のためだとは分かっています。どうか早く勝って戦争が終わるようにとも願っております。当家はこの戦争にできる限り協力しております。先日どなたかが書かれたような、戦争を賛美する人ほど実は義援金を惜しむなどと言うことは私どもには関係ないことです。
あなたもご存じの通り、弟は召されて勇ましく出征しました。万一のことがあった後のことなど、けなげに申して行きました。この頃新聞が持ち上げる勇士勇士が勇士なら、我が弟だって勇士です。しかし弟は、出征するときしげしげと妻や母や、また妻が身ごもっていた子どものことを案じていたのです。そのように人間の心を持っていた弟に、女の私は今時の戦争唱歌のようなことは歌えません。
私が「君死にたまふことなかれ」と歌ったことを(大町)桂月様は非常に危険な思想だと仰いますが、最近のように死ね、死ねと盛んに(世間が)言う、しかもそういうことを忠君愛国や、畏れ多くも教育勅語を持ち出してそういうことを言うことこそ、むしろ危険と言うべきでは無いでしょうか。よくは存じませんが、王朝文学(源氏物語など)にも、このように人に死ねというようなことを書き散らした文章はないと思います。戦争文学であった源平時代の文学にさえ、そんな文章はなかったはずです。
歌は歌なのです。歌を習ったからには、後の人に嗤われない、まことの心を詠いたいのです。まことの心を歌わない歌に、なんの値打ちがあるでしょうか?まことの歌や文章を作らない人に、何の見所があるのでしょうか。長い長い年月を経ても変わらない、まことの心のなさけ、まことの道理に私は憧れます。
結局、今に残ったのは与謝野晶子のこの「ひらきぶみ」でした。大町桂月は、軽々しく時流に乗って与謝野晶子を好戦的に批判した愚か者として名を残したのです。
今、ネットなどで有名な医者はたくさんいます。「ネットで有名な、本を書けばベストセラーになる何とか先生」はいくらでもいます。私は、そういう医者になるつもりは全くありません。まことの医療をやるつもりです。まことの医療のなかに、漢方という医療・医学も入っていると言うだけです。漢方を売り物にするつもりは、さらさらないです。まともな医療をやろうとするとどうしても漢方医学、中国伝統額を学ばなければならないから学んで、実践しているのです。私は漢方の名医になるつもりなんか、さらさらないんです。
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投稿日時:2025/04/27あゆみ野クリニックは、「まっとうな診療」をやります。たとえば先日、漢方外来初診に「ほてり、頭痛」を主訴とした40代後半男性が来ました。話を聞くと最近健診で再三血圧が高いことを指摘され、近医を受診したらアムロジピンという薬を出されたというのです。しかしその人のほてりや頭痛は全くよくならなかったので、当院漢方外来に来たそうです。
アムロジピンを出したその医院の診療の仕方を私は知っていましたので、そのクリニックに最初に掛かって何か検査をされましたか?と訊きました。すると「検査はなにも受けていません。何かの書類にサインさせられてこの薬が出ただけです」というわけです。
何かの書類というのは、生活習慣指導の書類でしょう。昨年6月から糖尿病、高血圧、高脂血症は従来の「特定疾患」から外れ「生活習慣病」となり、「生活習慣指導をすること」と国が決めたのです。生活習慣病管理料を貰うための書類にサインさせられたという事です。
しかし問題は、「血圧が高い」という人の約10%にホルモン異常の人がいるという事です。甲状腺機能亢進症、副腎ホルモン異常、副腎ホルモンと腎臓のホルモンとのバランス異常、そして脳下垂体の異常。これらを全部合わせると、なんと「血圧が高い人」の10%にも上るのです。ですから、「血圧が高い」という患者になにも検査をせず黙って降圧剤を出すというクリニックは、10%ものホルモン異常を無視しているという事になります。
アムロジピンは非常によい降圧剤です。よいという意味は、私が医者になった1990年当時既に広く使われていて、その効果の程度と副作用がどういうものか、まともな内科医なら皆分かっているという事です。しかしアムロジピンの非常に多い副作用がほてりと頭痛です。ですからほてり、頭痛を主訴とする高血圧の患者に、私ならアムロジピンを最初に選択するという事はしません。
あゆみ野クリニックは高いという評判があるようです。それは、こういう検査をきちんとやるからです。正直言ってこうした採血というのは、値段の殆どを検査会社が持っていきます。ですから、真面目にホルモンの採血をしても,窓口の会計は高くなりますが当院の利益は微々たるものです。だからこそ、患者がたくさん詰めかけるクリニックは、こう言う真面目な検査をやらないのです。たいして利益になりませんから。
しかし私は石巻で「まっとうな医療をやる」と決めたのです。ともかく医療費は安く上げたい、だから健診で血圧が高いと言われたら薬だけ出してほしいという患者さんはいくらでもいます。私はそういう診療をしているクリニックを知っていますから、「あなたにはあそこをお勧めします」とやります。10%のホルモン異常が含まれることを知りながら敢えて無視するクリニックです。
それは、突き詰めると患者が自分の身体をどうするか決めることです。きちんとした検査に出すお金を惜しんで「薬だけほしい」という人は、そういうクリニックをご紹介しますからお問い合わせください。「あそことかあそこです」と教えて差し上げます。あゆみ野クリニックはそういう診療はやらないのです。まっとうな診療をやります。必要な検査はやるし、無駄な検査はやりません。あくまで「まっとう」を貫きます。そのお金を掛けたくない人は、当院に来なくて良いです。そういういい加減な診療をやっている医療機関をちゃんと教えてあげますから、そちらに行って下さい。
石巻だから、みんなお金がないから、必要な検査もやらずに薬だけ出す。それは、先行する医療機関が既にやっています。あゆみ野クリニックは後から割り込んだクリニックだから、他がやらない医療、つまり「まっとうな医療」をやります。まっとうな医療が差別化だなんて嘆かわしい限りですが、「ともかく医療費は安く安く」というニーズがあまりに多いから、いくつかの石巻医療圏のクリニックは堕落しました。血圧が高いと言ってやってきた人に、症状も訊かず検査もやらずに黙ってアムロジピンを出すというように。そういうクリニックは1日100人以上もの患者が押しかけて大繁盛していますから、今更そういう診療を改めようとはしないでしょう。しかしあゆみ野クリニックはそういう診療はしません。「安いが一番」という人はどうぞ他所に行って下さい。そういうクリニックはどこか知りたい人がいれば、お電話くだされば教えます。あゆみ野クリニックには「石巻でもちゃんとした医療が受けたい人」が来て下されば、それでいいんです。
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投稿日時:2025/04/22「前回り受け身」
県立千葉高校では、3年間の内一年は、体育で武術を一つ学ぶ決まりでした。私は東邦中学校で剣道を選択して散々いやな目に遭ったので、千葉高では柔道を選択しました。しかし柔道の先生は一、二度私を教えて「こいつに柔道の素質は全くない」と見抜き「お前は前回り受け身だけ覚えれば合格させてやる」と言いました。
前回り受け身。
見事な技に掛かって吹っ飛ばされたとき、身を守る技です。完全に一本取られたとき、死なないための技です。
この前回り受け身の重要さを、実は私は高校生の内に実感しました。自転車に乗って通学する途中、車にはねられたのです。身体が宙に飛びました。しかしその瞬間、私はまさに前回り受け身の体勢で道路に手を付きました。腕は傷つきましたが、どうにか助かりました。
大学生になってからもう一回私は車にはねられましたが、その時も私は前回り受け身で助かりました。
しかし人生では車だけでなく、何回も強大な力に撥ねられました。そのたびに私は前回り受け身で身を守ったのです。
人生、攻撃を仕掛けられることは何回でもあります。攻撃こそ最大の防御とは言え、いきなり攻撃を仕掛けられることもあるのです。その時、どう攻撃を受け止めるか。
前回り受け身を身につけるのは、とても大事です。 -
投稿日時:2025/04/19私は医者ですが、別に医者が鍼治療をしてはいけないという決まりはありません。むしろ鍼灸師の資格を定める法律の冒頭には、「医師で無いものがこれこれの治療を行うためには」とあるのです。つまり医師免許さえあれば、鍼灸按摩、何でもやって良いのです。
ただ面倒なのは、そもそもほとんどの医師は鍼灸案ままサージについて一切教育も研修も受けていません。何も知らないのです。もう一つは、「混合診療の禁止」というルールです。これは、「保険診療と自費診療を同時に行ってはならない」という国のルールです。
しかし、私は時々患者さんに針を打ちます。典型的なケースはむち打ちとぎっくり腰です。こういう急性の痛みには、針が一番速攻します。どんな痛み止めより効くし、そういう効果には今や世界中で無数のエビデンスが出ています。
だから私は患者さんがむち打ちだ、ぎっくり腰だと言ってやってきたとき鍼は打ちますが、その鍼治療の代金は請求できないのです。無論、最初から自費診療なら問題はありませんが、正直に言うと、私の鍼治療の腕前は「門前の小僧」に過ぎません。とあるところで鍼灸師さんの施術を間近にして、ちょっと教わっただけです。系統的に経絡弁証に基づく針灸治療を学んだわけではありません。
しかし、むち打ちやぎっくり腰など、突然の痛みに対して一番即効性があるのが鍼治療ですから、私はそういう患者に鍼は打ちますが、その料金は貰いません。と言うか、貰えないのです。どのみち痛み止めと湿布ぐらいは処方しますから、診療費と処方箋発行料だけです。
こういうのは、痛くもない腹を探られないように、慎重にしなければなりません。何しろ、敵はどこにいるか分からないのですから。
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投稿日時:2025/04/18ある患者さんが職場で虐められ、酷い扱いを受け、弁護士に相談しました。弁護士は職場宛に「何月何日までにこれこれについて誠意ある回答を寄越せ。寄越さなければ提訴する」という内容証明を送りました。ところがそこの経営者は、弁護士のその内容証明をあっさり無視したのです。
患者さんは「私はどれだけ馬鹿にされているんだろうか」と憤って泣いたので、私はこう言いました。
この顛末はあなたが馬鹿だという事ではありません。その経営者が馬鹿だと分かっただけです。何故なら、その経営者が無視したのはあなたではなく、弁護士が送りつけた内証証明です。弁護士から送りつけられた内容証明を無視する人間は、馬鹿なんです。そういう馬鹿には法律で馬鹿の代償を払わせるしかありません。それは弁護士がちゃんとやってくれますから、あなたは平然としていれば良いのです。
実は、弁護士の内容証明を無視するほどの馬鹿は、時に裁判所の判決すら無視することがあります。信じられないかも知れませんが、そういう馬鹿もいるのです。損害賠償いくら支払えという判決が出ても、それすら無視する馬鹿がいます。
無論そういう馬鹿には弁護士が裁判所に差し押さえ請求をして、裁判所がその事業所の収入、銀行口座などを差し押さえます。そういう目に遭わないと自分が馬鹿だと気がつかないほどの馬鹿というのは、じつは存在します。
私は常々思うのですが、馬鹿には善い馬鹿と悪い馬鹿がいます。善い馬鹿というのは、単にものを知らないだけで他人に危害は加えません。しかしあなたがこんな酷い、常識を遙かに外れた酷い仕打ちを受けている事業所の経営者は「悪い馬鹿」です。悪い馬鹿は他人を傷つけるんです。でもそういう人間は、要するに法律で思い知らせてやればいいんです。
そう話したらその患者さんは少しほっとしたようでした。
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投稿日時:2025/04/16
今、日本でもアジア各国でも、大抵の鶏肉はブロイラーです。ブロイラーは本来臭い。その臭みをどう抜くか、私の相方はタイ人や中国人から訊いて知っています。別に難しいことではありません。ブロイラーの肉は適当な大きさに切った後しばらく料理紙に包んで水を抜けば良いのです。それだけです。ブロイラー特有の臭みは、しばらくそうやって水抜きすれば消えます。しかしそれすら知らない、あるいは知っていてもその手間を省くバイトだけで廻しているチェーン店などでは、ブロイラーは臭いのです。
地鶏というと高値で売られていますが、本当に地鶏なんでしょうか。我々消費者はその現場を見ているわけではありませんから、比内鶏だなんだと言われても、実はどんな代物か、分かりません。
私が人生でただ一度「確実に地鶏を食った」事をこの目で確認できたことがあります。しかしそれは、日本ではありませんでした。
1999年、私は中国の安国(アングオ)という有名な生薬市場を視察したのです。当時は今ほど医者と製薬メーカーの関係がやかましくありませんでした。それで、私は「是非安国の生薬市場をこの眼で見たい」と色々な漢方薬や生薬の会社に相談したのです。つまり私自身、その当時は「若き漢方医のホープである私がこういう視察をしたいと言えば、どこかの会社はそれを全面的に支援するだろう」と思っていたのです。そしてそれはその通りになりました。
今ではそのような関係は指弾されてしまいますので会社名は明かしませんが、Uと言うメーカーが「それでは」と言ってくれました。全部会社持ちです。仙台から安国に行くのは、まず仙台から北京まで飛行機で行き、そこから地域の中心都市である天津に行き、さらにそこから車で安国に行くのです。その全てがメーカー丸抱えで、しかも天津ではそのメーカーの工場に案内され、副社長の接待を受けました。
まあ、それはその当時はそういう時代でしたという事です。
しかし私がここで語りたいのはその話ではありません。安国は生薬市場としては中国四大生薬市場の一つとされ今でも主要な生薬市場ですが、当時は如何にも田舎町でした。天津から車で安国に行くまで、かなり遠かったのです。因みに手配してくれたメーカーはクラウンを用意しました。1999年当時としては日本企業がいわば「VIP」待遇の東北大学の漢方医を接待するには、クラウンしかなかったのです。まあそれはそれとして。
運転手と通訳が私に付きました。この三人で安国まで行って帰ったのです。その帰り道昼飯時になり、通訳は運転手に中国語で何事かを言い、どこかのドライブインに車を停め、私たちはそこで昼食を摂ることになりました。私は完全にお任せです。通訳と運転手と店の女主人が何やらわいわい言い合ったあげく料理が決まりました。その時私はたまたま尿意を催しました。トイレはどこかと聞くと、庭の外だと。つまり、「厠」だったのです。店から裏庭に出るとその当時の「ニイハオトイレ」がありました。別に小便をするだけでしたから私は構わずそこで用を足したのですが、トイレから出た丁度その時、その店の女主人が庭に放し飼いだった鶏を一羽捕まえるのを見たのです。その鶏は、しばらくして中国東北部特有の香辛料を効かせた鍋となって私のテーブルに現れました。一羽まるごと締めたのですからご馳走です。当時としては贅沢だったでしょうが、そこは日本企業の丸抱えの視察旅行だったわけで、関係者一同それに乗ったのです。
美味かったなあ、あの鶏鍋。
ついでに今思い出したのですが、安国の晩飯は羊のしゃぶしゃぶ鍋でしたが、とんでもなく辛かったです。なおタイトルの画像は安国の生薬市場です。 -
投稿日時:2025/04/14
今日、ある患者さんに喘息発作の話をしました。昔私がとある病院で当直していたとき、駆け込んできた中年女性が玄関で「息が・・・」と言った途端倒れたのです。呼吸が止まっていました。常連の患者だったので、その人が喘息発作を起こしていることはすぐに分かりました。窒息しているのです。ただちに気管支挿管を試みましたが、その人の気管支は完全に閉鎖していて、管が入りませんでした。もう少し環境が整った病院であれば、喉の甲状腺の下にグサッとメスを入れて気管支に届
けばそこに管を突っ込めたでしょうが、そこはたまたま田舎の病院で、そこまではやれませんでした。結局その人は、私の目の前で亡くなったのです。忘れられない記憶です。
その話を患者さんにしたら「先生は昔そんな救急をやっていたんですか」というのです。「ええ、そうですよ。そういう救急の修羅場を散々くぐったから今こうしてクリニックをやっていられるんです。救急の経験がない開業医なんか、駄目なんです」と答えました。
何しろ私の医者としてのスタートは坂総合病院、有名な救急病院です。そこからあれこれたどったあげくに今開業しているのです。そういう、いざというときの救急対応というのは、とっさに体が動かなければなりません。じっくり考えている暇はないのです。
そういう、苦い経験を散々積めばこそ、漢方医が務まり、田舎の開業医がやれるのです。そういう経験をせずに、初期研修終わりました、はい親のクリニックを継いで開業しますとか、都会で漢方外来やりますなんて言うのは、全然駄目なんで御座います。 -
投稿日時:2025/04/13
1990年、末期ソビエトを旅したとき、全ては「ネリジャー、禁止」だった。たとえばシベリア鉄道で酒を飲むのも食堂車医学では禁止されていたが、その殆どは一枚の「ドーラル」つまり1ドル紙幣でダダダダダー、Every thing OKになった。たった一回ネリジャーをひっくり返せなかったのは、エルミタージュ美術館で、私が買ったばかりのソニー製のビデオを廻していたときだ。柱の陰に座っていた中年女性の美術館員がつと立ち上がって、静かな声で「マラドーイ・チェラヴィエク。スュダー・ヴィージオ・ネリジャー」と言った。その迫力には、逆らえなかった。彼女は極めて静かな口調でそう言ったのだが、そこには逆らいがたい何かがあった。私はすごすごとソニー製のビデオを引っ込めた。
マラドーイ・チェラヴィエクを英語に訳せばyoung manだが、ロシア語のマラドーイ・チェラヴィエクは英語のyouung manではない。「お若い方」という古風な日本語が似合うだろう。非常に丁寧だが、公的な言い回しだ。こう呼びかけられると、こちらはもうそれで萎縮してしまうのだ。「スュダー・ヴィージオ・ネリジャー」、ここはビデオは駄目よ、と言うのだ。非常に静かな物言いだが、反論できない。
ロシア語は非常に複雑なニュアンスを持つ言語であって、理解すればするほど難しい。 -
投稿日時:2025/04/12日本内科学会雑誌の2023年12月号を「後で読もう」と思ったまま例によってほったらかしていたことにふと気がつき手に取ったら、心療内科も標榜している私にとって面白い特集だった。
「内科医が支えるメンタルヘルス」というのだ。
その冒頭で昭和大学ストレス・マネジメント研究所の中尾睦宏先生という人が、面白いことを書いていた。
人間の感情は、幸せ以外は殆ど否定的な感情である。中でも悲しみはうつ病に、不安は不安症(不安障害)という精神疾患に繋がるが、怒りがちであったとしても「怒り病」とか「怒り症」と言った名称の精神疾患はない、と言うのだ。
そう言われると、確かにそうだ。西洋医学の疾患一覧であるICDに「怒り症」とか「怒り障害」という概念はない。しかし、周りからみて別に怒るほどのことではないことにいつも怒っている人、イライラしている人は、少なくとも「精神的に正常」とは言えないだろう・・・と書いてきて「あ、それって俺のことだ」と気がついたが。
中医学(中国伝統医学)にはたくさんの「怒り障害」に該当する弁証概念(診断概念)がある。肝火上炎、肝郁化火、心肝化熱、心火などなど。
こういう四文字熟語を専門以外の人は読めなくてよいのだが、つまり中医学(中国伝統医学)には「怒りすぎる」事を病態と捉える概念がたくさんあって、しかもそれは五臓(心肝脾肺腎)のうち心臓と肝臓に直接的には由来していると考えられているという事を理解していただければよい。
たとえば私が若い頃認知症の人が精神不穏になるBPSDと言う症状に抑肝散という漢方薬が有効だと報告したが、「抑肝散」、肝(の高ぶり)を抑制する散剤というのが名前の意味だ。肝が高ぶるというのである。
西洋医学しか知らなければ、肝臓が高ぶるってなんのこっちゃなのだが、中医学の「肝臓」は西洋医学のLiverではない。現代医学には当てはめたら脳を中心とする様々な臓器の複雑な情報交換を包摂するのだろうが、ともかく内外のストレスに対して心と体の安定状態を保つシステムのことだ。生体は常に内外共に無数のストレスを受けているが、それに対して生体機能をある程度の幅で安定化させるシステムが存在する。それが「肝」だと中国人は指摘したのだ。
しかし、肝というシステムがあってもあまりにも膨大な、あるいは長期にわたるストレスが掛かればこのシステムは対応しきれなくなり、破綻してしまう。その初期を「肝気鬱結」と言い、いつも鬱々として、ここが悪い、あそこが悪いと言い出す。まあ、今の私だ。そこできちんと対応しないと、心(こころ)が制御できなくなり、ちょっとしたことで怒りを爆発させる。これを「肝熱化火」と言ったり「心肝化熱」と言ったりする。肝という生体安定装置が対応できないほどのストレスでこころが熱を帯びて怒るというのが「肝熱化火」だ。
「心肝化熱」というのは、中医学の「心臓」が何かを知れば理解できる。中医学に於ける「心臓」は、一面では西洋医学と同様血液を全身に送るポンプだが、一方で「睡眠覚醒のリズムを掌る」、「論理的な思考を掌る」システムだとされる。まあ、循環不全になれば実際意識低下を起こして論理的な思考など出来なくなるから、「そういうことは一つのシステムになっている」と考えたのだろう。従って、心火というのは要するに「あれやこれや考えすぎてオーバーヒートしてしまう」という意味だ。いやこれも今の私なのだが。
毎日の売り上げ、患者数、何所にいくら支払う、あのスタッフどうも最近元気なさげだ、大家との家賃交渉だ検査機器が壊れただと「あれやこれや」考えることが多すぎると心(しん)はオーバーヒートしてイライラするわけだ。それを安定化させるシステムが肝なのだが、そういう状態ではもはや肝のスタビライザー機能も目一杯だから、両方が一緒になって燃え上がってイライラすると言うのが「心肝化熱」だ。
西洋人だって、怒りっぽい人なんかいくらでもいる。いつだってイライラしている人は、欧米社会でも「正常な精神状態」とは看做されないだろう。しかしそういう状態は西洋医学では病態概念として確立していないが中医学ではきちんと病態として認識されているというわけだ。
西洋医学ないし現代医学が中医学から学ぶべき事は、まだまだたくさんある。
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投稿日時:2025/04/05医療の現場でごく当たり前に使われてきた薬があれもこれも手に入らなくなって、もう四,五年にもなる。最初はコロナ禍で咳止めのアストミンが手に入らないという事から始まった。その頃は、コロナで咳止めの需要が急に高まったので咳止めの生産が追いつかないのだと言われた。
ところがこの「いつもの薬が手に入らない」という事態はどんどん拡大し、抗生物質が手に入らない、狭心症の予防薬が手に入らないなどなど、人命に関わる薬が次々に入荷しなくなった。
これはもう四,五年前から始まって、どんどん状況は悪化の一途をたどっているのだが、国は手をこまねいて一切なにもせず、大手マスコミも決してこの問題を取り上げない。明らかに、意図的に無視してきた。
何故日常臨床で欠かせない薬が次々に流通しなくなったのか。それは保険診療に於ける薬価、つまり国が決める薬の値段が安すぎるからだ。
最初に市場から姿を消した咳止めであるアストミン一錠の公定価格は7円だ。今時7円で買えるものはない。次に手に入らなくなった代表的なペニシリン、サワシリン(アンピシリン)の公定価格は10.1円だ。10.1円ではあめ玉一個だって買えない。あめ玉が買えなくても人は死なないが、肺炎の人にペニシリンを使えなければその人は死ぬ。ところがその値段が10.1円だというのだ。
これは明らかに国による意図的な価格誘導だ。つまり、こう言う古い薬、ジェネリックでも作れる薬は公的保険から外す地ならしだ。肺炎になって医療機関からペニシリンを処方されてもペニシリンが手に入らないという状況をわざと作り出し、「だからペニシリンは保険から外します。自費で買ってください」という方向に持っていこうというわけだ。
その国の意図がよく分かっているからこそ、「何故こうして基本的な薬が次々に保険医療から姿を消すのか」大手マスコミは沈黙している。なぜならその本当の理由をテレビで特集したら国が反感を買うのは当然だからだ。
大手マスコミと言うものは国と完全に癒着しているから、国の政策を邪魔するようなことは出来ない。だから「次から次に必要な薬が保険医療から姿を消す」真の理由は報道しない。やがてそう言うものが国の思惑通り保険から外れるのをマスコミは邪魔できないのだ。
高齢者医療福祉は、さらに酷いことになっている。
昨年6月、我が国では「診療報酬大改訂」が実施された。そのこと自体、大手マスコミでは殆ど報道されなかったが、その中で一番目だったのが、「在宅外し」だった。
これまでこの国は、要介護高齢者は「病院から施設へ、施設から在宅へ」という方針で動いてきた。だから訪問診療など在宅部門には不自然なほど高い診療報酬、つまり公定価格を設定していた。それを去年の大改訂ではバッサリと切った。
去年の診療報酬大改訂で、訪問診療の基本点数は888点になった。医療の世界では1点とは10円のことだから、一人訪問診療すると8880円だという事だ。しかし訪問診療というのは真面目に診療すると、半日8人、1日16人が限界だ。
訪問診療というのは、医師と看護師がセットになって患家を軽自動車で廻って歩くのだ。地方に行けば行くほど患家と患家の距離は遠いから、たとえば石巻の場合、7軒廻ったら半日では終わらない。そうすると、この値段では半日でたったの62000円である。これでは、医師と看護師の半日分の人件費すら出ない。ガソリン代は無論、出ない。
つまり、「訪問診療はやっても絶対に成り立たない金額にした」というのが去年の診療報酬大改訂だ。しかも、一軒に住む夫婦を同時に訪問診療した場合、一人は8880円だがもう一人は2130円だというのだ。
要するにこれは「訪問診療というものはもう公的保険ではカバーしません」という国の意思表示である。
医療や看護、介護のように公的保険、つまり国の意向が直接現場に反映される分野では、国はその分野に於ける国の方針について、一切言葉で社会に伝える必要は無い。何一つ言わなくてよい。単に診療報酬を上げ下げすればよいのだ。
医師と看護師が一軒行って8880円、その家に夫婦二人がいたら二人診療して11010円だというのでは、半日に七,八軒回るのがやっとな訪問診療は成立しない。つまり、成立しないような診療報酬を設定することによって、国は「訪問在宅という政策は公的保険ではもうやりません」という意思表示を明確に打ち出すことが出来る・・・無言で。
一方施設介護の代表である老人ホーム、正式には特別養護老人ホームの基本点数は、通常対象となる要介護3の人でおおよそ1日当たり20単位、つまり200円引き上げられた。
おそらく国としてはこれで「在宅から施設へ」という国の方針を明確にしたつもりだったのだろうが、その後我が国を襲った超インフレで、この目算は狂った。つまり、価格が引き下げられた在宅からは訪問診療所も訪問介護も一斉に手を引いたが、一方潤うはずだった施設介護もこのインフレ下で1日200円の引き上げでは実質マイナスになり、こちらも撤退、倒産が相次いだ。
結局現状は、高齢者介護の行き場は何所にもない、と言う事態になっている。国としては在宅を下げて施設を上げたつもりが、凄まじいインフレによって「1日200円」などと言う引き上げは無意味になったので、要するに今、何所も高齢者医療・介護をやれる場所は公的医療・介護保険ではなくなってしまった。
もっとも、これが国の計算違いだったかどうかは疑わしい。むしろ国はこうなったことを「もっけの幸い」と見ているかもしれない。つまり本音では、国は高齢者を公的サービスから切りたかったのだ。在宅だろうが施設だろうが、高齢者の医療や介護はもう国は面倒を見たくなかった。しかしいくら何でもそれでは批判を浴びるから、「在宅から施設へ」という流れを作ったが、そう言うシステム設計段階では計算外だったインフレで、在宅も施設も全て割に合わなくなった。割に合わないから、どちらからも業者が撤退した。つまり、高齢者の医療・介護を公的医療保険で引き受けるところはどの領域でも事実上なくなった。
実はこれは、国が本音でやりたかったことだった。本心では、国は高齢者を全ての公的な仕組みから外したかったのだが、さすがにそれはやれなかったから「在宅から施設へ」という流れを作った。ところが予期せぬインフレで施設介護も不可能になったので、結局高齢者は公的補助ではどうやっても介護できないことになった。国がそうすると決めた話ではないから、国はその責任を取らなくてもすむ。責任を取らずに済むのに高齢者を公的保障から切り捨てることが出来る。財産貯金がない高齢者の面倒を国が見なくて済む。
国にとっては実は願ったり叶ったり、うれしい誤算というわけだ。
それははたして、日本の若者や中年世代にとっても本当に望ましいだろうか?短期的には、それであなた方の負担は減るだろう。しかしあなた方だって歳を取るのだ。その時我が国では、あなた方を支える公的仕組みはもはやないのだ。